343)脂肪酸合成酵素(FAS)とがん

図:がん細胞では、グルコース(ブドウ糖)の取り込みおよび分解(解糖)が亢進している。さらに、クエン酸から脂肪酸を新しく合成する代謝も亢進している。この経路に関わる一連の脂質代謝酵素群は、脂肪酸合成の亢進あるいはそれ以外のメカニズムをも介し、がん細胞の生存と増殖を促していることが明らかになっている。ブドウ糖の取込み、解糖系、脂肪酸合成を同時に阻害すると、がん細胞の増殖を効果的に抑制し、死滅させることができる。

343)脂肪酸合成酵素(FAS)とがん

【今週の週間現代の記事から】

日本で現在がんの治療を受けている人の総数は150万人程度と計算されています。(計算の根拠は336話参照)
このうち、抗がん剤治療中の人は推定45万人です。また、1年間に35万人以上ががんで亡くなっています。
このようながん治療中の患者さんや、治療法が無くなった患者さんにとって、もし「がんの特効薬が見つかった」というような記事があれば、誰でも飛びつきます。
治療中のがん患者さんが150万人もいるので、そのような記事が載ると、売上げ部数がかなり増えると思われます。したがって、週刊誌などでは、この手の記事がよく載っています。
今週の週間現代には『ジョンズホプキンス大教授・独占インタビュー 世紀の発明!がんの特効薬 これで本当にがんが消える 転移した末期がんも消える』という見出しが表紙に載っていました。電車の中吊り広告にも同様に記載されていたので、週刊誌はほとんど読まない主義の私でさえ月曜の通勤電車を降りて直ぐにコンビニで購入したくらいですので、多くのがんの患者さんが買って読んだと思います。

記事の内容は、「見出しにだまされた」「買わなきゃよかった」というレベルのものでしたが、この記事に紹介されている脂肪酸合成酵素阻害剤はがん治療のターゲットとして非常に注目されているのは確かです。
ただし、この記事で紹介されている新薬候補はまだ基礎研究の段階で、臨床試験はまだですので、本当にこの新薬候補ががんの特効薬となるかは未知数です。たとえ有効性が証明されても、臨床で使用できるのは数年先ですので、現在治療中のがん患者さんにはこの記事は役に立たないということになります。
この記事で紹介されている物質以外で、先行して開発されていた複数の脂肪酸合成酵素阻害剤は、副作用のためいずれも開発が中止されています。したがって、脂肪酸合成酵素阻害剤が抗がん剤として実用化されるか、特効薬になりうるかは現時点では何とも言えません。
しかし、野菜に含まれるルテオリンや、生薬に含まれるフラボノイドやお茶のカテキンケトン食が脂肪酸合成酵素を阻害する作用があることが報告されています。新薬ができるまで、ケトン食や漢方薬を利用して、脂肪酸合成酵素を阻害する治療を試してみることはがん治療に役立ちそうです。

【がん細胞は新規の脂肪酸合成が亢進している】
がん細胞が増殖するためには、細胞分裂するためのエネルギーと物質合成の材料が必要です。このエネルギー産生と物質合成の材料がグルコース(ブドウ糖)です。
がん細胞の代謝において最大の特徴は、グルコースの取込みと解糖系が亢進していることです。特に、酸素を使ったミトコンドリアでのエネルギー産生が抑制され、酸素を使わない嫌気性解糖系が亢進しています。これはワールブルグ効果として知られています。(175話278話参照)
もう一つの特徴は、新規(de novo)の脂肪酸合成が亢進していることです。
脂肪酸は炭素原子と水素原子で構成された長いひも状の分子の端に酸性の官能基がついた構造をしています。
脂肪酸には2つの大きな役割があります。細胞の周囲や内側を構成する膜の主成分となっているリン脂質をつくることと、エネルギーを圧縮して貯蔵することです。

脂肪酸は食事からも摂取されますが、細胞内でも新規に合成されています。
正常細胞は食事から摂取した脂肪酸をうまく利用しますが、がん細胞は自分で新たに脂肪酸を合成する代謝が亢進しています。
がん細胞は、ミトコンドリアの活性を抑えているため(その理由の一つはアポトーシスを起こしにくくするため:302話参照)脂肪酸を分解する(β酸化でATPを産生する)のが苦手ですが、一方、自分で新規に脂肪酸を作る代謝は亢進しています。
正常細胞では、食事から摂取した外来性脂質が積極的に利用され、脂質の新規合成経路が抑制されています。脂肪酸の新規合成にはエネルギーが必要であるため、エネルギーを節約する観点からは、食事から摂取した脂肪酸をそのまま利用する方が良いといえます。
しかし、がん細胞では外来性脂質の摂取が多くても、それを利用しようとせず、エネルギーを消費してでも、自分で新たに合成する方を選択しているのです。
細胞の膜はリン脂質でできています。リン脂質(Phospholipid)は、構造中にリン酸エステル部位をもつ脂質の総称です。両親媒性を持ち、脂質二重層を形成して糖脂質やコレステロールと共に細胞膜の主要な構成成分となるほか、生体内でのシグナル伝達にも関わっています。
リン脂質は自己組織化によって脂質二重層を形成し、細胞膜の主要な構成要素となります。このリン脂質は、がん細胞内で新規に合成された脂肪酸をリン酸化して作られます。
がん細胞が分裂して増殖するためには、細胞の構成成分が作ることが必要で、細胞膜の主な構成成分であるリン脂質を作るために、新規(de novo)の脂肪酸合成が亢進しています。
細胞膜での飽和脂肪酸の構成比を増やすことによって細胞外のストレスから防御する機能があるとも言われています。
脂肪酸は細胞膜の構成成分としての役割以外にも、がん細胞が必要とする理由はいくつかあります。
脂肪酸のパルミチン酸がある種の蛋白質に結合すると(パルミトイル化修飾という)、その蛋白質の活性が変化します。
パルミトイル化反応(Palmitoylation)とは、パルミチン酸などの脂肪酸を膜タンパク質のシステイン残基に共有結合させる反応のことです。パルミトイル化によって、タンパク質の疎水性が高まり、細胞膜とも親和性が高まります。また、細胞膜を通過する細胞間のタンパク質輸送やタンパク質間相互作用にも関わっています。
RasやWntなどのがん化にかかわるシグナル伝達因子のパルミトイル化修飾によってがん細胞の増殖が促進されます。
脂肪酸が代謝されてできる物質が細胞増殖を促進するシグナル伝達に関与する可能性も指摘されています。すなわち、リン脂質がホスホリパーゼA2などの酵素によって分解されて生じるホスファチジン酸やリゾホスファチジン酸、あるいはアラキドン酸などの各種脂肪酸は、シグナル伝達において重要な役割を担っていることが明らかになっています。
このように、様々な理由でがん細胞では脂肪酸合成が亢進しており、脂肪酸合成の亢進ががん細胞の増殖や転移や抗がん抵抗性に関与していることが明らかになっています
脂肪酸合成酵素の発現量が多いほど、がん細胞は抗がん剤が効きにくく、予後が悪い(再発や転移をしやすく、生存期間が短い)ことが報告されています。特に、乳がんや前立腺がんでは、脂肪酸合成酵素の発現が高いほど予後が悪いことを示す研究結果が多く報告されています。

