碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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「情報中毒社会」と「ネット依存」のこと

2013年08月08日 | テレビ・ラジオ・メディア

朝日新聞に掲載された、耕論「乾いた笑いの時代に」。

ここで読んだ、漫画家・コラムニストの辛酸なめ子さんの談話がとても面白かった。

電車に乗ると、一つの車両内の半分くらいの人が、スマホをすりすりしています。

私のように車内ではいつも単行本、なんてのは珍品(笑)。

世に携帯電話が登場した頃に、香港に行ったら、街をゆく人の半数が携帯を耳に当てながら歩いていました。

ちょっと異様で、なんだか滑稽な光景でしたが、それに近いものを今の日本に感じるのは私だけじゃないんだなあ、とか思ったりして。

なめ子さんの話、以下に転載しておきます。


耕論「乾いた笑いの時代に」

■ノリが悪くてもいいじゃない 

インターネットを始めたのは1993年ごろで、人より早いほうでした。だからネットの世界に抵抗はないのですが、フェイスブックだけはやりません。自分の人生を楽しそうに演出し、「いいね」を押し合う。そんな「幸せアピール」の共同体に、どうしてもなじめなくて。そういうの、昔は年賀状くらいだったんですけどね。

いまは、誰もがいつもスマホやアイパッドを見続けている、いわば情報中毒社会。情報中毒の症状っていうのは、常に刺激を求める状態になるってことです。そして、そういう社会で人々が最も渇望するのが「笑い」です。
    

<無邪気さ消えた> 

コメディアンがただ滑って転ぶだけ。そんな無邪気な笑いがテレビから消えたのは、空気を読み、格上の人がスベらないよう協力しあう現実社会の縮図のような芸人社会が、テレビの世界に入り込んできちゃったからではないでしょうか。芸人さんのやる気を高めるため、ディレクターが率先して大声で笑ってることも多いですし。

人を笑わせるのってたぶん、攻撃の一種なんです。相手の感情を支配するということだから。笑いは、ほかのどんな感情より相手を脱力させ、無防備にさせる。

バラエティー番組でご一緒させていただいた芸人さんに「笑ってくれなくて傷ついた」と言われたこともあります。手をたたいて大きな身ぶりで笑わないと、楽しんでないと思われちゃうみたいですね。いえいえ、私なりに結構楽しんでたんですけど。

ネットでも、嘲笑のサインである「w」の文字をよく見かけるようになりました。「あのアイドルが激劣化www」とか。あれを見るたび、世の中荒れてきたなと思う。悲惨な事件や事故のスレッドでも「w」付きのコメントをよく見かけます。万能感や優越感にひたってるんでしょうか。

権力者に対するネガティブな気持ちの集積は、いつの時代にだってある。ただ、最近はネットやテレビが、そうした負の感情をかつてなく深くしているような気がします。セレブたちの華やかな私生活や交遊を簡単に垣間見ることができるようになり、自分の現実と比べては鬱屈(うっくつ)する。そんな状況を生み出しているのかも。

私は漫画家なので、「いい年をして」と言われながら、くだらないことを率先して描いていたい。それで笑ってもらえたら光栄。意味とか結果とかが、必要以上に求められる時代だから。食べログの点数やアマゾンのレビューを見ていると、そのうちフェイスブックで人の点数を付け合っちゃったりする時代がくるのかな、と思ってしまう。日本全体が格付け社会だから、気が抜けないんですよね。
    

<本当に楽しいか> 

とある高校の生徒たちが、授業で互いのいいところを書き合う番組を見たのですが、ほとんどの子が「ノリがいい」って書いていて。そうか、ここまでノリをアピールしなきゃいけないんだ、高校生も大変だ、と思いました。

おもしろくなければ、別に笑わなくていいじゃないですか。ノリが悪くて誘われなくなることや、友達が減ることがそんなに怖いですか。ひとりの時間を楽しめるようになれば、集団のなかでひとりになっても怖くないはず。

誰かと笑いあっている環境から距離を置き、自分が本当に楽しい、幸せだと思えることは何なのかを突き詰めてみてはどうでしょうか。落語、映画、民話、何でもいい。笑いの幅をいろんな方面に広げていけばいい。

私は猫の動画をよく見ます。作為がないから、笑いの初心に帰れる。そうそう最近、久しぶりに心から大笑いしました。座敷のある店で友達の恋愛相談にのっていたら、こっちに背を向けて座っている男性のズボンがずり下がり、お尻が半分以上見えていて。

そういう単純な、どうでもいいことを日常のなかに見つけて大笑いすること、案外大事だと思うんです。アメノウズメが裸で踊ったら、閉じこもっていた神様が笑いながら出てきちゃった、みたいな。笑いは人間の根源的な感情と最も深く結びつくものだから。

社会の歯車となるために、笑うんじゃない。自分の人生を生きるために、自分の笑いを取り戻しませんか。(聞き手・吉田純子)
    *
しんさんなめこ 74年生まれ。ジャンルを問わぬ幅広いフィールドワークで知られ、著書も「辛酸なめ子の現代社会学」など多数。ブログ「次元上昇日記」公開中。

(朝日新聞 2013年8月7日)


・・・・「そのうちフェイスブックで人の点数を付け合っちゃったりする時代がくるのかな」が秀逸(笑)。

そうそう、数日前の「天声人語」も、「ふーむ、なるほど」と思わせたので、おまけの転載です。


広がるネット依存

面と向かって話しているのにケータイやスマホの画面から目を離さない人がいる。怒るより気の毒な感じがする。そこまで電脳情報に接していなければ気がすまないのかといぶかしく思う

大人でもそうだから、いわんや生まれた時からIT機器に囲まれて育った世代においてをや。ネット依存の疑いが強い中高生が全国で51万8千人いる。厚労省の研究班が調査をもとに推計した数だ

ネットを使う時間を短くしようとすると、落ち込んだりイライラしたりする。絶望や不安から逃げるためにネットを使う。熱中しすぎなことを隠すために、家族にうそをついたことがある。そんな傾向の強い生徒たちだ。全体の8%にあたる

スマホの普及も拍車をかけているのかも知れない。検索、動画、音楽など実に多機能だ。リクルート進学総研の最近の調べでは、高校生の55%が持つ。2年前の3・7倍。起きてから寝るまで一日中、肌身離さず触っている姿が浮かび上がる

人間の欲望はきりがない。もっともっと、の声が頭の中で響く。よりたくさんの情報を、よりたくさんの人とのつながりを。それに応える手段が次々と登場し、人間はついて行くので精いっぱいになる

ネットは便利だし、楽しいが、度がすぎて心が荒(すさ)んだり、家に引きこもったりとなっては本末転倒だ。〈物を玩(もてあそ)べば志を喪(うしな)う〉。無用のものに心を奪われ、本来の目的を見失うことをいう。時にはネットを離れ、つながらない時間を持ちたい。物は使いようである。

(朝日新聞 2013年8月3日)



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