博覧こうき

信頼のK&S行政書士受験教室

GW…勉強する理由・しない理由

2008-04-30 02:19:34 | Weblog

企業の中では先週の土曜日。26日あたりからGWに突入したところもあるでしょうね。それでも中にはカレンダー通りだという会社もあるんでしょうね。ニッポン人は勤勉ですからね。

K&Sは27日の日曜日からGWに。これだけは世間並みに。GWといっても取り立てて計画を立てて実行するほど几帳面な性格ではないのですが。

目下、順調に仕事が進捗しています。かなりの充実感。だいたいこの30日までに仕事の目鼻を整えておかなければ、アッという間に連休が終わってしまいますからね。これが世の常でしょうか。

旧司法試験は5月の第二日曜日に「短答式試験」があるんですね。今でもそうでしょうか。受験生はこのGWをどう乗り切るかが勝敗の分かれ目でもあります。みんなウキウキしているこの時期に。

直前の「短答式模試」に通うっていうわけです。電車の中で六法を読みながら…。あんなツライことはないですね。天気もいいと。母の日に試験をやることなんか、早く合格して親孝行せよっていう法務省の暖かい配慮なのかも知れませんが。

勉強する理由はいたってシンプルそのもの。「合格したいから」なんですね。だから、治安の夢に耽っている栄華の巷を低くみれるんです。

勉強しない理由。これなんていくらでもありますね。だいいち言い訳を始めたらきりがない。どんな忙しくても30分ぐらいの時間はあるでしょうに。いくら多忙な人だって。時間がないっていう人は、朝、起きてから寝るまで。何をやっているのか紙にでも書き出してみるといいですね。

どんな試験でも「八方美人」の人は合格が難しい。あっちの付き合い。こっちの付き合い。…ってばかりにやっていると。トライアスロンを日課にしているようなもんです。

「水は低きに流れる」。一度、横着しちっゃたらどんどん横着になってしまいます。そのうち、どこから手をつけていいかわからないってほどに。

じゃあ、どうすればいか。答えは簡単です。私だったら、勉強するの・試験を受けるのをやめちゃいます。私は「勉強している姿勢に迫力がなくなった。こわさがなくなった」という元カノの一言で勉強するのをやめちゃいました。その年のGWが楽しかったこと。世の中にこんな楽しい日々があるなんてはじめて知りましたよ。

昔むかしの元カノ。30日がバースディーなんです。20年以上も経っているのに…。いまだに覚えているのがかなしい。

  ♪涙でまつげを濡らしても 昔愛した人のため 熱い恋の誘惑に耐えている♪

やっぱり腐っていたか…

2008-04-29 03:40:46 | Weblog


新聞によれば、東大の大学院での入試問題の漏洩があったと…。やっぱり内部から腐っていたんですね。例外でなく。

「東大は腐っている!」って捨てセリフを残して象牙の塔から去って行ったセンセー。西部センセーだったか・舛添厚労相であったか…。忘れてしまいましたが。あっぱれ~

でもあそこだけなんですよね。成績順に採用してくれる院って。他の大学院はほとんどコネが支配しているような。そんなところも少なくないですからね。指導教授の推薦書を持って行って。(もちろん、大学によっては推薦書の提出を義務づけているところもあって)

某国立の大学院。試験監督にやってきた助教授(今じゃ准教授)のセンセー。座席の教え子らしき受験生の頭をなでなで。(他の受験生は一斉に反発の目。めっ!)。今じゃ有名な憲法学者のセンセー。

院の入試問題だけじゃなくて…。かつては司法試験の論文式問題の漏洩の疑惑なんかもありましたね。民法学者のKセンセーでしたか。そのセンセーが講義しなかったところは司法試験には出題されないって…。

とうぜん学年末問題などは売れましたよ。似たような問題が司法試験に出題されたこともあったとか…。そんな噂もありましたね。

「そもそも論」などを展開するつもりはありませんが。やぱり試験は公正でなくちゃ…ね。もっとも、試験があるからインチキするヤツが出てくるんですから、廃止しちゃってもいいんじゃないですか。社会で淘汰させれば。

