私が大好きな、作曲家にして自分でも歌う往年のヒットメーカー、バート・バカラック。
彼の代表的なヒット曲の一つに"A house is not a home"という曲があります。
直訳すると「ハウスはホームじゃない」となります。 http://www.lyricsmode.com/lyrics/b/burt_bacharach/a_house_is_not_a_home.html (←このサイトは歌も聴けます。すごいな!)
A chair is still a chair
Even when there's no one sitting there
But a chair is not a house
And a house is not a home
When there's no one there to hold you tight,
And no one there you can kiss good night.
A room is still a room
Even when there's nothing there but gloom;
But a room is not a house,
And a house is not a home
When the two of us are far apart
And one of us has a broken heart. (以下略)
(歌詞抄訳)
椅子は座る人がいなくても椅子だけど
椅子だけでは家じゃない
そして家も家庭じゃないではない
あなたを抱きしめる人がいなかったり
お休みのキスをする人がいなければ
部屋はただ暗がりであっても部屋だけど
部屋だけでは家じゃない
そして家も家庭じゃない
僕たち二人が離ればなれで
片方の心が張り裂けていれば…以下略
※ ※ ※ ※
"house"と"home"って似たような単語ですが、家(house)があってもそこに住む人の営みがなければ家庭(home)にはならないんだ、と歌うちょっと悲しい恋の歌。
この曲は作・編曲のバート・バカラック自身も歌っていますが、ディオンヌ・ワーウィックを始め数多くのアーティストもカバー曲を歌っている往年の名曲です。
* * * * *
この曲を思い出したのは、時々回ってくる住宅政策専門誌に社団法人に本住宅協会が発行する「住宅」という機関誌を見たためです。
11月18日発行のこの「住宅」の2008年第57巻に、「地域の社会資源を活用したホームレス支援とハウジング」と題する記事が載っていました。筆者はNPO法人ほっとポット代表理事の藤田孝典さんという方です。
このNPOほっとポットは、ホームレスの人たちや生活困窮状態の人たちに対する支援を2004年から行ってきた団体。
一般に大阪や東京などホームレス数の多い自治体では、緊急一時保護センターや自立支援センターなど、数十人から数百人規模で収容できる施設を設置して、社会福祉法人やNPO法人などに運営を委託する公設民営型の支援施設です。ホームレス居住支援の現状はこうした施設中心の支援で、民間の賃貸住宅や小規模グループホームの活用は進んでいません。
しかしこのNPOほっとポットでは、さいたま市をベースに地域で空き家になっている一般民家を借り上げ、6畳~12畳の個室を一時的に提供する地域生活サポートホームという支援事業を行っています。
普通の民家なので、台所やお風呂、キッチンなどは共同のシェアハウスで、2万円~4万7千円の利用料を設定しています。
ホームレスの人たちは一般に生活力がなかったり多重債務を負ったりしているので、このサポートホームにいる間に対処支援を行い、おおむね1年をめどに民間の賃貸などへ移ってもらうことにしているのだそう。
※ ※ ※ ※
地域の空き家を利用したホームレス支援のメリットには、人数は少ないものの逆に①軽微なコストで開設出来る、②余剰家屋が多量に存在する、③人間らしい生活空間を提供出来ること、などが挙げられます。
しかしながら課題も確かにあって、一つには「なぜこの地域でホームレスの支援を行うのか」という地域住民との摩擦が生じること。地域の理解は欠かせません。
また単に屋根の下に住んでもらうだけではダメで、在宅福祉サービスなどを初めとして保健、医療、労働支援などと連携しながら生活そのものを支援して行く取り組みが必要です。
第三に、ホームレスの多くは「経済的貧困」と同時に「社会関係の貧困」を抱えているので、社会関係や人間関係などの関係性の回復も支援しなくてはいけないと言うことです。
※ ※ ※ ※
北九州市でホームレス支援を行っている奥田知史氏は「私たちは『ハウス』を物理的概念として理解して『ハウスレス』を『物理的困窮状態』と理解しました。これに対して『ホーム』は『関係の概念』であり、帰属の場所、共同体を指す言葉であることから、『ホームレス』は『関係における困窮状態』を示す言葉と位置づけました」と言っています。
奥田氏の定義によると、物理的な困窮状態を解消しても関係性の困窮状態を解消出来なければ、どこにいようともホームレスなのだ、ということになるのです。
このNPOほっとポットの試みは2007年4月からの試みと言うことで、まだ歴史も浅く十分な知見を得ているとも言えませんが、従来の大規模入所施設による居住支援と就労支援という形態が本当に適切なのか、という問題に一席を投じていることは事実でしょう。
※ ※ ※ ※
バート・バカラックの"A house is not a home"の歌詞の最後はこんな感じです。
I'm not meant to live alone. turn this house into a home.
When I climb the stair and turn the key,
Oh, please be there still in love with me.
