今日のうた

思いつくままに書いています

ヒロシマ・モナムール 1

2015-09-28 05:00:53 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
アラン・レネ監督の映画、原題『Hiroshima mon amour』を観る。
1959年に作られた日仏合作の白黒映画である。(今年、新たに発売された)

広島に反戦映画のロケに訪れたフランス人女優と、日本人男性が抱き合っている
シーンから始まる。二人の皮膚の変化が、暗示的に使われている。
最初の場面では、二人の皮膚は干上がった沼のような凹 凸があり、そこに細かい死の灰の
ようなものが降り注いでいる。灰に覆われて、人間の体のどの部分かわからない。
次に、チカチカしたものが降り注ぎ、二人の肌は光りだす。おそらく放射線による被爆を
表現しているのだろう。そして最後には艶やかな、汗に濡れた二人の腕や肩が映しだされる。

フランス人女優を「女」、日本人男性を「男」とする。
男は戦地に駆り出されていて無事だったが、原爆で家族を失っている。
男を演じる岡田英次が素晴らしい。
流暢なフランス語を話し、洗練された身のこなしで女を抱く。
1950年代にフランスの女優とのラブシーンを、遜色なく演じられる俳優なのだ。
女を演じるエマニュエル・リヴァが魅力的だ。
屈折した役を丁寧に演じ、時に少女に、時に疲れや苦悩を見せる中年女になる。

抱き合いながら、女は広島で見た博物館の展示物や病院の被爆者や映画の話をする。
男と女の声が聴こえるだけで、映像は広島平和記念資料館や広島赤十字・原爆病院、
原爆ドーム、反核デモ、映画『ひろしま』のシーンなどが次々と映し出される。
全篇を通して、二人の会話は詩のようだ。その一部を引用します。

男:「君は広島で何も見ていない」
女:「すべて見たわ。病院だって見た 確かよ
   広島にいるのよ 見ないですませられる?」

男:「君は病院を見ていない 何ひとつ 見ていない」
女:「4回も博物館に 博物館で広島を見たわ 気が沈んだのよ
   鉄 焦げた鉄 砕けた鉄 土のようにもろい鉄 瓶のふたの塊
   焼け残った皮膚が 苦痛を物語る
   女性たちの髪も見たわ 一晩で抜け落ちたそうよ」

被爆者の写真が次々と映し出される。

女:「広島の広場は暑かった
   爆発で1万度の熱 知ってるわ 太陽の熱が あの広場に」
男:「君は何も見ていないよ」
女:「展示物は真に迫っていた 映画も真に迫ってたわ
   映像は正直よ だから見学者は涙を流すの 真実だもの」

映画『ひろしま』の映像が流れている。

女:「私も 広島の運命に泣いたの」
男:「違うな 君が何に泣けるんだ?」
女:「ニュース映画も見たわ 被爆2日目の映像を
   土や灰の下から もう生物がはい出していた その日の映像、2日目、3日目の映像」
男:「君は見ていない」
女:「2週間目の映像 花がうつっていた すべて事実よ」
男:「すべて思い込みだ」

女:「いいえ 恋には幻想があるわ 忘れないという幻想
   私は広島を忘れないと思った 恋のように
   生き残った人々 胎内にいた子供たち 彼らの忍耐と優しさを見た
   不幸な人々 辛うじて生き残ったの 運命がそう決めた
   彼らの前では 想像力も役に立たない 本当よ
   私はすべてを知ってるわ」
男:「君は何も知らない」

女:「私は忘却を知ってるわ」
男:「君は忘却を知らない」
女:「あなたのように 私も全力で忘却と闘った
   だけど忘れたの 癒やしがたい記憶を失った 影と石の記憶を
   恐怖と闘ったわ 
   なぜ忘れられないのか 理解できない恐怖 そして忘れた
   だけど忘れてしまう必要がある?
   すべてはまた始まるのよ
   9秒間で死者20万、負傷者8万
   でもまた繰り返される
   太陽の熱が大地を焼いた アスファルトが燃え 混乱が支配する
   熱風で町全体が吹っ飛び 灰になった
   新しい草木が芽生える」

女:「私はあなたに出会った 誰なの?
   あなたなの? あなたはなぜそっくりなの?
   あの日と間違うほどに」

男がベッドで寝ている。男の指がかすかに動くのを見て、女はヌヴェールでのあの時を
思い出す。フランスのヌヴェールに住んでいた女は、ドイツ兵と密かに愛し合う。
撃たれたドイツ兵の指が、かすかに動いたのだ。
(男はドイツ兵のことを知らない。女は、時に男をドイツ兵と見間違える)