コネで研究者になったヤツも知っていますが。なったらなったで、それなりのいっぱしの顔をしていますからね。外観では判断がつきませんや。

「研究を行なうにつき」の判断。主観的意図は問わない、行為の外形で判断するって「外形理論」。使えるはずもありません。内容がポイントなんですからね。

センセーの中にもとっぽいセンセーも少なくなくて。院生に論文を書かせて自分の名前で発表しちゃったIセンセー。助手の理論をぶんどっちゃったSセンセー。

口のきき方から指導する世界。ぜったい服従の世界。魑魅魍魎が棲息している世界ですね。

あなたと私は、似たものどうし

2008-04-28 02:32:44 | Weblog


「つつじ」の季節。17日は親父の命日だったんですが(昭和43年。私はかろうじて胎児ではなかったんですが)。親父は「つつじ」が好きだったという話を聞いたことがあったんで。

「つつじ忌」ってわけじゃありませんが。つつじを愛でに出かけました。「つつじ祭り」なるものがあちこちでやっているようで。

その「つつじ」と「さつき」。まさに似たものどうし。それもそのはず、「さつき」というのは、「さつきつつじ」と言うのが正式な名称。「さつき」というのはその名前の略称なんですね。さつきはつつじの一種。

見分け方もいろいろあるようで。新葉より花が咲きに咲くのが「つつじ」。「さつき」は葉が出てから花が咲くんだと。でも、花がいつ咲くのかまでなかなか観察はできませんから、この基準は意外に使えないかも。

「つつじ」は、4月中旬頃から5月上旬にかけて咲く。「さつき」は5月中旬から6月中旬にかけて咲くっていう。もともと「さつき」は陰暦の五月頃に咲くことからの命名なんですね。「つつじ」が咲き終わってから、咲くのが「さつき」。これはわかりやすい。こんな形式的な判断でいいんでしょうかね。

 「五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする」

「菖蒲」と「菖蒲」はどうです。漢字で書くと同じ漢字。前者が「あやめ」で後者が「しょうぶ」(花しょうぶ)のつもり。湿地帯に咲くのが「しょうぶ」で、乾燥地に咲くのが「あやめ」。「しょうぶ」は「あやめ」の古名。だから漢字も同じなんでしょうね。

似ているものは区別しないと使えないってものも少なくないですね。植物の問題ならばどうでもいいような問題でもありますが。

法律用語ともなると、どうでもいいやとすましているわけにもいきません。意味が大きく違ってしまう場合もありますからね。「その他の」と「その他」とか。「取消」と「撤回」とか…。記述式では「権限」と「権原」などの違いにも注意が必要なんですね。

日頃の学習の際に区別しておさえておくことが必要ですね。そこで今回のおススメ本。『似たもの法律用語のちがい・三訂補訂第二版』(法曹会/本体1095円)。やや古くなってしまいましたが、第三版はまだ出ていないようです。

  ♪いたわり合って 別れましょうね こうなったのも お互いのせい♪

ゼロから…民法0・1・2・3条

2008-04-27 02:16:27 | Weblog


26日。スタンダード論点講座/ローラー演習民法スタート。慣行にしたがって、「一般条項」からのスタート。90条はともかく「1条各項」。

その一般条項は伝家の宝刀。伝家の宝刀は抜いちゃいけないわけなんですが…。時と場合によっては抜かざるを得ないってことも…。

この一般条項を含めて、ここから民法を考えてみようというのが。『民法0・1・2・3条〈私〉が生きるルール』(大村敦志/みすず書房・本体1600円)。「教える-学ぶ」ためのシリーズ「理想の教室」の1冊。

市民講座での講義(3回の授業ということです)の一部をまとめたものですから、語り口はまさに読者に語りかけるようで…。語り口はやさしいのですが、内容的にはまったくの基礎っていうわけでもありません。

要するに、私に言わせりゃ、文章がわかりにくい。そんな部分もありますが、いい本です。このGWどうせ勉強しないでいるんなら、読んでみませんか。

「「民法の思想」とはどのようなものか。1000条以上の条文の中で最も大切な4、5か条に集中して丁寧に解説します。」っていうのが「あとがき」の言葉。

本書のタイトルのうち「1・2・3条」もここから。でも、これは「明治民法」(いわゆるボアソナードの起草した「旧民法」と区別する意味で、明治時代に制定された平成16年の現代語化以前の民法をこう呼びます)のことです。もっとも、著者は「旧」ではなくて「原」という言葉で表していますが。

【明治民法】(明治29年法律89号)
第1条 私権ノ享有ハ出生ニ始マル
第2条 外国人ハ法令又ハ条約ニ禁止アル場合ヲ除ク外私権ヲ享有ス
第3条 満20年ヲ以テ成年トス
ここには「19世紀の民法の思想が現れている」というわけです。

