kenroのミニコミ

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スペイン・ポルトガル美術紀行2012(2)

2012-02-19 | 美術
テッセン・ボルネミッサ美術館はパリで言うところのオルセー、ソフィア王妃芸術センターはポンピドゥー・センターであると以前記したが、今回改めて感じたのは少なくともソフィアは規模でもポンピドゥーに負けていないということである。
ソフィアを訪れる人のお目当てはもちろんピカソのゲルニカである。ゲルニカは制作後、アメリカに渡ったり、プラドに預けられたりしながら公開されなかったりとその安住の地を得るまでに数奇の運命を辿ったのは有名だ。が、ソフィアはゲルニカのおかげでというか、ゲルニカを展示するからにはとの意気込みのもとで現代美術の収集、展示に力を入れていてその目論見は見事成功しているように思える。あまりの広さに最後のドローイングの間などはほとんど素通りしたような状態だったが、ポンピドゥーと同じように一日かける価値がある。現代アートを主とする美術館は、企画展を中心とするとビデオインスタレーションとか、背景や言葉がわからないと全然理解できない場合も多いのに比してソフィアは絵画、造形中心。大きく、ヘンな作品が魅了する。
テッセンはベルリン以外ではこれほどそろっていないのではと思うほど、ドイツ表現主義、それもキルヒナーをはじめとするブリュッケの作品群を擁している。バウハウスのイッテンの作品まであってうれしくなってしまう。オルセーが近代美術ながら圧倒的に印象派のイメージが強いのに比して、テッセンは世紀末前後、それも20世紀初頭のキュビズム、フォービズム以降に強いようだ。イタリア未来派、そしてドイツ表現主義とナチに追われた作品群が、スペインの地まで流れてきたのかもしれないなどと根拠なく勝手に来歴を想像するのも楽しい。そしてピカソ、ミロ、ダリを生んだスペインはもともとシュルレアリズムの肥沃地帯。そしてピカソ、ミロ、ダリはいずれもカタルーニャ地方と深い縁がある(バルセロナの項で後述)。
むしろ面白く思ったのは、テッセンもソフィアもアメリカ美術が多くないことだ。テッセンが蒐集する時代区分にアメリカ美術が入るかどうか微妙だが(20世紀最初のアメリカは、新興財閥・資本の力でヨーロッパ美術を買いあさる時期であって、自前の美術作品養成・蒐集には必ずしも熱心ではない。)、ソフィアになると明確で、戦後美術を牽引したアメリカのミニマリズムやコンセプチュアリズム作品が美術館の規模に比してきわめて少ない。むしろ陸続きのヨーロッパ諸国の近代作品を熱心に集め、それらを体系的に紹介しているあたり、抽象芸術を牽引するピカソらを生み出した意地と矜持が見て取れる。しかし、マドリードはカタルーニャ地方とは一線を画す。そしてやはり王室のお膝元。シュールなアバンギャルドはバルセロナに任せて、行儀よく近代絵画を堪能するために、プラド、テッセン・ボルネミッサ、ソフィアという並びは重要なのである。(マルセル・デュシャン『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』(大ガラス) ソフィア王妃芸術センター)
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