馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

2012年6月10日 ブログ再掲 友、遠方より来たる。年年歳歳花相似たり、歳々年々人同じからず。

2016-06-09 19:58:37 | 日記

6月8日(金)11時に新京成初富駅に降り立った。

待ち合わせ時間は11時45分なのだ、

駅前にあったショッピングセンターは閉鎖されていた。

少し慌ててコンビニを探した。

コンビニで線香と日本酒の紙パックを二つ買う。

店で花屋の場所を聞く。仏花を一束買って陽射しが強くなった

住宅地を歩く、スーツにネクタイは暑い。

共同墓地に着いた。

墓にはすっかり萎れた花束があった。

墓地内ゴミ置き場に捨て、墓石を拭いた。

それから再び初富駅前に戻った。

11時45分、駅前に3人が待っていた。

一人は東京住まい、夫婦は今朝5時起きして下関から飛行機でやってきた。

夫婦とは2年ぶりの再会。

再び墓地に戻る。

桶に水を入れ柄杓を持ち、もう一度墓石を清掃。

花束を活け、線香をたき、日本酒を墓石の上から注ぐ。

下関の夫婦は墓に向かって「来たぞ」「やっと来れました」と呟く。

煙草のショートホープも墓前に火をつけて置いた。

あいつの生涯の友であった日本酒が墓石をつたい、下の蓋石から骨壷の庫に流れた。

紫煙は正午の陽射しの空にゆっくりと消えていった。

暫し黙祷と思い出を語った。

ここには同期の体育会執行部にいた女性の実家が近くにあり

花を生け、清掃してくれていることを伝えた。

13時、駅近くの日本料理店に入った。

酒豪である下関からきた友人はビールを飲み、日本酒を常温で飲み続けた。

この友人は大学で応援団 団長だった。

昭和の団塊世代、花の応援団

首が動かせないような学ランを熱暑でも着て

押忍!と挨拶しながらキャンパス内を闊歩していた。

今では男子部員は二名しかいないが

女子応援チアーリダーは多数

 

1年遅れの卒業後

故郷の下関に帰り、漁協関係の仕事に就いた。

この墓地に眠る友人は合気道部の主将だった。

学生時代からの飲み仲間だった。

3年前、亡くなったあいつは下関に団長を尋ねて行った。

4日間も酒を朝から飲み続けたと楽しそうに語った。

独身であった彼は友人に「死に場所を探したい」と常々言っていた。

そんな訳で、下関の団長の空き家に住もうと出かけたのだ。

結果は断念したのだが。

夫妻は下関で歓迎して歓待したのだった。

あいつは食道癌で2010年6月25日に逝った。

その時葬儀 偲ぶ会、納骨に行けず

墓参できないことに心痛めていた。

やっと心の重荷が少し軽くなったのだ。

 

私は当初、東京在住の友人から、墓の場所が分からないので

一緒に案内して欲しいと依頼されたが断った。

別の友人が案内することになったが、8日は急遽仕事で

行くことが出来ないと連絡があり、私が案内することになった。

 

東京在住の友人から、墓参を断った当初、激しく非難された。

致し方なく事情を話した。

 

 

お前に苦言を呈す

 

 

話を聞いた友人はあっけに取られ「あいつは口だけで何もしない、何も出来ない、人望も信頼感も無いから誰も相談しない」

「懸命に介護したあなたに八つ当たりして最低の大馬鹿野郎だ」

履き捨てるように叫んだ。

私も思わず笑いながら頷いてしまった。

 

私は一周忌出席も拒否されてしまった状況なのだ。

私は亡くなったあいつの事では周囲とは関わるのを止めたのだった。

身内でもない者が一周忌を取り仕切る違和感があったが

取り仕切った幹事の心情を思うと「大喜びだった」

同じ体育会でクラブは違うが在学中、卒業後も飲み仲間として

40年以上過ごしてきたのだ。

私のように学生時代知ってはいたが交流は殆どなかった。

幹事にとって何もしてあげられないことが辛かったのだ。

1昨年、偲ぶ会をしたが彼は出席しなかった。

 

その後 彼から意外な言葉が発せられた。

「お前達で勝手にやるから人数が集まらない、俺だったら50人は集める、

誰々がが来ないのはお前達がかってにやるから面白くないから来ないのだ」

 

彼は寂しかったのだ、そのことに気付かなかった私は胸が痛んだ。

一周忌を彼に取り仕切ってもらう事により心の寂しさを満たせると考えた。

私は陰で協力した心算だったが

只、一周忌が行われる数日前から、彼の思いと一周忌という行事にすれ違いが起きて

苛立っていた。

その吐け口として私を罵倒したのだった。

自己顕示と自己満足だけで一周忌行事をしようとしたのではなく

彼の思いは華々しいお祝いのような一周忌で家族の居なかった

あいつを迎えてあげたかったのだろう。

その心情が空回りしたのだ。

 

私は他の人からも度々罵倒される。

共通するのは、勝手に頼みごとや援助を頼んできて

その頼みごとが自分の希望通りにならないと

「お前は俺が苦しんでいるのに何も協力しない」

「うまくいかないのはお前にせいだ」

自分を客観化せず悪いのは身近にいる連中だと

激しく憎悪する。

このような頼み事する人は、穏やかでお人好しで頭の回転が悪い私に

寄ってくる。

決して親しい間柄ではないのだが、舐めきっているのだろう。

彼らの仲間内には決して協力援助を頼まない

あくまでもプライド高く維持して虚勢を張る。

いっとき、私に罵声や嫌味を浴びせて爽快感に浸るが

数ヵ月後になって自分の感情に任せた行為言動が

取り返しのつかない事に気付き愕然とする。

 口は禍の元 !

亡くなった友人が食道癌で声を失い余命が3ヵ月後と知った時

下関の友人は夫婦で船橋まで、あいつを元気つけと励ましに来たのだった。

その時「快復して関門海峡の夕日を眺めてフグをたらふく食べ

酒を飲もうな」と大声で励まし、船橋駅で別れ際 応援団 団長になって

あいつに励ましのエールを贈った。

周囲の人群れは驚き見詰めた。

応援団 団長は見た目は粗野だが心は純真で繊細なのだ。 

ワーズワースの名言集

人の一生における最善のもの。それはだれの目にも触れない、だれの記憶にも残らない、愛と思いやりのこもった細やかな行為。

 

 


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