戦後間もなくの改正(昭和23年)で新たに追加された条文。1条と1条の2。これも今となっては「旧規定」ですがね。

【現行民法/旧規定】(昭和22年法律222号)
第1条①私権ハ公共ノ福祉ニ遵フ
 ②権利ノ行使及ヒ義務ノ履行ハ信義ニ従ヒ誠実ニ之ヲ為スコトヲ要ス
 ③権利ノ濫用ハ之ヲ許サス
第1条ノ2 本法ハ個人ノ尊厳ト両性ノ本質的平等トヲ旨トシテ之ヲ解釈スヘシ
 ※これらの部分が、いわゆる「民法0条」っていうことなんですね。「旧1条、2条、3条」の前に、戦後追加されたわけですから。
第1条ノ3 私権ノ享有ハ出生ニ始マル
第2条 外国人ハ法令又ハ条約ニ禁止アル場合ヲ除ク外私権ヲ享有ス
第3条 満20年ヲ以テ成年トス
これらの規定に「20世紀の民法思想」を発見することができるんですね。

結局、『民法0・1・2・3条』という書名。現行法でいうなら「民法1・2・3・4条」っていうことになります。

【現行民法/新規定】(平成16年法律147号)
第1条①私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
②権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
③権利の濫用は、これを許さない。
第2条 この法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として、解釈しなければならない。第3条①私権の享有は、出生に始まる。
②外国人は、法令又は条約の規定により禁止される場合を除き、私権を享有する。
第4条 年齢20年をもって成年とする。

ところで民法といえば…。おススメの本は多いのですが、ここでもう一冊。『民法のすすめ』(星野英一/岩波新書・本体660円)。もともと岩波新書は市民向けに書かれたものなんですが、この星野先生のご著書も。ただ放送大学の印刷教材(「民法」と「法学入門」)が底本ですが。

かつて「民法施行100年記念シンポジューム」に参加した折、星野先生いわく。「民法に対する私の考えを書いておきました」と。(サインをいただくのを忘れてしまいましたが)

「日本国の構成原理の基本がデモクラシーであるとすれば、日本社会の構成原理は民法に示されているはずである。こういったことを読者に見てもらいたかった。」(同書「あとがき」より)

せっかく先生がおっしゃっているのですから、「見て」みませんか。


「苦手の分析」のススメ

2008-04-26 03:33:02 | Weblog


25日。届いた『法学教室』の5月号(通算332号)。(いわゆる「第三期」です。1期8冊・2期8冊。第三期は月刊になりました。創刊号から買っていますので、331冊がわが家の奥深くに眠っていることに…)

この5月号の巻頭言は、交告教授の「苦手の分析」。(因みに交告教授はT大の行政法の研究者)。

「世の中は音楽体質の人と非音楽体質の人」がいるのではとの書き出しから始まって、いかに自分が音楽的素質に恵まれていないかってことを延々と。

交告に限らず、私なんかも音楽はおろか芸術的な素質などまったく持ち合わせていませんね。親を恨みますよ。もう少し感性豊かな人間に育ててくれりゃ良かったのに…。男3人兄弟の次男坊なんてほったらかしですよ。

高校に入ると、当時は「芸術系科目」から1科目選択しなきゃいけなかった。音楽・美術・書道の3つから一つを。親父とごろつきの兄貴は書道が達筆でしたが、劣性遺伝なのか…。私は硬筆も毛筆もからきしダメで。

…というわけで消去法の方法もないんです。音楽ダメ・美術のセンスもなし…っていうわけですから。消去法が使えなかったんですから、「比較衡量」をすることに。(この頃から「法律」の基礎が芽生えたのかも)

三者の衡量はたいへんです。そんな秤があるんならお目にかかりたいですがね。……しているうちに先輩の「書道はいいぞ。授業中、墨を摺ってるだけでいいんだから」なんて。甘い言葉に騙されました。

まっ、たしかに2週間か3週間にいっぺん清書を提出すればいいんですが。色紙に人生訓みたいな熟語(二字でも三字でも四字でもよかった)を書く授業で。何にも書くこともないので、「青風」って書いたら放課後に呼び出し。書道の先生に。

