右の小さい方の社
冠者殿社
八坂神社の境外末社。官社殿社と表記されることもある。御祭神は八坂神社と同じであるが、ここは荒魂を祭る。荒魂とは和魂と対をなすもので、神霊のおだやかなはたらきを和魂、猛々しいはたらきを荒魂といい、
全国の神社の本社には和魂を、荒魂は別に社殿を設け祭るという例が多い。もとは、烏丸高辻にあった八坂神社大政所御旅所に鎮座していたが、天正19年に豊臣秀吉の命により御旅所が現在地に移転した時、樋口(万寿寺通)高倉の地に移され(現在の官社殿町)、さらに慶長のはじめに現在地に移された。明治45年、四条通拡幅に伴い旧社地より南方に後退している。毎年10月20日の祭りを俗に「誓文払い」という。
昔の商人は神様に商売ができることへの感謝と、利益を得ることに対する償いの意識をもっていました。
この感謝と償いの意識により年1回の大安売りをして、お客様に利益を還元する商道徳がしっかり守られていました。
この本来の誓文払いの精神を継ぎ、商人の方々は商売繁昌を、
一般の方々は神様の清き心を戴き家内安全で過ごせるよう願って10月20日に大勢参拝されます。
八坂神社
別の話では、八坂神社御旅所といい、四条通を挟んで南北に末社があったが、
都市の発達によって北の杜は八坂神社へ移し、今は南側に大政所社、少将井社、官舎殿社の三社が残っている。
このうち、官舎殿社(冠者殿社)は、俗説では土佐坊昌俊の霊を祀るといわれる。
昌俊は源頼朝の密命をうけ、文治元年(1185)10月17日に義経の堀川邸を訪ね、
誓紙を書いて二心のないことを誓約しながら義経を襲い、失敗して処刑された。
死にのぞんで、後世に忠義立てのために偽りの誓をするものの罪を救わんとの願いを立てたといわれる。
これに因んで、昌俊は起請返しの神、誓文払いの神と崇められ、
毎年10月20日には、商売人や遊女達は商売上の駆け引きにうそをついた罪を祓い、
神罰を免れんことを願って参詣するならわしがあり、これを「誓文払い」という。
また祇園や先斗町の花街の人々は、当社の参詣には一切無言でなければ願い事は破れるといわれ、
途中、なじみの客に出会っても一切口をきかない。よってこれを「無言詣」ともいう。
左 の社
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