金蔵寺
金蔵寺は、奈良時代初期の養老2年(718)隆豊禅師によって開創された寺院で、平安京造営の際には、新都の平安を祈念して経文が納められたことから、西の岩倉とも呼ばれています。応仁の乱以前には、寺中に堂塔伽藍49院の僧坊を擁する大寺であったことが、室町時代中期の日記、『臥雲日件録抜尤』という文書に記されていますか、応仁の乱および永禄の兵火によってほとんどの建物が焼失し、現在の建物は、大部分が江戸時代に再建されたものとなっています。 京都府
洛西三十三観音霊場 2番札所
火の用心
前立尊奉安所
皆様の財産は、火の元から「火防勝軍愛宕大権現」を信仰致しましょう。愛宕大権現は、明治3年(1870)に愛宕山より当山神仏分離令によって遷座になり火防の守護仏として皆に知られております。
本堂の上の所に本尊殿がありますのでお参りして下さい。お札は、受付の所でお受け下さい。西岩倉山 金蔵寺
此の池は当山再建の祖桂昌院尼公が生類憐愍の念をお出しになりそのお心を以て造成なされしもので年々放生の会式を勤められましたが何時の頃か中絶し今日に至りました 此度佛縁ありて葉山麗仙大姉により復興され亦後放生会式奉修を念願されしものなり
維持平成元年11月吉祥日
中興19世 現薫隆眞香拝書
金蔵寺
山号を西岩倉山と号し、天台宗に属する。寺伝によれば、養老2年(718)、元正天皇の勅によって隆豊禅師が開創し、聖武天皇は勅願を賜り経典を書写して埋めたといわれ、桓武天皇は平安京遷都に当たり王城鎮護のため経典を埋め西岩倉山と号するに至ったと伝えられる。また、隆豊禅師の開創に当たり、向日町にある向日明神の神助があり、明神の手引きで楠木で千手観音を刻んだことが
「金蔵寺略縁起」に見えている。平安時代以後、当寺は西山の名刹として栄えたが、応仁の乱へと続く戦乱によって当寺の建物はすべて焼失し、当寺の正確な歴史を伝える古文書、記録も失われた。
現在の建物は、元禄4年(1691)、将軍綱吉の母、桂昌院によって再建されたもので、本堂には11面千手観音像を安置する。本堂背後には、明治初年に愛宕山より本尊、勝軍地蔵像を移して祀っている。このほか、山内には当寺の伝承にまつわる遺跡が多く、本堂の北、長嘯亭からは京都市内が一望の下に見下ろされる。京都市
11面千手観音像が安置されている
勝運の佛
世に愛宕大権現し云ふは今より1300年程以前に役の小角が清滝に於いて不動明王毘沙門天を始め9万8千の夜叉をひきいて出現されしを霊感により感得せり、之れを其のまま御像に彫刻して愛宕山にお祀りせるものなり
以来火防と勝負の守護佛として信仰篤特に武将の深く信仰する所となり出陣の際には愛宕山に戦勝勝運を祈願せる例が数多く今日まで伝えられている処が明治3年に至り神佛分離の法令により愛宕大権現は縁故深き当金蔵寺に愛宕山よりお遷りになられました。
愛宕大権現の御本領は悪魔を征し火難にり守り一切衆生を済度し心に燃ゆる煩悩強盛の業火も広大無辺の誓願により浄く消火され其身は悟りの境地に至り勝運福徳長寿の楽果を得ること夢々疑いなし
御詠歌
前は神うしろは地蔵大菩薩
火防を守る愛宕大権現
どうぞお参り下さいませ
西岩倉山 金蔵寺
開山堂
開山隆豊禅師行善大和尚と歴代の祖師先徳をお祀りしてあります。
総檜造りにして當山最も立派なお堂で寛永2年桂昌院尼公の建立です
豊臣秀吉は朝鮮出兵に当たって、愛宕神社の神宝笹丸(重文)を乞いうけて出陣し
徳川家康は武運長久を祈って芝の愛宕山に神霊を勧請した
明智光秀は天正10年(1582)5月、愛宕山に参籠し、
ひそかに織田信長打倒の祈願を行った
勝軍地蔵は明治の神仏分離でここに移され
愛宕大権現として祀られています
徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院は、幼少時に当寺に寄食した縁で、江戸前期の金蔵寺の復興に多大な援助を行いました。現在の本堂をはじめ、庫裏・客殿・護摩堂[後に焼失し、文化5年(1808)に再建]、仁王門・開山堂などの現存する建物は、いずれも貞享4年(1687)から宝永2年(1705)の間に、桂昌院の寄進などによって再建されたものです。 京都府
霊峰そびゆて紫雲たなびく清麗にして自然神霊結集の地なりと 七日七夜の夢枕に立つ 江戸徳川家桂昌院の霊告に静岡冨士浅間大社の木花咲弥姫大神を勧請し当山自然霊を合わせ祀れと感得し これより日本国土を世界を宇宙の根源の1つなりと承知した 此処に ゆかり深き桂昌院をも合祭の意を諒とせられたので
本殿 木花咲弥姫大神
右殿 当山全自然神霊
左殿 桂昌院御魂
御勧請御鎮座頂き 国土発展 悠久治平 世界平和の祝詞乞願の次第である
平成2年4月吉祥日
葉山神社宮司 麗仙
石井神社旧跡
下の川弁財天
長嘯亭
小塩山
小塩山(標高642m)は、京都盆地の周縁山地の西南部に位置し山頂に淳和天皇陵があることでも知られています。金蔵寺は、この小塩山の東南斜面の中腹にあり、周辺の山麓部には、善峰寺をはじめ、大原野神社・正法寺・勝持寺(花の寺)などの由緒てる社寺が点在しています。また、これらの社寺をつなぐように東海自然歩道が整備されていることから、周辺一帯は西山めぐりの里として親しまれています。 京都府
比叡山
京都タワー
南東方向
供養塔
夢想的作品で知られる作家・稲垣足穂(1900~77)は後半生を京都で暮らした。ある秋、金蔵寺を訪れ、いにしえの男色奇譚「秋夜長物語」に登場する僧侶と稚児の供養塔を探すが見つけることが出来なかったと、随筆に残している。
室町期に書かれたとされる「秋夜長物語」は、実在した比叡山の若き僧、桂海をモデルにした創作。稚児・梅若丸はやがて琵琶湖に身を投げる。その桂梅がこの寺の住職を務めた。その上人と梅若丸の供養塔があります
今は、仁王門を出て、不動明王を祀る傍らにあります。
桂昌院の菩提寺 ➔ 寺院上0104 真敬寺 真宗大谷派 ・・・玉の輿の主人公の菩提寺・桂昌院
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勝軍地蔵 ➔ 興聖寺・上京区 興聖寺
を祀る 権現寺・下京区
尊勝院・東山区
鹿王院・右京区 寺院右0001-2 鹿王院 境内に静寂な竹林
来迎院・東山区
等
寺院 前回の記事 ➔ 寺院西0150 金蔵寺 寺号標 金蔵寺への道
今日の俳句
飛鮎の 底に雲行く 流れかな /鬼貫