天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

宗像の森林都市句会を訪ねる

2016-12-03 06:09:16 | 俳句


12月1日、飛行機に乗って博多へ降り鹿児島本線で赤間へ至る旅をした。
当地で鷹の大先輩梯寛さん(79)が指導する第239回「森林都市句会」に参加した。呼ばれたわけではなく押しかけた。239回といえばもうすぐ20年である。
以前から「森林都市」というファンタスティックな名前にひどく惹かれていていつかこの句会へ参加したかった。
ぼくはこの命名を梯さんがしたのではと思っていたが違った。西鉄バスの停留所に名前がありここを開発した九電不動産(株)が命名者らしい。そんなことを知って満足する酔狂者である。





左:梯寛さん   右:天地わたる



この句会で面識のあるのは梯さんと西村薫さんの二人。あとの方は初対面であった。
梯先生をさておきしゃしゃり出るのもどうかと思ったが結局かなりしゃべった。あとで「アナウンサーのようでした」と藤原輝子さんに言われた。
ぼくだけでなくみなさんよく発言する明るい雰囲気であった。
ぼくは、「吹き入りて渦巻く落葉溜りかな」をきちんと見た写生句として期待して出していたが中山幸枝さんに「落葉溜りってそういうものでしょう」と軽くあしらわれてしまい零点。手ごわい。梯さんのことをぼくは「丸さん」と愛称するのだが、そのようにおおらかな指導者の気質が句会の明るさを醸成してきたのだろう。

さて、ぼくが気づいた句を紹介しながら句会の10名を紹介しよう。

庭いじり父のセーターたつぷりと 木原恵一郎
「たつぷりと」がわからないという意見が相次いだがぼくは亡き父の形見のセーターと解釈した。だぼだぼなのは着過ぎて伸びてしまっているのである。それは案外着やすくて身になじむ。作者は生前の父のように庭いじりに没頭している。父への哀悼と読んで味のある句である。

生姜湯今宵の雨は白くなる 井上山兵
「生姜湯も白いのだから白い雨が効かない」という梯さんの指摘はわかるのだがぼくはこの風情をそう悪くないと思った。「白くなる」は今白いのかどうかわからず胡乱。俳句は今を詠むのがよく、たとえば「白々と今宵の雨や生姜酒」のように断言してはどうか。

しかし次の句の中七のや切れは強すぎるのではないのか。

深く嗅ぐ珈琲の香や冬の虹 西村薫
それに「嗅ぐ」が見た目、音感ともに美しくない。切れを入れるとすれば上五がよくぼくならば「冬虹や珈琲の香を深く吸ふ」と終盤をやわらかくおさめる内容だと思う。湘子の提唱した型を守るのは基本であるが柔軟に俳句の内容に表現を添わせたい。

闘病の窓に野菊と彼岸花
 西田和子
この句の難点は闘病しているのが作者か別の人かわかりにくいところ。「闘病の窓」という出発が乱暴ゆえこまやかに書いたほうがいいだろう。闘病がはっきり自分であるとわかる例句として野沢節子の「冬の日や臥して見あぐる琴の丈」をあげた。

忘却は神のめぐみや冬ぬくし 麻生千鶴子
やや観念的だが年配者の感慨だろう。

靴下はいつも右から花八ツ手
 藤原輝子
季語のつけ方はいいだろう。「履く」をいったほうが落ち着くので「靴下は右から履くよ花八ツ手」ではいかがだろう。



飛石に足許あやし笹子鳴く 深尾弘子
場面設定がよく見える句となった。踏み外しそうな危うさをそう悲観していない「笹子鳴く」にユーモアがあってよい。


しつかりと吊革掴む師走かな 原口すま子
見逃しやすい素材でうまく師走を言い止めてすばらしい。師走らしい句でありこういわれてみるとコロンブスの卵といったところ。

初時雨白樺林灯るごと
 梯寛
本日の句の中でもっとも感覚的にできている句であり一読して目に飛び込んできた。
西村薫は時雨は京都でこそ風情があり信州を感じるこの風景にそぐわないと、まるで飯島晴子みたいな異論を述べるがそんなに拘泥しなくていい。
大降りでない時雨の煙っぽい風情を「灯るごと」といったのは白樺林だから効く。よもや梯さんではないと思ったが…。蓋を開けて作者が知れるときの楽しさも句会ならではのもの。

灯に透かす便箋の綾一葉忌 わたる
2点入り梯さんも「文句ない」というのだが幸枝さんは「やわで天地わたるらしくない」と手厳しい。幸枝さんは書く句からは想像できないほど句評が厳しかった。こういうことを知るのも対面句会の楽しみ。

句会後宴会をしてみなさんとさらに盛り上がった。
コメント (3)
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