240)長寿遺伝子「サーチュイン」とレスベラトロール

図:運動・カロリー制限・レスベラトロールの抗老化・寿命延長効果やがん予防効果は、長寿遺伝子と言われる「サーチュイン遺伝子」の活性化が関与していることが報告されている。


240)長寿遺伝子「サーチュイン」とレスベラトロール


【レスベラトロールが注目される理由】
アンチエイジング(抗老化)とがん治療の両方の領域で現在最も注目されている物質がレスベラトロール(Resveratrol)です。レスベラトロールはポリフェノールの一種で、赤ぶどうの果皮や赤ワイン、ラズベリー、ブルーベリー、イタドリなどに多く含まれます。222話参照
レスベラトロールは1939年に発見されていますが、その健康作用が報告されるようになったのは1990年代に入ってからです。
フランス人はチーズやバターや肉類やフォアグラなど動物性脂肪を多く摂取しているのに、他の西欧諸国と比べて心臓病の死亡率が低いことが知られており(いわゆる「フレンチパラドックス」)、その理由として、赤ワインに豊富に含まれるポリフェノール類による抗酸化作用が指摘され、特にレスベラトロールの効果が注目されています。
レスベラトロールの抗酸化作用や心臓保護作用や動脈硬化予防効果などの観点からの研究は1993年頃から報告されるようになり、赤ワインに含まれるレスベラトロールの抗酸化作用や血小板凝集抑制作用がフレンチパラドックスの原因であると考えられるようになりました。
レスベラトロールのがん予防効果が注目されたのは、1997年に米国科学雑誌のScience(サイエンス)にレスベラトロールのがん予防効果に関する研究が発表されてからです。そのScienceの論文は
Cancer chemopreventive activity of resveratrol, a natural product derived from grapes.(ぶどうに含まれる天然成分のレスベラトロールのがん化学予防活性)というタイトルで、米国イリノイ州シカゴのイリノイ大学薬学部からの報告でした。(Science. 275(5297): 218-20, 1997)
この論文では、レスベラトロールは、抗変異原作用、抗酸化作用、抗炎症作用(シクロオキシゲナーゼ活性の阻害など)、発がん物質を解毒するフェース2酵素の誘導作用、白血病細胞の分化誘導作用など、複数の作用機序で発がん過程のイニシエーションとプロモーションとプログレッションのいずれの段階でも阻止する作用を有することを、培養細胞を使ったin vitro(試験管内)の実験と、動物発がんモデルにおけるin vivo(生体内)の実験系にて示しています。そして、この論文の最後には「人間の食事に普通に含まれているレスベラトロールは、人間のがんの化学予防剤の候補として研究する価値がある」と述べられています。
がんの発生を薬やサプリメントで予防することを「がんの化学予防」と言います。がん予防の研究分野では、食品や薬草などから化学予防剤を見つけることが主な目標になっています。
この論文が発表された1997(平成9年)1月は、私が国立がんセンター研究所でがん予防の研究を行っている時でした。週に1回、研究所の5階のフロアーの「がん予防研究部」「生化学研究部」「発がん研究部」の3つの研究部門が合同で、毎回数人の部員が論文を紹介するジャーナルクラブがあり、研究員の誰かがこの論文を紹介したとき、他の研究員が「この論文がScienceに掲載された理由が判らない」という意見を言ったのを今でも印象深く覚えているため、この論文の内容は良く覚えています。
