かつて日本の国土政策を担った官僚の中の官僚と言える、下河辺淳さんが亡くなられたとのことで、日経新聞も大きく取り上げていました。
個別の道路整備や河川整備を行うためにその前提となる国土ビジョンとして5次にわたる全国総合開発計画を主導して、高速道路網の整備や河川整備など今日の国家的なプロジェクトを導くための国家計画を作り上げたのが下河辺さんでした。
国土がまだまだ開発の余地を残し、増大する人口は都市に集中を始めた、まさに日本の高度成長が花盛りの時に国土のあるべき姿をイメージされた方でした。
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年齢も活躍された時代も違ったので、私のような木っ端役人が直接お会いする機会はかつてありませんでしたが、静岡県掛川市で助役をしていた際に、当時の榛村純一市長さんが頼りにしたのが下河辺さんです。
榛村さんは、42歳と若くして市長になった際に、当時国土庁事務次官だった下河辺さんに「中央官庁から助役を借りてまちづくりをしたい」と相談を持ち掛け、その当時の国土庁の課長さんが助役としてこの地方都市に派遣されたのでした。
その課長さんは当時「彼は田舎に左遷された」と噂されたそうですが、下河辺さんは「ははは、ちゃんとその後に処遇はするからいいんだよ」と意に介さずに榛村さんに協力してくれたそうです。
そしてそれ以来建設省、国土交通省から助役を迎え、私が八番目で最後の助役となったのでした。
現役を引退されたのちにも様々な公職につかれていた下河辺さんでしたが、東京の虎ノ門にオフィスを構えられていたのを、「ちょっと寄ってみようか」と東京出張の際に榛村さんと訪ねたことがありました。
下河辺さんは、突然の訪問にもかかわらず「おお、よく来たね」と優しく迎え入れてくださり、一通り世間話に花を咲かせた後で私に一冊の冊子をくださいました。
「若手が僕の話を聞きたいというので、毎回20~30人が僕の講義を聞き、20回くらいやったその講義録を文字に起こしたものなんだが、勉強してみてください」
その内容は、地質学から考古学のレベルからわが国土の歴史を語り、縄文時代からの文化を語り、様々なジャンルで今日の国土論につながるような様々な知識と情報を話されたものでした。
驚いたのは、その文章がすべて話した言葉をそのまま文字にしたものだ、ということ。あとで校正や修正をすることなくあたかも原稿を読むがごとくに、自分の考えが一つの文章になって出てくるのでした。
私が感心していると、「僕はいつもそのつもりで話しているからね(笑)」とさも当然のように笑っておられました。
国土というものに生半可ではない思い入れと勉強と理解をされて深い教養をもつ姿に「超高級官僚とはこういうものか」と感心したことが今でも思い出としてよみがえってきます。
その後全国総合開発計画は、新しく開発するという役割を終えたとして現在は国土形成計画という形で中長期的な国土形成ビジョンの役割を担っています。
国土を俯瞰するような大きなビジョンで国土の将来を語ってほしいものです。
下河辺さんのご冥福をお祈りします。 合掌