女:「広島で恋が始まるなんて 不思議ね」
男:「「以前は広島をどう感じてた?」
女:「終戦 完全な終戦 そして驚き 本物の恐怖
   人間が恐ろしくなった そして無関心 無関心の恐怖」
男:「きれいな響きだ ヌヴェール」
女:「ありふれた名前よ」
男:「ヒ・ロ・シ・マ 世界が歓喜した」
女:「ヌヴェールは、いや  青春を過ごした町よ
   青春のヌヴェール 
   恋のヌヴェール
   ヌヴェールは現実の町よ
   夢で見る町でもあり いちばん忘れたい町でもあるわ」
男:「「どんな恋だった?」
女:「恋も認識の一種ね ふいに現れ とりこになる
   そこで 初めて気づくの
   失った後は――何も分らなくなる」

男:「強情だった?」
女:「すごくね 本当よ 
   無理が通るように思えたの 意地になってた 分かる?」
男:「分かるよ」
女:「あなたなら分かると思った」
男:「ずっと続いた?」
女:「いいえ 終わったわ」
男:「戦争中に?」
女:「戦後すぐに」
男:「戦後の混乱のせいもある?」
女:「ええ 少しは」
男:「すぐに立ち直った?」
女:「徐々にね 子供もできて……」
男:「何だって?」
女:「徐々に立ち直ったと言ったの」

女は時々、苦悩に満ちた顔をする。その秘密が次第に明らかになっていく。  2につづく

※ウィキペディアによると、1959年の公開時に日本の邦題は『ヒロシマ、わが愛』
 のはずだった。ところが公開されると『二十四時間の情事』に変更されていた。
 二十四時間とは起点がいつか分らないが、女が日本を離れるまでの時間という
 ことなのだろう。56年も前のことだが、私個人としては、作品を貶めるような
 タイトルに、憤りを覚える。
 この作品は、戦時下での男と女の悲劇的な体験を通して、それがなされた「土地の記憶」
 がテーマになっている。最後に、男は「ヒロシマ」と名のり、女は「ヌヴェール」と
 名のる。決して男女間のことだけがテーマではない。
 タイトルのせいで、観たくても観られなかった人がいたのではないだろうか。
 近年では、日本においても原題のまま『ヒロシマ・モナムール』と紹介されることが
 あるそうだ。借りたDVDのタイトルは『二十四時間の情事』だが、
 私もこちらを使わせて頂きました。

 更にウィキペデイアには、次のようにある。 
 当初はカンヌ国際映画祭でフランスからの正式出品のはずだったが、1956年の
 『夜と霧』と同じく「時宜を得ない」との理由で却下され、コンクール非参加作品
 として特別上映された経緯がある。映画祭が、この作品については当時の米国の心証を、
 その前の『夜と霧』ではドイツの心証を、それぞれおもんばかったと言われた。
 ジョルジュ・サドゥールはこの作品を「時代を画する作品」と激賞し、
 「FILM辞典」でも「ヌーヴェル・ヴァーグの最も重要な作品」と評価した。
 この作品は1959年度カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞と
 1960年度ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞を受賞している。
 1979年セザール賞のフランス映画トーキー・ベスト・テンでは、
 史上第7位に選出された。(引用ここまで)

つまり、カンヌ映画祭ではアメリカに気兼ねして、「時宜を得ない」という理由で
正式出品されなかった。
そして被爆から14年経った日本でも、原爆を落としたアメリカに気兼ねして、
『ヒロシマ・わが愛』というタイトルを急遽、『二十四時間の情事』に替えたのだ。
2015年に新たにDVDを販売するにあたって、
『二十四時間の情事【ヒロシマ・モナムール】』とサブタイトルとして入れるのではなく、
タイトルそのものを元に戻すことは出来なかったのだろうか?
どうしても『二十四時間の情事』を入れるのなら、
『ヒロシマ・モナムール【二十四時間の情事】』とすることも可能だったのでは
ないだろうか。 2につづく




(画像はお借りしました)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ヒロシマ・モナムール 2 | トップ | 選挙行こうよ!! (4) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

④映画、テレビ、ラジオ、動画」カテゴリの最新記事