培養がん細胞や動物発がんモデルを使って、食品や天然物からがん予防効果がある成分(化学予防剤)を見つける研究は1970年代ころから盛んに行われています。たとえば、ウコンのクルクミンやブロッコリーのスルフォラファンやトマトのリコピン、その他、野菜や果物からがん予防効果が期待される物質が数多く報告されています。
しかし、動物実験でがん予防効果があっても、人間で効果があるという保証は無く、本当に価値がある研究結果かどうかは人間での効果が証明されるまでは判りません。たとえば、動物発がん実験でがん予防効果が認められたものが、人間の臨床試験で全く効果が無かったり、逆に発がん率を高めるものまであります。したがって、動物実験のレベルでがん予防効果が認められただけでは、それほどインパクトは高くないと考えられています。
文献検索のPubMedで「Resveratrol」と「cancer」で検索すると、ヒットした論文のうち最も古いのがこの論文ですので、レスベラトロールのがん予防効果を最初に見つけたという点では、価値があるのですが、1990年代にはこの程度の論文(動物発がんモデルを使ったがん化学予防物質の探索研究)は毎年何百編も発表されていたので(多くはがん予防や発がん関連の専門雑誌に掲載)、この論文が科学領域の超一流の雑誌のサイエンス(Science)に掲載されたのが不思議だというのが、当時がん予防を研究していた多くの研究者の率直な感想だったように思います。
しかし、その後の研究でレスベラトロールのユニークな作用機序が次々と明らかになり、極めて有用な物質であることが判ってきました。その一つが長寿遺伝子「サーチュイン」を活性化するという作用です。
寿命を延ばす確実な方法としてカロリー制限があります。カロリー制限は、栄養不良を伴わない低カロリー食事療法で、霊長類を含む多岐にわたる生物種において老化を遅延させ、寿命を延長させることが知られています。
このカロリー制限のときに活性化されて寿命延長と抗老化作用に関与するのがサーチュイン遺伝子です。つまり、サーチュイン遺伝子が活性化されると老化が抑制されることになります。このサーチュイン遺伝子を活性化する作用がレスベラトロールにあることが2003年のNatureに報告されました。
マウスに高脂肪・高カロリー食を与えると寿命が短くなりますが、このときレスベラトロールを摂取させると寿命の短縮が防げるという報告が2006年のNatureにハーバード大学の研究グループから発表されています。
Nature(ネイチャー)はScience(サイエンス)と並ぶ世界で最もレベルの高い学術誌です。天然物質の作用機序や薬効に関する論文がScience やNatureに掲載されることは極めて稀です。したがって、レスベラトロールに関する論文がScience やNatureに何回も発表されているということは、レスベラトロールは極めて有用な物質であることを示しています。
1997年のレスベラトロールの発がん予防効果に関する論文がScienceに掲載されたのも、今考えれば納得できます。その当時はサーチュインとの関連は判っていなかったのですが、レスベラトロールの多彩な作用が明らかになるにつれて、レスベラトロールのがん予防効果が単なる抗酸化作用や抗炎症作用だけでなく、かなり特殊な作用機序を持っていることが明らかになったので、Scienceに発表できる価値があったと言う事です。
レスベラトロールのサプリメントは日本でも市販されており、その抗老化作用や抗がん作用は数年前から注目されていましたが、今年6月にNHKの番組でサーチュイン遺伝子とレスベラトロールのことが放送され、レスベラトロールのサプリメントは注文殺到の「バカ売れ」の状況になっているようです。


