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膏薬辻子(こうやくのずし)

2015年11月06日 08時19分26秒 | まち歩き

 

 

膏薬辻子(こうやくのずし)

膏薬辻子とは、四条通から中ほどで折れ曲がり綾小路通までを走るこの細い道の名称である。

また、膏薬辻子を挟む地域が、明治2年(1869年)に新釜座町と命名されるまでは、

地域の名称としても用いられていた。

この地域は、皇后を何代も輩出した大納言藤原公任の邸宅である四条宮のあった場所である。

そして、この地域において、踊念仏で知られ、

後に西光寺(現在の六波羅蜜寺)を創建した空也上人が、

天慶元年(938年)、この地に道場を設けて念仏修行を始めた。

天慶3年(940年)に、天慶の乱により戦死した平将門の首が京都の町で晒されて以後、

全国で天変地異が相次ぎ、平将門の怨念の仕業とされたため、

各地で平将門の霊を鎮めるために首塚が築かれた。

京都でも、空也上人が、道場の一角に塚(現在の神田神宮)を建てて供養したことから、

空也供養の道場と呼ばれた。そして、空也供養の発音が訛り。細い道を意味する辻子と合わせて、膏薬辻子と呼ばれるようになった。 京都市

 



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