どういう意味かと聞くもんですから、「風が青いんです。」と。「どうして青いんだ」と(もう、しつこい)。「だから、赤くはないんです」と…。

ここで交告教授の締め括りの文章を。「どんなに法律が苦手でも、「こうけつせんせいの音楽よりはマシ」と思えば救われるということ、それから、苦手だ苦手だとばかり言っていないで、苦手という言葉で何を意味しているのかを緻密に分析してみるべきだということ。多くの諸君には後者で足りると信じるが、もし前者で本当に救われる人がいれば、それもまた嬉しい。」(交告尚史/『法学教室』№332)

動物=財団類似の法人

2008-04-25 04:37:16 | Weblog


物の分類の一つ。土地とその定着物が不動産(まさに「動かざるもの」っていう)。それ以外の物が動産(まさに「動くもの」)。

「動くもの」が動産であって、しかも不動産以外の物っていうわけですから、動物は物であってしかも動産なんですね。少なくともわが民法の立場。

動物。生命を持っていて・しかも痛みを感じる存在なんですから。(ミミはよく足元にまつわりついて来ますから、ついつい…。長い尾っぽ・足を踏んじゃう。ぎゃあと大きく鳴いて、飛びかかって来ますね。怒っているんでしょうね。たぶん。その後で、踏まれたところを嘗めていますね。痛いんでしょうね。たぶん)それなのに机とか車などといっしょに扱っちゃうとは…。

「物」の講義で話したんですが。98年のオーストリアの民法改正で「動物は物ではない」との規定が盛り込まれたっていう。「海外法律情報」で紹介されていました。その当時。

この影響を受けたのか。翌年の99年にはドイツ、フランスでも「動物は物ではない」との規定が。要するに、特別法の保護を受けるっていうことなんですね。

かかる規定の意味はともかく、動物保護の理念の表れとしてそれなりの評価がなされているようですが。

そのフランスのある学者の主張。「動物法人論」。動物は法人だというのです。フランスでもふつうに想定されているのは「社団」と「財団」ですから、かなり奇抜な発想。

フランスの法人理論。団体に「固有の利益」と「意思表示機関」があれば法人であると…(青木人志『法と動物-ひとつの法学講義』/明石書店・本体2.300円)。それで、だれが意思表示をするかというと、動物保護団体ていうことらしい。

わが国では。「法人法定主義」(民法33条)なるものがありますから、動物法人論は人気ないっていうか…。主張する人が少ないようです。

それでもペットが家庭にかなり入り込んでいる現在。ペット可のマンションも増えていますね。ペットはダメっていうマンションでもこっそり飼っている家庭も少なくないようです。わが家のように。(エサをやらないと隣に向かってニォーン、ニォーンなんて大きな声で鳴きますから、もうバレバレ)。ペットを飼っている社員に家族手当のようなものを支給している会社があるとか…。

近い将来。わが国でも「動物は財団類似の法人」っていう時代が来るんでしょうかね。たぶん。どれだけのメリットがあるのかはわかりませんが。

動物が法人格を有するのならば、サルのバナナを横取りしたら、所有権に基づく返還請求権を行使されちゃうんでしょうか。

失踪・帰還…イノック・アーデン

2008-04-24 03:20:00 | Weblog

わが民法の「失踪宣告」の制度。普通失踪であれば7年間の音信不通。その後、所定の手続を経て家庭裁判所による「失踪宣告」。

問題はひょっこり生きて戻って来たとき。切ない悲劇がも起こるわけです。特に、残された配偶者が再婚してしまった場合。

「三者仕切り直し」っていう単純にはいかないようですね。覆水は盆に返らないし…。再婚した者双方が善意であれば、再婚(後婚)を有効とする(32条1項後段)のが一般的な見解であり、戸籍実務での取扱いですね。

テニスンの叙事詩『イノック・アーデン』(入江直祐訳/岩波文庫・本体360円)もそんな作品。最愛の妻子を残して、その妻子の生活のために遠洋航海に出かけ…。事故に遭い、10数年も音信不通。諦めきれない妻アニーでしたが、いろいろ悩んだ末に幼馴染のフィリップと再婚することに。(イノックとその妻アニー。そしてフィリップはともに幼馴染)

再婚して幸せに暮らしているんですが…。ある日、突然イノックは帰ってきます。アニーが再婚したのを知って黙って立ち去るんです。(同じ町に住むんですが)

