72)乳がん治療に伴う更年期障害を緩和する漢方治療

図:桂枝茯苓丸と当帰芍薬散を構成する生薬。桂枝茯苓丸と当帰芍薬散はエストロゲン作用を持たずに、更年期障害の諸症状を緩和する効果がある。

72)乳がん治療に伴う更年期障害を緩和する漢方治療

【乳がん治療に伴う更年期障害】
閉経前の乳がん患者がホルモン療法を受けている場合には、エストロゲン作用の消失によって
更年期障害と同じような症状がでます。
また、抗がん剤治療によって卵巣機能が障害されて閉経になり、更年期障害の症状が出ることも多くあります。
更年期障害とは体内のエストロゲンの低下により現れる体の様々な変調です。症状としては急性に起こるものと慢性に起こってくるものがあります。
急性のものの代表は顔面のほてり,のぼせ、発汗などの自律神経失調症状があります。これに加えて不眠、不安、抑うつなどの精神的な変調もよく見られます。
症状は個人差があり、顔面や上半身がひどく発汗するがのぼせないもの、かぜの初期症状のような状態が続くもの、気分かすっきりせず、やる気が出ない症状が強く出る場合もあります。
これらの症状はエストロゲンの低下によって内分泌系だけでなく自律神経の中枢も乱れるためを考えられています。
このように、乳がん患者では治療に伴う更年期障害に苦しんでいる方が多いため、更年期障害による症状を緩和する治療が求められています。
乳がんの場合、ホルモン感受性が無ければ,ホルモン補充療法は可能ですが、
ホルモン療法を受けている場合や、切除した乳がんがエストロゲン受容体陽性であれば、エストロゲンを使用することはできません
サプリメントや漢方薬でも、エストロゲン作用のあるものは使用を避けなければなりません
例えば、
ザクロにはエストロゲン活性が報告されており、大豆イソフラボンはエストロゲン受容体に結合してエストロゲンと同じような作用を現します。(ただし、大豆製品は問題ありません。追記参照)
このようなエストロゲン活性があるものは乳がん患者には使用できません。
ほてりや発汗には、アメリカ原住民の民間薬である
Black cohoshの有効性が報告されています。Black cohoshにはエストロゲン活性は認められていません。

【乳がんの漢方治療の注意点】
がんの漢方治療においては、患者さんの体力や抵抗力や回復力を高め、不快な自覚症状を改善してQOL(生活の質)を良くすることを主な目標としています。したがって通常は、体力や食欲の状態、自覚症状、がんの進行状況や治療方針によって、漢方薬の処方内容を決めることが多く、がんの種類はあまり関係ありません。つまり、胃がんや肺がんといったがんの種類によって違った処方があるわけではなく、症状や病状の違いが処方の差になります。
しかし、
女性ホルモンのエストロゲンによって増殖が刺激されるがんの場合は、他のがんと違った注意が必要です。女性ホルモン作用をもった生薬が存在するからです。
乳腺組織や子宮内膜組織はエストロゲンの作用によって増殖が促進されます。それらの組織から発生する乳がんや子宮体がんの中にはエストロゲンによって増殖が促進されるものがあります。エストロゲンによって増殖が促進される(
エストロゲン依存性という)乳がんや子宮体がんの場合に問題となるサプリメントの代表が大豆イソフラボンです(大豆製食品は問題ありません)。マメ科の生薬の葛根(かっこん)にもイソフラボンが多く含まれています。高麗人参のエストロゲン作用に関する議論については第55話で詳しく解説していますが、米国では乳がん患者は高麗人参の使用は避けるべきだという意見が一般的です

【乳がんでは植物エストロゲンに注意】
大豆イソフラボンは、体内でつくられるエストロゲンと構造や働きが似ているため植物エストロゲン(フィトエストロゲン)と呼ばれています。
植物エストロゲンはエストロゲンと似た作用を示すことから、エストロゲンの低下で起こる更年期障害や骨粗しょう症を改善する効果が期待され、サプリメントとして注目されるようになりました。しかし最近、食品安全委員会は1日の大豆イソフラボンの摂取量の上限を70~75mgとし、サプリメントから摂取する場合には1日30mg以上は推奨されないという指針を出しています。イソフラボンの取り過ぎが、人体においてホルモンバランスに影響する可能性が否定できないからです。
大豆イソフラボンのような植物エストロゲンの摂取はエストロゲン依存性の乳がんの再発を促進する可能性が指摘されています。抗エストロゲン剤を使ったホルモン療法を受けているときは、大豆イソフラボンのようなエストロゲン活性を持った健康食品は治療の妨げになるので、摂取しないように指導されるのが一般的です。
このようなイソフラボンに対する最近の見解から、
エストロゲン依存性の乳がんや子宮体がんの治療中や再発予防を目的とした漢方治療においても、生薬に含まれる植物エストロゲンに対する注意が必要と思われます。

