波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

       思いつくままに

2010-12-01 09:59:12 | Weblog
お恥ずかしい話になりますが、今から20年近く前から10年誌なる日記を書き始めて
20年近くになります。勿論こんなことは何でもない事で、あまり意味も無いことかもしれません。基本的には過去を振り返ることも好きではないので、古いものを見ることもありません。ただ一日を終えて終わる時に自分が「今日はどんな日だったのか」と思うときにこんなことがったなあと反省を込めて考える時にメモのように書き留めているだけのことなのだが、今年になってから(春頃からか?)その最後の行に「小さな幸せ、喜びの発見」という項目を付け加えることにして、その日の出来事の中から心に残ったどんなささやかなことでも、感動を覚えたことを書くようにしている。(単に良かったなあと平安を感じたこと)
私のような一人暮らしのところには、訪ねてくる人など殆どないのだが、それでも時々
突然の訪れを知らされることがある。ある日の朝、呼び出されて出てみると、背負い子に
赤ちゃんをおぶり、手には大きな荷物を持った若いお母さんが立っている。その横には
少し年輩の婦人がいた。聞くと「あなたは先祖を大切にしていますか。先祖を大切にすることをお勧めしています」という。いわゆる宗教団体の勧誘ではない。
話を聞いていると、その若いお母さんは一人っ子で育ち、甘やかされたこともあり、自分の好きな行動で家を出てしまったこともあったが、ある時、自分が今日あるのは自分だけの力ではないことを知らされ、我に返り、結婚して子供にも恵まれ幸せを得たということであった。立ち話のままであったが聞きながら心の温まる思いを持つことが出来た。
また、2ヶ月に一度ほど清掃に来ている係りの婦人から、「その節はありがとうございました」と声をかけられた。何のことかと瞬間思い出せなかったが。夏の暑い日に作業をしている姿を見かけて「麦茶ですが、一杯いかがですか」とお盆に載せて勧めたことがあった。どうやらそのことだったらしい。秋が来て、冬が近いこの季節になって、偶然顔をあわせお礼の言葉をかけられ、この時も思わぬ喜びを受けることが出来た。
毎日の生活は何気なく過ごしていると、何も感じないでむしろ「ああしたい。こうしたい、あれが欲しい、これが欲しい」と不平、不満が残ることが多いものである。しかし
ちょっとした考え方で人は幸せなときを得ることが出来ることを知るようになった。
それは話す言葉でも、どんなに立派な内容で話が出来ても、その言葉に本当の愛が込められていなければ空虚なものでしか、伝わらないのと同じで虚しいものでしかないことになる。

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