 【寿命を延ばす漢方薬】
人類が医学を発達させてきた原動力の一つは、老化や死に対する恐怖から逃れるためといっても過言ではありません。中国医学や漢方医学の成り立ちも、人類が老化や死に対する不安や恐怖を持ったことから初まっています。
人類は、病気を免れるだけでなく、さらに不老不死(不老長寿)も追い求めてきました。人類が不老不死の望みを抱いた一つの現れとして、古代中国では神仙思想という民間信仰が発達しました。東洋の歴史の中には、「仙人」と呼ばれるような人たちが現れます。山奥に住み、白髪白髯で冠をかぶり、霞を食べて生きている不老不死の超越者、といったイメージで表現されています。神仙思想は、仙人のように不老不死になりたいという現世利益の実現を追求する点が一般の多くの民衆にも受け入れられ、二千年以上前の戦国時代末期から秦・漢代にかけて神仙の術を使う方士によって広められました。
そして、古代中国の多くの皇帝が不老不死の薬(仙薬)を得ようとしました。紀元前217年に中国を始めて統一した
秦の始皇帝も、不老不死の夢を追求め仙薬探しに奔走した一人です。仙術士の徐福が始皇帝の命を受け、童男・童女数千人をつれて不老不死の仙薬を求めて航海に出たという話しが『史記』や『漢書』に記載されています。結局、始皇帝はその望みを達成できず、50歳で死亡しています。その後の中国歴代の皇帝も不老長寿の夢をすてきれなかったようで、不老長寿の薬を色々作らせて服用したようです。
このような時代に、現在の中国医学の考え方の基本が芽生え、中国伝統医学が発展して今日に至っています。
現在では、再生医学の発展や、長寿遺伝子のサーチュインの研究などから、人類の寿命を人工的に延ばすことも可能性がかなり高くなってきたようです。
サーチュイン遺伝子を活性化する医薬品の開発も進められています。
サーチュイン遺伝子を活性化する天然物質としてレスベラトロールフィセチンブテインケルセチンなどのフラボノイドが知られています。フィセチンはイチゴに多く含まれ、ブテインはウルシに含まれ、ケルセチンは多くの野菜や果物に含まれるフラボノイドです。
漢方薬はフラボノイドの宝庫ですので、サーチュイン遺伝子を活性化する新しい成分が含まれているかもしれません。
漢方薬の場合は、さらに滋養強壮効果や抵抗力を高める「アダプトゲン」作用をもった生薬、血液循環や新陳代謝や解毒機能を高める生薬などが知られています。このような体の機能を活性化する生薬にサーチュイン遺伝子を活性化するような成分を加えると、抗老化とがん予防に効果のある漢方薬を作成できるかもしれません。(アダプトゲンについては138話参照)
生薬では虎杖根(こじょうこん)というイタドリの根にレスベラトロールが多く含まれるので、がんの漢方治療で使用されていました。しかし、数年前から行政上の理由で虎杖根が生薬として流通しなくなったので、現在では虎杖根は使用できなくなっています。(薬食区分の見直しで、虎杖根は医薬品に分類されたため、個々に製造承認を取り直さないと流通できないのですが、その手続きが取られなかったのが原因です。)
しかし、レスベラトロールは原料として入手できるので、レスベラトロールを煎じ薬に加えることも可能です。レスベラトロールはそのままでは水に不溶なので、腸管からの吸収が悪いのですが、シクロデキストリンや漢方薬に含まれるサポニンなどの成分を利用するとレスベラトロールの溶解度や吸収率を高めることができます。223話参照)
最近はレスベラトロールの水溶性と消化管からの吸収性を高めるアセチル化レスベラトロールも販売されていますので、これを使用するとレスベラトロールの生物学的利用度(バイオアベイラビリティ)を容易に高めることができます。また、レスベラトロールに加えて、他のフラボノイドと併用することでサーチュイン遺伝子の活性化を増強できる可能性や、AMP活性化プロテインキナーゼ(AMPK)の活性を高めるとレスベラトロールの寿命延長効果が増強できる可能性が報告されています。冬虫夏草がAMP活性化プロテインキナーゼを活性化することが報告されています。232話参照)
また、AMP活性化プロテインキナーゼを活性化するメトホルミンとレスベラトロールの相乗効果も報告されています。(サーチュインがAMPKの上流に位置するリン酸化酵素であるLKB1を脱アセチル化し、AMPKが活性化すると、AMPKは細胞内NAD+を増加させることでさらにサーチュイン活性が促進し、自ら活性が増強するループを形成しているという報告がある)
したがって、秦の始皇帝が追い求めた不老長寿の漢方薬は、サーチュイン遺伝子やAMP活性化プロテインキナーゼの活性化を目標に処方を考えれば、作成できるかもしれません。
また、サーチュイン遺伝子やAMP活性化プロテインキナーゼの活性化は抗がん作用とも関連します。つまり、サーチュイン遺伝子とAMP活性化プロテインキナーゼの活性化の観点から抗老化を追求する漢方薬はがんの予防や治療にも効果が期待できると言えます。
現在、サーチュイン遺伝子の活性を高める効果がレスベラトロールの1000倍もあるような物質も合成され、抗老化の薬として開発が進められているようです。漢方薬にはそのような強い活性は期待できないのですが、多数の成分によって、サーチュイン遺伝子の活性化だけでなく、複数の作用機序で抗老化や抗がん作用を相乗的に高めることができるという特徴があります。
例えば、免疫力を高めるとき、西洋薬は免疫細胞だけを活性化することを目標にします。漢方治療は、免疫細胞の活性化だけでなく、血液循環や新陳代謝や胃腸の状態を良くする効果によって、体全体で免疫力を高めることを目標にします。同様に、抗老化やがん治療においても、複合薬は単一の薬とは違った利点が期待できると思います。



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