一人で生きていきたくはない、ハウスをホームに変えよう
僕が階段を上がって鍵を回した時
どうかそこに僕を愛したままでいてくれないか
いよいよ年末が近づきました。良い年越しになりますように。
彼の代表的なヒット曲の一つに"A house is not a home"という曲があります。
直訳すると「ハウスはホームじゃない」となります。 http://www.lyricsmode.com/lyrics/b/burt_bacharach/a_house_is_not_a_home.html (←このサイトは歌も聴けます。すごいな!)
A chair is still a chair
Even when there's no one sitting there
But a chair is not a house
And a house is not a home
When there's no one there to hold you tight,
And no one there you can kiss good night.
A room is still a room
Even when there's nothing there but gloom;
But a room is not a house,
And a house is not a home
When the two of us are far apart
And one of us has a broken heart. (以下略)
(歌詞抄訳)
椅子は座る人がいなくても椅子だけど
椅子だけでは家じゃない
そして家も家庭じゃないではない
あなたを抱きしめる人がいなかったり
お休みのキスをする人がいなければ
部屋はただ暗がりであっても部屋だけど
部屋だけでは家じゃない
そして家も家庭じゃない
僕たち二人が離ればなれで
片方の心が張り裂けていれば…以下略
※ ※ ※ ※
"house"と"home"って似たような単語ですが、家(house)があってもそこに住む人の営みがなければ家庭(home)にはならないんだ、と歌うちょっと悲しい恋の歌。
この曲は作・編曲のバート・バカラック自身も歌っていますが、ディオンヌ・ワーウィックを始め数多くのアーティストもカバー曲を歌っている往年の名曲です。
* * * * *
この曲を思い出したのは、時々回ってくる住宅政策専門誌に社団法人に本住宅協会が発行する「住宅」という機関誌を見たためです。
11月18日発行のこの「住宅」の2008年第57巻に、「地域の社会資源を活用したホームレス支援とハウジング」と題する記事が載っていました。筆者はNPO法人ほっとポット代表理事の藤田孝典さんという方です。
このNPOほっとポットは、ホームレスの人たちや生活困窮状態の人たちに対する支援を2004年から行ってきた団体。
一般に大阪や東京などホームレス数の多い自治体では、緊急一時保護センターや自立支援センターなど、数十人から数百人規模で収容できる施設を設置して、社会福祉法人やNPO法人などに運営を委託する公設民営型の支援施設です。ホームレス居住支援の現状はこうした施設中心の支援で、民間の賃貸住宅や小規模グループホームの活用は進んでいません。
しかしこのNPOほっとポットでは、さいたま市をベースに地域で空き家になっている一般民家を借り上げ、6畳~12畳の個室を一時的に提供する地域生活サポートホームという支援事業を行っています。
普通の民家なので、台所やお風呂、キッチンなどは共同のシェアハウスで、2万円~4万7千円の利用料を設定しています。
ホームレスの人たちは一般に生活力がなかったり多重債務を負ったりしているので、このサポートホームにいる間に対処支援を行い、おおむね1年をめどに民間の賃貸などへ移ってもらうことにしているのだそう。
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地域の空き家を利用したホームレス支援のメリットには、人数は少ないものの逆に①軽微なコストで開設出来る、②余剰家屋が多量に存在する、③人間らしい生活空間を提供出来ること、などが挙げられます。
しかしながら課題も確かにあって、一つには「なぜこの地域でホームレスの支援を行うのか」という地域住民との摩擦が生じること。地域の理解は欠かせません。
また単に屋根の下に住んでもらうだけではダメで、在宅福祉サービスなどを初めとして保健、医療、労働支援などと連携しながら生活そのものを支援して行く取り組みが必要です。
第三に、ホームレスの多くは「経済的貧困」と同時に「社会関係の貧困」を抱えているので、社会関係や人間関係などの関係性の回復も支援しなくてはいけないと言うことです。
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北九州市でホームレス支援を行っている奥田知史氏は「私たちは『ハウス』を物理的概念として理解して『ハウスレス』を『物理的困窮状態』と理解しました。これに対して『ホーム』は『関係の概念』であり、帰属の場所、共同体を指す言葉であることから、『ホームレス』は『関係における困窮状態』を示す言葉と位置づけました」と言っています。
奥田氏の定義によると、物理的な困窮状態を解消しても関係性の困窮状態を解消出来なければ、どこにいようともホームレスなのだ、ということになるのです。
このNPOほっとポットの試みは2007年4月からの試みと言うことで、まだ歴史も浅く十分な知見を得ているとも言えませんが、従来の大規模入所施設による居住支援と就労支援という形態が本当に適切なのか、という問題に一席を投じていることは事実でしょう。
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バート・バカラックの"A house is not a home"の歌詞の最後はこんな感じです。
I'm not meant to live alone. turn this house into a home.
When I climb the stair and turn the key,
Oh, please be there still in love with me.
一人で生きていきたくはない、ハウスをホームに変えよう
僕が階段を上がって鍵を回した時
どうかそこに僕を愛したままでいてくれないか
いよいよ年末が近づきました。良い年越しになりますように。
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