アートプラス京めぐり

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京都市外も始めました 先ずは京都南部から

まち歩き上0689 鴨川  荒神橋の鳥たち

2018年02月16日 16時02分41秒 | まち歩き

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2017年1月22日 撮影

まち歩き 前回の記事 ➡  まち歩き北0688  出雲路橋から大文字を見る  鴨川にかかる橋一覧

五七五

狐火や一万石の領地かな /虚子

京ことば オクドサン かまど。かまどを守る神様。「オクドサンに愛宕さんの護符を貼るエー

 

 


石碑上0149 寮病院碑

2018年02月16日 15時59分06秒 | 石碑

 

石碑  療病院碑

京都府立医科大学と附属病院の前身である医学校と療病院は、1880年(明治13年)7月18日、現在の広小路の地に約6年の歳月を費やし、粟田口青蓮院内に設置された仮病院から新築移転した。日光宮里坊、二絛、正親の三旧邸の跡地に、ライプチッヒ大学病院をモデルにした療病院8,451坪(27931㎡)および医学校693坪(2、290.9㎡)の当時としては最高の施設が誕生した。工事には府民が無償奉仕し、落成式には槇村正直京都府知事、萩原三圭医学学校校長、ドイツ人教師ハインリッヒ・ボト・ショベイら多数が出席したが、「療病院の竣工を歓喜する満都の人気をわかし、種々の余興を催して蝶舞雀躍、その盛況は開都以来未曾有のこと」といわれた。後日、開院を記念して建てられたのが療病院碑であり、瀬田真黒石でできている。碑は設立当時、正門を入ってすぐ左側に建っていたが、旧臨床講堂南側、記念講堂跡地の中庭を経て、2001年(平成13年)2月に現在の場所に移された。

 

明治の初期、東京遷都によって「平安京の都」から「地方都市となった京都の衰退をくいとめ、新時代に生きる都市として再生させるため、勧業政策と教育政策が槇村正直や京都府顧問山本覚馬(後の初代府議会議長、初代商業会議所会頭)らによって強力に推進された。その政策の1つとして、青年蘭方医明石博高が中心になって1872年(明治5年)11月、青蓮院にヨンケル・フォン・ランゲックを招いて、ドイツ医学を主体とした療病院と医学校が設立された(同年9月、木屋町二条に仮療病院開設)。設立は京都府の費用のほかに、京都の名だたる寺院や祇園の芸妓など花柳界、さらに一般府民、市民の浄財、拠出金や寄付金によった。

療病院という名称は、設立基金の発起人である3人の寺院住職、東山天華(永観堂禅林寺)、与謝野礼巌(岡崎願成寺、与謝野鉄幹の父)、佐久間雲巌(慈照寺)らによって、593年(推古元年)に聖徳太子の建立した四天王寺の四箇院(施薬院、療病院、悲田院、敬田院)の1つにちなんで命名された。療病院が寺院の中に配置されていたことは、単に人々の病を治すという機能だけでなく、心の痛みや死への不安を癒す慈悲の精神に裏打ちされていたことを示す。本碑文には、京都府立医科大学が千年の都に培われた歴史の礎の上に誕生したことを示す表現が随所にみられ、本学草創の理念が力強く語られている。

療病院碑(読み下し分抜粋)

ひとにして疾病なるや、学ばんと欲すれば能はざるなり、人に尫羸なるや、勉めんと欲すれども、亦能はざるなり、学ばず勉めざれば、何を以てその才を殖やし、その家を富まさんや、夫れ、人材乏しくして民戸貧しきは、及ち国の病なり、是の故に、施政の務めはいまだ民の疾病を除きて、その健康を保つより急なるは有らざるなり我が府、維新の聖旨を奉じ、つとに種痘術を行ひ、駆疫法を布き、遠く名医を海外より徴し、以て衛生医薬を改良し、まさに大いに救済するところ有らんとす。

(療病院建設の経緯・・・中略)

今より後、民の疾病を除きてその健康を保つは、難きことにあらざるなり、こひねがわくば、後に政をこの土に為す者、能くその始を思ってその終わりを善くし、敢えてこれを廃墜有ること莫く、斯民をして永く明治の皇沢にうるおはしめよ。因りてその顛末を記し、石に刻して以人に告げしめんとす。

明治13年12月

 

 

関連記事 ⇒   人物045  新島 八重

石碑 前回の記事 ➡ 石碑中0148 平安京跡発掘調査記念碑  牛車のわだちの跡が出てきた

五七五

狐火や髑髏に雨のたまる夜に /蕪村

京ことば オーキニ ありがとう。「そんなことまでしてモーてオーキニ

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まち歩き北0688  出雲路橋から大文字を見る  鴨川にかかる橋一覧

2018年02月16日 15時55分10秒 | まち歩き

山腹の白いところが 大文字

右が上流   鴨川 の 橋一覧

通学橋

       345m

西賀茂橋

       910m

御園橋

       590m

北山大橋

       840m

北大路橋

       680m

出雲路橋

       775m

葵橋

       205m

出町橋

      165m

賀茂大橋

      840m

荒神橋 

      430m

丸太町橋

      485m

二条大橋 

      245m

御池大橋

      215m

三条大橋

      580m

四条大橋

      195m

団栗橋

      400m

松原橋

      370m

五条大橋

      440m

正面橋

      270m

七条大橋

      255m

塩小路橋

 

まち歩き 前回の記事  ➡ まち歩き北0687  変わった 家の形 

五七五

狐火やいづこ河内の麦畑 /蕪村

 

京ことば オイナイ おいでなさい。「遠慮せんと、オイナイナ」 

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ポスター0087  お買い物はマイバッグを 持ってエコ!  

