kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

京都・銀閣寺 観音殿内部を初めて見た 「心空殿と、潮音閣」

2020年06月19日 | 京都
アメリカで人種差別に対する抗議活動が続く中
カリフォルニア州の日本人経営の店に「爆破予告」・・・この記事はこちら

ーーー京都ぶらり 歴史探訪 よりーーー

銀閣寺には何度か行ってますが・・・観音殿の中は見たことがありません。
でも「京都ぶらり 歴史探訪」で見ることが出来たので書き留めておきます。


総門から、銀閣寺垣の参道を通り中門を潜ると


右側に「観音殿(かんのんでん)」があります。

観音殿の下層は書院造り、上層は禅宗仏伝造りの異なった2層は
現存する唯一の、室町期・東山文化を代表する楼閣庭園建築です。

下層の「心空殿(しんくうでん)」

「銀閣」の一層(一階)は心空殿とよばれ書院風の造りです。

千種地蔵菩薩像

心空殿には、千種地蔵菩薩像がお祀りされています。





上層の「潮音閣(ちょうおんかく)」

花頭窓を多く用いた禅宗仏殿造りです。


黄金の観音菩薩さまを安置した仏間。
この観音菩薩があることから、この建物は「観音殿」と呼ばれています。

漆黒の壁に黄金の「洞中観音菩薩」

周りの古木は洞窟を表し、その中で瞑想するお姿から
「洞中観音菩薩」さまと呼ばれています。


義政公が晩年、病気(脳出血)で体が不自由になり
観音菩薩をお祀りして、病気からの救済を願ったと言われています。

「銀閣」の鳳凰

この鳳凰は「銀閣」に祀られている観音菩薩さまを守っています。


この写真は、私が2015年11月に撮りました。(^^ゞ

銀閣寺と呼ばれた説には
●足利義満が建てた金閣寺に対し、孫の義政が手掛けたことから。
●観音殿の創建当時は、外側と内側も漆黒の漆が塗られていましたが
 漆は日光に弱いことから劣化して、下地の白い部分が見えて来て
 下地の白色が日光に反射して銀色に見えたという説もあります。
※銀閣寺と呼ばれるようになったのは、江戸時代に入ってからです。
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