【エストロゲン依存性乳がんに注意すべきハーブ・生薬】
乳がん細胞のエストロゲン依存性の有無は、病理組織検査でホルモン受容体の量を調べることによって判別できます。エストロゲンに非依存性(エストロゲン受容体がマイナス)の場合は、漢方治療は他のがんと同じです。手術後の回復促進や、抗がん剤や放射線治療の副作用軽減、治療後の再発予防の目的で、適切な漢方治療は有用であり、生薬のエストロゲン活性への配慮は必要ありません。
がん細胞がエストロゲン依存性(エストロゲン受容体がプラス)の場合には、植物エストロゲンを多く含むハーブや生薬の使用は極力減らした方が良いと言えます。ただし、ハーブや生薬中の植物エストロゲンの量に関する情報は乏しいのが実情です。 
植物エストロゲン作用が文献的に報告されている生薬として、前述の
葛根高麗人参が良く知られています。漢方処方で使用頻度の高い甘草(かんぞう)にもエストロゲン作用があるという報告もあります。日頃から食べている野菜の中にも植物エストロゲンが含まれているものが知られていますので、知らずに使っている生薬の中にエストロゲン活性を持ったものがある可能性はあります。
高麗人参はエストロゲン受容体に結合しないという報告も多くあり、乳がん患者への使用には議論がありますが、米国の論文などでは、高麗人参やアメリカ人参にはエストロゲン様の作用があるので、ホルモン依存性の乳がんの患者には使用しない方が良いという意見が主流です。(この件に関しては307話で考察しています)
葛根は大豆と同じようなイソフラボンが多いので、積極的な使用は控えた方が良いと思います。
当帰や甘草に関しては、一部の実験ではホルモン作用を報告した研究結果もありますが、当帰や甘草にはエストロゲン受容体に結合するような植物エストロゲンは無いという意見が大勢を占めています。
生薬についてまとめると、現時点では、
高麗人参や葛根はあまり積極的に使用しない方が良いが、当帰や甘草は避ける根拠は無いので、通常の量を使用するのは問題ないと言えます

【エストロゲン作用のない当帰芍薬散・桂皮茯苓丸】
ホルモン依存性の乳がんの治療や再発予防では抗エストロゲン剤が使用されます。
これは細胞のエストロゲン受容体を塞いだり、体内のエストロゲンの産生を阻害したりする薬剤で、このホルモン療法によって体内のエストロゲンの作用が低下するため、更年期障害のような症状が副作用として出現します。
大豆イソフラボンは更年期障害に有効ですが、その作用機序はエストロゲン作用によるため、乳がんの患者さんには使えません。漢方薬で使用する生薬の中には、エストロゲン作用がなくて更年期障害に効くものがあります。これらをうまく利用すると、ホルモン療法の副作用を軽減しながら、再発予防効果を高めることができます。
当帰(とうき)は米国でも更年期障害のサプリメントとしてよく知られている生薬ですが、当帰にはエストロゲン作用がないことが乳がん培養細胞を用いた実験で証明されています。(当帰のエストロゲン作用に関する議論は191話で考察しています)
当帰を含む漢方薬の
当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)は、卵巣を摘出したマウスの実験で、ストレスを緩和する効果が認められています。更年期の症状に対して、中枢神経に作用して、不安や不眠や抑うつを軽減する効果が示唆されています。
顔面のほてり、のぼせ、発汗といった末梢血管の拡張による自律神経症状に対しては、桃仁(とうにん)牡丹皮(ぼたんぴ)桂皮(けいひ)の効果が指摘されています。桃仁と牡丹皮は血液循環改善や抗炎症の効果があり、桂皮はおだやかな解熱発汗、鎮痛作用があり、これらを含む桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)は、エストロゲンの低下によって生じる血管拡張性の生理活性ペプチドの作用に影響して、のぼせのような自律神経症状を緩和することが報告されています。桂枝茯苓丸にはエストロゲン作用がないことは乳がん細胞を用いた実験で示されています。
当帰芍薬散は当帰(とうき)・芍薬(しゃくやく)・川芎(せんきゅう)、蒼朮(そうじゅつ)(または白朮(びゃくじゅつ))・茯苓(ぶくりょう)・沢瀉(たくしゃ)の6種類の生薬から構成され、利水作用と補血作用の加わった駆瘀血剤(くおけつざい)です。貧血やむくみを伴う比較的体力の低下した状態に適します。がん患者においては皮膚につやがない、顔色が悪いなどの症状(栄養不良症状)とともに、浮腫・軟便・下痢などの症状が見られる場合に適します。
桂枝茯苓丸は桂皮・茯苓・桃仁・牡丹皮・芍薬の5つの生薬から成り、組織の血液循環を良くし、ダメージを受けた組織の修復を促進する効果があります。
このような漢方薬をベースにしながら、さらに症状に合わせた生薬や抗がん作用を持つ生薬などを組み合わせて処方を作ります。高麗人参や葛根などのエストロゲン作用が指摘されている生薬は、少しであれば問題はないはずですが、無理に使用しない方が無難かもしれません。このような注意を守れば、ホルモン療法を妨げずに、副作用を軽減しながら再発予防効果を高める、乳がんの漢方治療が実践できます。

