kenroのミニコミ

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女性首相が誕生する理由も分かったか、の国  未来を花束にして

2017-02-05 | 映画

18歳選挙権がはじめて行使された昨年の参院選では、18歳の投票率は45%程度であったという。全年齢のそれが54.7%であったので著しく低いともいえないが、そもそも投票に行かない有権者、というのが日本の実情だろう。そのような選挙の権利が女性には長い間なかったことを、投票に行かなかった人たちは想像できるだろうか。

原題のSUFFRAGETTEとは、女性参政権活動家を指す新聞の造語だそうだが、その中身は「過激な」ニュアンスが含まれる。事実、活動家たちは世間の耳目を集めるため、商店の窓ガラスを割ったり、郵便ポストを爆破、電話線を切断したりした。人を傷つけないようにしながら。一方、活動家か否かを問わず、参政権鼓舞集会や議会に詰めかける女性らに対する警察の暴行は苛烈である。警棒で殴りまくり、引きずり回し、そして牢獄へ。世の中の暴力で一番苛烈なのは国家によるそれであるというのは紛れもない真実であるが、100年前のイギリス、一応「紳士・淑女」の国でさえそうであったのだ。

映画に登場する人物は2人だけ実在の人である。一人は、中流階級出身で活動の理論的支柱であったエメリン・パンクハースト夫人。そして、国王に女性参政権実現を直訴するため、競馬レースの最中に、国王の馬の前に飛び出て「殉教」したとされるエミリー・ワイルディング・デイビソンである。それら実在の人物を追いかける、政治意識の特になかった下層労働者、洗濯婦のモード・ワッツは、運動を支えた当時の普通の活動家、支持者らの姿を投影したものだ。活動家の中には夫のDVにより公聴会で証言できなくなった者もおり、モードは、活動を理解しない夫により愛息を養子に出される。驚くべきことだが、女性には選挙権どころか、自分の子どもに対する親権もなかったのだ。失うものもないモードは変わっていく。

エミリーの葬儀に、多くの女性参政権支持者らが参列し、大きく報道されることによって、女性参政権の運動は、ロンドンの少数活動家の希みではなくなった。しかし、映画で描かれている1912年ころから、女性が参政権を得たのは6年後の1918年になってから、完全に男女平等選挙となったのはさらに10年後の1928年のことであった。ちなみに日本では1925年にやっと成年男子すべてに選挙権が与えられ、女性がその権利を得るのは1945年、戦後である。

過激と言われようと、時に実力行使までして自己の権利を実現しようとするのが市民革命である。そして市民革命を経てこそ、民主主義や共和政は勝ち取られる。エミリーが国王に直訴しようとしたくらいであるから、イギリスは王制のままであるが、真否、好き嫌いは別にして、王室の醜聞がこれでもかと書き立てられるのが、日本と違うかの国の姿でもある。そして、共和制を選ばなかったが、サッチャー政権後、苛められつくした感があるが、イギリスは紛れもなく労働者の国である。そして労働者の権利にしても、女性参政権にしても、上から降ってくるものではない。一人ひとり、それこそSUFFRAGETTE(の語源はSUFFER(苦しむ、耐える)から来たのではないかと思っていたが、SUFFRAGE=参政権、のこと)たることによってこそ、実現されるものだということだ。

日本では同じころ、1910年、女性の政治参加はもちろんのこと、差別のない社会をと訴えた幸徳秋水らが、冤罪「大逆事件」で国家権力により抹殺された。この事件で管野須賀子も処刑された。そんな時代である。国会で圧倒的多数を占める自民党は、天皇を「元首」、「家族は助け合え」と規定した改憲草案を発表している(2012年)。日本は100年間で何を学んだのか、我々は進歩したのか。

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