「将来に対するぼんやりとした不安」っていう言葉を残して逝ってしまったのは芥川龍之介。芥川でなくても、先行きが見えないと・予見できないと不安ってでてくるものなんですね。
試験のことを言うつもりはありません。だって、受験勉強っていうのは、不合格に対する不安をかき消すためにやるんですからね。
不安ならそれ以上に勉強するしかないわけです。特効薬としては。
試験直前の講師も忙しい。…というわけで、冷蔵庫の中を引っかき回していたら、ぞくぞくと「賞味期限」切れの食品が。一番古いものは「昨年の4月」でしたね。直近では「今年の7月」。パックの鳥皮とミートボール。
世界では飢えている人もいることだし。「国体は護持されたぞ。朕はたらふく食ってるぞ。ナンジ人民飢えて死ね ギョメイギョジ」なんて戦後のプラカード事件がありましたね。
というわけで、食べちゃいました。不安なんて感じていると安全なものも危なっかしくなりますから。自信をもって…。だいたい賞味期限なんて「おいしく」食べられる期限みたいなもんでしょ。
おいしいかどうかは主観の問題ですから。
それでも「漠然とした不安」があるのなら、結果回避義務があるっていうのは新々過失論の教えるところですが。「予見可能性は結果発生の危惧感で足りる」って…。今でも夢の中に出てくるほどのフレーズ。
要するに、不安に思ったら、結果回避のために行動しなきゃいけないというわけなんです。
ところで危惧感説の提唱者の藤木先生。私が刑法を学び始めた頃はすでに鬼籍に入ってしまわれていましたが。買い置きの食品は古くて食べられないって信じ込んでいたという話を聞いたことがあります。
だから危惧感説なのかも知れません。森永砒素ミルク事件控訴審判決などで展開され、一時流行った理論でしたが、沈没してしまったようです。
さきほどの賞味期限切れ。毒見役はチッチ。コイツはげんきんなネコで。ちょっとでもおかしいものは食べない。私が食べたってダメですね。冷めた目をしますよ。ネコの分際で。
ネコも食べないものを食べるのって…かなし~なあ。