  ♪恋の終わりはいつもいつも 立ち去る者だけが美しい♪

その結果…。本を読んでください。文庫本で90ページ。しかも叙事詩ですから。読破するのにそう時間はかかりません。ただ涙にむせばなければの話ですが。

わが邦にも。そんな話があります。『伊勢物語』(中河與一訳注/角川文庫)。底本によっては「第24段」(あるいは25段)。

3年間、夫の帰りを待っていたが、帰らない。他の男と結婚しようとするその夜に夫が帰って来たんです。

妻:「あらたまの 年の三年を 待ちわびて ただ今宵こそ 新枕すれ」

夫:「梓弓 ま弓槻弓 年をへて わがせしがごと うるはしみせよ」

どこまでも優雅ですね。切ないですが…。立ち去ろうとした元の夫を妻は追っていきます。

妻:「梓弓 引けど引かねど 昔より 心は君に 寄りにしものを」

…けっきょく、妻は夫に追いつくことはできなくて…。「いたづらになりにけり。」

  ♪残されて戸惑う者たちは 追いかけて焦がれて 泣き狂う♪

※伊勢物語の和歌の現代語訳は「ミクシーの博覧こうき」をご覧ください。泣けますよ。

法廷で「人殺し」と呼ばれて

2008-04-23 05:46:48 | Weblog


おおかたの予想どおりの判決。山口県光市の母子殺害事件の差戻し後の控訴審判決。「主文後回し」ということからも予想はつきましたね。

主文(量刑の宣告)を先に読み上げると被告人はショックを受ける…そんな事情から主文を後回しにする慣行があるようです。

死刑については、賛否両論。元最高裁判事で刑法学者の團藤先生。死刑廃止論者で有名なんですが。最高裁の判事当時。判決の宣告があって退廷するとき(第一小法廷。團藤先生は裁判長ではなくて陪席だったとのこと)傍聴席から「人殺し!」っていう声が飛んだと…。語っておられましたね。

(「法廷で「人殺し」と呼ばれて」團藤重光・伊東乾編『反骨のコツ』所収)。これが先生の死刑廃止を主張するきっかけにもなったようですが。元気の出る「反骨のススメ」。一読をススメます。朝日新聞社から「朝日新書」として刊行。本体740円です。GWにでも。

その死刑適用の基準としては、永山事件の際の最高裁判決があります。この17日付けの日記にも紹介しましたが、再び。穴埋め問題もそのままに。

「死刑の適用が慎重に行わなければならないことは当然であるが、死刑制度を存置する現行法制の下では、各般の情状をあわせ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも(  )の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許されるものといわなければならない。」(最判昭58.7.8刑集37-6-609)。

判旨の( )の中には「特別予防」か「一般予防」のいずれかが入るんですが、こんな問題10秒ゲームです。

くだんの控訴審判決。仄聞するところによると、弁護団は上告するらしいですね。最高裁が原審判決を破棄して差戻しをしたわけですが。破棄差戻後の判決に対する上告がなされて、さらに再び審判する場合、最高裁判所みずからも前の判示に拘束されるわけなんですね。これは判例。

もし変更できるということになれば、事件はいつまでも終わりませんからね。また、大法廷が小法廷の差戻判決に示された判断に拘束されるかも問題。判例はないようですが、「拘束される」っていう見解が多数説でしょうか。

それにしても今回の法廷戦略。新弁護団のやり方にも賛否両論があるようですが。差戻の理由が「死刑を回避するに足りる、特に酌量すべき事情があるかどうかさらに審理を尽くさせるため」というのですから、弁護団もこの点を中心にすれば…。

ひょっとしたら結果が変わったかも知れません。あるいは酌量すべき事情が見つからなかったのかも知れません。

弁護団は「事実こそが最大の情状」だと…。弁護士の使命は、実体的真実の発見にあるんですが…。

もう一つのルネッサンス

2008-04-22 01:17:08 | Weblog

「ルネッサンス」といえば、中世イタリアのそれが有名ですね。「文芸復興」などと訳されているようですが。神中心の世界から「人間性の回復」。「神は死んだ!」

法の世界にもルネッサンスが。言わずと知れた「自然法の再生」。フランスの法学者ジョゼフ・シャルモンの日本語版の邦訳(昭和2年・大澤章訳/岩波書店・2円20銭)。

古書価2万3千円ほど。神保町のある古書店で見つけました。1600円。箱入りで保存状態も良好。美本ですね。さも「買ってくれよ」といわんばかりに、無造作に積み上げた本の上に。

