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明正井路



江戸時代初期の儒学者・熊沢蕃山先生のことを想って、ここ豊後竹田の農業用水路のことを調べているうちに、ひょんなことで、大正8年に完成した明正井路の設計者が福島県会津の出身者であることがわかりました。

水路橋として日本最大規模である明正井路のこと、2007年1月7日にブログで話題にしています。約6年半ぶりにこの水道橋のことを取り上げます。
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/f32bb01fdc281146d7772a121dd888ab



この石橋、こんなふうに水を流すための橋です。



石橋の向こうは、こんなふうに農業用水路になっています。この水でお米を作ります。現在もこの明正井路のおかげで、450ha、東京ドーム約96,000個分という広大な農地を潤しているという。



工事施行関係者として
設計者:矢嶋義一
監督者:近藤正之(ほか)
請負人:直入郡人 堀貞夫
石工:熊本縣人 平林松造 外八名 
と彫られています。



この矢嶋義一が会津出身者だという。
困難な工事による様々な心労が重なって、彼は工事の完成をみるまえに短刀で自殺してしまった・・・



橋の中央部にはこう刻まれています。

明正井路
第一号石橋
大正八年成
大分縣知事従四位勲五等 



新妻駒五郎が刻まれている部分を拡大しました。

この新妻駒五郎(にいづま・こまごろう)も会津の人でした。
会津戦争当時は13歳。戦後、佐川官兵衛同様、東京に出て警視庁に入り、西南戦争のときには抜刀隊として田原坂の戦いにも参加。警察官として出世し、のちに第18代大分県知事に就任。


新妻駒五郎 Wikipedia

NHK大河ドラマ『八重の桜』をきっかけとして、4月には会津に旅行に行ったり、そのごも佐川官兵衛、秋山悌次郎、山川大蔵・健二郎兄弟等のことを調べ、幕末から明治にかけての時代を想っているうちに、ここ九州の豊後竹田・明正井路と会津のひとたちとの不思議なご縁が浮上しました。

参考サイト
http://www.jsce.or.jp/journal/thismonth/200308/travel.pdf
http://www.jcca.or.jp/kaishi/257/257_doboku.pdf
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