脂肪酸合成酵素を効果的に阻害する薬の開発が行われていますが、未だ薬となったものはありません。一方、食品や薬草などの天然成分の中に、脂肪酸合成を阻害する成分が知られており、それらを使ったがんの予防や治療も検討されています。



【脂肪酸合成阻害をターゲットにしたがん治療の可能性】
脂肪酸合成酵素(fatty acid synthase: FAS)をはじめ、幾つかの脂質代謝酵素ががんの発生や悪性化を促進することがすでに知られており、これらががん治療の新たな標的分子となる可能性が期待されています。
以下のような脂質合成に関与する酵素ががん治療のターゲットとして検討されています。

① ATPクエン酸リアーゼ(ATP citrate lyase)
細胞質で脂肪酸の前駆体であるアセチルCoAの合成を触媒します。アセチルCoAはミトコンドリア内でピルビン酸から作られますが、アセチルCoAはミトコンドリアの膜を通過できないので、余剰のアセチルCoAはクエン酸に変換されたのち、細胞質に移行し、ATPクエン酸リアーゼによってアセチルCoAになります。細胞質側に移行したアセチルCoAは脂肪酸やコレステロールの原料となります。
多くのがんにATPクエン酸リアーゼの酵素活性の亢進が認められています。
ATPクエン酸リアーゼの酵素活性はPI3K/Aktによって活性化されるので、糖質制限やケトン食はATPクエン酸リアーゼの活性を抑制します。
ATPクエン酸リアーゼの阻害剤としてヒドロキシクエン酸があり、これはダイエットのサプリメントとして市販されています。(ヒドロキシクエン酸のATPクエン酸リアーゼ阻害作用については177話215話を参照)

② アセチルCoAカルボキシラーゼ(Acetyl CoA carboxylase)
アセチルCoAと二酸化炭素の縮合反応によりマロニルCoAを生成する酵素です。
アセチルCoAカルボキシラーゼの活性阻害によって乳がん細胞や前立腺がん細胞のアポトーシスが誘導されることが報告されています。
AMPK(AMP活性化プロテインキナーゼ)によってSer79がリン酸化されると抑制されます。
したがって、AMPKを活性化するメトホルミンやケトン食はアセチルCoAカルボキシラーゼの活性阻害作用が期待できます
(AMPKの活性化の方法に関しては、308話328話を参照)

③ 脂肪酸合成酵素(fatty acid synthase)
アセチルCoA、マロニルCoA、NADPHの縮合反応により炭素数16個の飽和脂肪酸であるパルミチン酸を合成する酵素です。正常細胞では肝臓、脂肪組織、分泌乳腺で高い発現が見られますが、それ以外の組織ではほとんど発現していません。
肝臓と脂肪組織では、余ったエネルギーを脂肪として貯蔵する役割があり、分泌乳腺では乳汁中の脂肪を作るために発現しています。
正常細胞では発現が低いのですが、多くの種類のがん細胞で脂肪酸合成酵素の発現が亢進しています。
乳がんや前立腺がんではがん化の初期段階から過剰発現がみられ、がん遺伝子として機能しています。

以上のような新規(de novo)の脂肪酸合成に関与する酵素の活性を阻害したり抑制すると、がん細胞の増殖を抑えたり、死滅させることもできます。
AMPKの活性化は、脂質合成に関与するアセチル-CoAカルボキシラーゼ(ACC)と脂肪酸合成酵素(FAS)の活性を阻害します。したがって、AMPK を活性化するメトホルミンやケトン食は脂質合成を阻害できます。
緑茶ポリフェノール(エピガロカテキンガレートなど)や野菜に含まれるルテオリンやケルセチンやある種の生薬に含まれるアビクラリンには脂肪酸合成酵素の阻害作用が報告されています。これらを多く含む野菜や漢方薬の摂取も有効です。(268話参照)
ブドウ糖の取り込みや解糖系を阻害する方法と、新規の脂肪酸合成を阻害する方法を組み合わせると、がん細胞の増殖を効果的に抑制できると思います。その方法として、ケトン食や2-デオキシグルコースやメトホルミンや漢方薬の併用は効果が期待できそうです。

 

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