2018年02月16日 15時49分30秒 | 掲示ポスター

 

ポスター 前回の記事 ➡ ポスター0086  電気のスイッチを 押してエコ!

五七五

遠山に日の当たりたる枯野かな /虚子

京ことば オイデ ヤス  いらっしゃい。

  


ポスター0086  電気のスイッチを 押してエコ!

2018年02月16日 15時47分37秒 | 掲示ポスター

 

ポスター 前回の記事 ➡ ポスター0085  公共交通に 乗ってエコ!

五七五

蕭条として石に日の入る枯野かな /蕪村

京ことば エゲツナイ あくどい。ひどい。「そんなことするってエゲツナイナー

 


ポスター0085  公共交通に 乗ってエコ!

2018年02月16日 11時35分28秒 | 掲示ポスター

 

ポスター前回の記事 ➡  ポスター0084  京都マラソン 2017年

五七五

息杖に石の火を見る枯野かな /蕪村

京ことば ウットコ わたしのところ 「ウットコキーヒン


ポスター0084  京都マラソン 2017年

2018年02月16日 11時26分58秒 | 掲示ポスター

 

ポスター 前回の記事 ➡ ポスター0083 伊藤若冲 生誕300年 とりづくし

五七五

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る /芭蕉

京ことば ウチ わたし。 「ウチでも知ってるワ」

 


まち歩き北0686  お寺の塀

2018年02月16日 06時27分21秒 | まち歩き

 

 

 

まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き右0685  愛宕山 と 小倉山

五七五

天気やゝおちたるかとも冬日和 /虚子

京ことば イラチ 落ち着きのない人。「イラチな人はきらわれるエー

 


道標右0147  渡月橋 にある 道しるべ

2018年02月16日 06時24分56秒 | 道標

 

1  左  琴きゝ橋     2  右  かつらがわ  三川合流点から 18㎞

一筋に雲ゐを恋ふる琴の音に

ひかれて来にけん望月の駒

 琴の名手として知られた小督(生没年未詳)は,高倉天皇(1161~81)の寵愛を受けたが,中宮の父平清盛(1118~81)の逆鱗に触れ,内裏を出て嵯峨野に隠れ住んだ。天皇から捜索の命を受けた源仲国(生没年未詳)は,彼女の琴の音を頼りに居所を尋ね当てたという。この石標は小督の弾く「想夫恋」を仲国が聞いたと伝える橋跡を示すものである。

     関連記事 ➡ 寺院東0358  清閑寺 2

                    寺院東0357 清閑寺  1

 

 

ロータリークラブ 建立

桂川 距離標 18㎞

八幡の淀川・木津川・宇治川の合流点からの距離

3  京都  大正十三年十月   三宅安兵衛依遺志建之

嵯峨御所大本山大覚寺   北十丁

 

南北両朝御媾和之旧蹟大覚寺   北十丁

関連記事 ➡  関連0002  三宅安兵衛の道標

4  史蹟 及 名勝  嵐山

昭和9年10月建設

道標 前回の 記事 ➡ 道標右0146  嵯峨の細みち

五七五

冬凪といふと雖も浪の音 /虚子

京ことば  イラウ 触る。「ソンナン危ないしイラワントイテ

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まち歩き右0685  愛宕山 と 小倉山

2018年02月16日 06時22分17秒 | まち歩き

愛宕山

小倉山

まち歩き 前回の記事 ➡  まち歩き下0684  京都タワー  雨と晴れ

五七五

雁さはぐ鳥羽の田面や寒の雨 /芭蕉

京ことば イヌ(往ぬ・いぬ)  帰る。 「もうイヌワ

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ポスター0083 伊藤若冲 生誕300年 とりづくし

2018年02月16日 06時20分03秒 | 掲示ポスター

京博   とりづくし  干支を愛でる

 

 

ポスター前回の記事 ➡ ポスター0082  北野をどり  上七軒歌舞練場

五七五

おもしろし雪にやらなん冬の雨 /芭蕉

京ことば イチビル 調子に乗ってふざける。「イチビッてばかりでどもならん」

 


まち歩き下0684  京都タワー  雨と晴れ

2018年02月16日 05時59分53秒 | まち歩き

雨模様の中の京都タワー

 

カメラのレンズにも 雨がかかっているのかな

同じ日の 2時間後  ビルに写る京都タワー

見上げる 京都タワー

まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き中0683  古い 看板

五七五

冬雲は薄くもならず濃くもならず /虚子

京ことば イチゲンハン なじみでなく、初めての客。「イチゲンハンはお断りドッセ」

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まち歩き中0683  古い 看板

2018年02月16日 05時58分21秒 | まち歩き

 

かし車  とも書かれています

まち歩き 前回の記事 ➡  まち歩き中0682  この柱 門柱かも

五七五

静かなる樫の木原や冬の月 /蕪村

京ことば  イカツイ  いかめしい。「あの人、イカツイ顔付したハルナー」

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