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アートプラス京めぐり

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神社右0020 児(ちご)神社  広沢の池のほとりに  

2015年03月18日 09時26分21秒 | 神社

遍照寺を創建した僧の寛朝(かんじょう)が亡くなると、それを悲しんだ寛朝に仕えていた待童が悲しみのあまり池に身を投げたので、その霊を祀ったと伝わる

 

 

児神社の由来

児神社は創立年月不詳、祭神は寛朝大僧正の侍児である。寛朝大僧正は、成田山新勝寺を開創、後にこの嵯峨広沢の地に遍照寺を建立、名僧上として徳は一世に及ぶものなしと言われた。長徳4(998)年6月12日、大僧正示寂、伝聞にはその時、遍照寺山腹の老松から龍となり、静かに昇天してゆくのが見えたという。残された児は、悲嘆・悲泣し、後を追い、山腹下の広がる広沢の池に身を沈めた。近在の人々、この児を哀れと思い、その霊を慰めんものとこの社を創建、以来児神社と称されるようになった。

この社については、弘化4年春、嵯峨青護山人の述べるところ、略記すれば、次のごとくである。

女人懐妊すれば、必ずこの神殿に詣で安産を願い且つ生まるる子の智恵愛敬を祈るなり。最も霊験いちじるく昔よりこのところに五体健全、長命の人多きはまったく此神徳による処なり仰ぐべし尊ぶべし。

 なお、寛朝大僧正がこの広沢の池畔で座禅の折、傍らでいつも児が腰を掛けていたという石椅子が、境内地に移し置かれいつしか神前で一心に祈願し、この石に座れば、必ず長命・安産・縁結びが叶うと伝えられるようになった。まったく不思議なことである。

ちごの宮ちごは安けく生ひたちて 神の恵みのふかきをそ知る

 永休

児神社宮司  野々村良惠 敬白 

 

 

その当時 童が腰かけていたという 石

 

本殿

 

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