この本は以前、2千円ちょっとで他の書店に出ていたのを一歩の差で買えなかったもの。本は欲する者の手に渡るとか…。

新刊書・古書を問わず、本を買ったらその日のうちに「はしがき」を読んで、「目次」をチェックするんですが。この本は訳者の序文が18ページもあって…。

自然法。19世紀の法実証主義の全盛によって沈没させられてしまったかの感があるのですが、法実証主義の下での法律学の危機を背景として、歴史法学への抗議として書かれたもの。

シャルモンによれば、自然法の理念なき立法は、法律を政策のための手段にすぎないものとさせ、法律に対する尊敬の念などを失わせるなどと。

それでは自然法とはいったい何かというと。自然法論にもいろいろな考え方があって…。法学者の中にも自然法を認める学者と認めない学者とがいるわけですが、一般的には認めない人のほうが多いとも言われています。もっとも、「基本的人権」を扱う際の憲法学者は一般に自然法を認めるんでしょうね。

なぜ「自然法」というのかというと、その法が人または社会の「自然」の本性(nature)に基づいて成立すると主張しているからなんですね。

それだからこそ・それゆえに、法とは歴史の過程の中から生成・発展してきたものだという歴史法学からは批判されるんですね。

「自然法の夢は見尽くされた」などと揶揄されてもいたわけです。ところが、20世紀になって「自然法のルネッサンス」が主張されるんです。これがシャルモン。そして第二次大戦後のナチスの立法への批判。

ナチスの悪法に対しては、あまりにも無力であった実証主義的な法学者。反省すべきところはキチっと反省しなきゃ…。

はじめての法教育Q&A

2008-04-21 01:08:27 | Weblog

子どもの頃から「法教育」を…という観点からの「法教育」の推進。つとに法教育研究会が法教育の普及・発展の方向性を示す報告書と4つの教材例を発表していました。

それを受けての法教育推進協議会編集の本書。『はじめての法教育Q&A』(法教育推進協議会/ぎょうせい・本体2.190円)。法教育に携わる現場の教師に対する指導書の類ですね。

法教育の授業を収録したDVD付。これを観ると対象は中学生ですね。…とはいえ、かなり内容も濃いです。もちろん法律の条文や制度に関する知識を教えようとするのが目的ではありません。

このDVD。現場の先生がた。けっこう熱が入っていて…。楽しいしし観ていて飽きません。身振り手振りで予備校の講師顔負けの先生も。

要するに、社会生活を送る上でのルールを教えようというわけです。どうしてルールが必要なのか。どのようなルールがもっとも適当なのかという…。

リトル・リーガル・マインドの養成とでもいうべきでしょうか。具体的な法律など教えるわけじゃないですから、よりいっそう法的な思考力をマスターできそうです。

こまっしゃくれた子どもが増産されるか…健全な小国民が誕生するかは今後の法教育の成果次第でしょうかね。

「法律的に考える」ことが苦手だという方。条文の暗記に勤しんだ結果、根本的なことからあまり考えてはこなかったなという方。一読をススメます。目からウロコってこともありうるかも。

第1章 ルールづくり(実際にルールを作る手順などを学ぶ)
第2章 私法と消費者保護(私的自治なんかも登場。契約の解消方法も)
第3章 憲法の意義(近代憲法の意義なども考える)
第4章 司法(紛争の意義と民事裁判など)
それぞれの章ごとに「Q&A」がついています。

何の法律知識もない中学生にどう教えるか。これを考えるだけでも十分勉強になりますよ。GWあたりに読まれてはいかがですか。

因みに、本書の「Q」を何問か紹介しましょう。どのように答えますか。

Q46 契約自由の原則からすると、法律が必要となる場面は限定的だと思うのですが、どんなときに法律が必要となるのですか。
Q57 映画出演契約や野球選手の契約について、これは能力を買うという売買契約ですか。それとも雇用契約ですか。
Q73 民主主義」と「国民主権」はどう違うのですか。
Q99 「民事責任」、「刑事責任」、「行政責任」の意義をどのように教えたらよいですか。
Q113 民事裁判と刑事裁判とでは、裁判官の下す判決にどのような違いがありますか。
Q115 刑事裁判では無罪だが、民事裁判では損害賠償責任が認められるというように結論に差が出る場合があることをどのようにわかりやすく説明しますか。