 






桂皮 クスノキ科のニッケイ類の樹皮。血行を促進して体を温める。
解熱発汗・鎮静・末梢血管拡張・抗菌作用などが認められている。
  桃仁 バラ科のモモの種子。血液循環改善・抗炎症作用・鎮痛作用を有し、特に炎症による充血や血行障害による疼痛を軽減する。
  牡丹皮 ボタン科のボタンの根皮。炎症に附随する血液循環障害を改善する。
鎮痛・鎮静作用があり、タンニンを多く含み強い抗酸化作用を持つ。







芍薬 ボタン科のシュクヤクの根。抗炎症作用と血液循環改善作用、補血作用を持つ。骨格筋や平滑筋の痙攣を緩和して鎮痛する。
茯苓 サルノコシカケ科のマツホドの菌核。胃腸虚弱や浮腫を改善する。精神安定に働き不安感や不眠を軽減。多糖成分に免疫増強作用がある。
  当帰 セリ科のトウキの根。血管拡張・血行促進によって体を温める。造血機能を高める補血作用を持つ。皮膚や粘膜の潰瘍の治りを促進する。
  川芎 セリ科のセンキュウの根茎。血行を促進して体を温める。憂うつ・抑うつを改善する。鎮痛作用があり頭痛・腹痛・筋肉痛などにも効く。
  蒼朮 キク科のホソバオケラ、シナオケラの根茎。消化管機能を高め、浮腫や疼痛を軽減する効果や、免疫増強作用がある。
  沢瀉 オモダカ科のサジオモダカの塊茎。利水作用と抗炎症作用がある。多糖類には免疫増強作用が認められている。

表:桂枝茯苓丸と当帰芍薬散を構成する生薬。桂枝茯苓丸と当帰芍薬散はエストロゲン作用を持たずに、ホルモン療法の副作用を軽減することが指摘されている。さらに個々の生薬は、抗がん剤や放射線治療の副作用の軽減や、再発予防に有用な薬効も持っている。

追記:
ホルモン感受性がある乳がんやホルモン療法中でも大豆製食品を多く摂取した方が再発率が低下することが疫学研究で明らかになっています
2009年以前は、ホルモン依存性の乳がんの患者さんは、大豆製食品を避けるべきだという意見が主流でした。しかし、最近のコホート研究では、「ホルモン療法中でも大豆製食品を多く摂取する方が再発率が低い」という結果が得られています。サプリメントの大豆イソフラボン単独の場合は避けた方が良いのですが、大豆製品は積極的に食べて良いという結果が得られています。詳しくは340話参照下さい。

(文責:福田一典)

乳がんの漢方治療については、以下のサイトで詳しく解説しています。

http://www.ginzatokyoclinic.com/breast-cancer-kampo/breast_cancer-Kampo.html

(漢方煎じ薬についてはこちらへ


オフィシャル・サイト

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 71)当帰補血湯... 73)漢方は非科... »