碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

<ときどき記念写真> 研究室にて(The Last Day)

2020年03月31日 | 大学

2020年3月末


読売新聞で、志村けんさんについて解説

2020年03月31日 | メディアでのコメント・論評

 

碓井広義・上智大教授(メディア文化論)は、

「ドリフターズでは、後発で最年少だった志村さんは、即興的な笑いで独自性を出して人気者になった。個人でも舞台でお笑いを続け、観客の反応によって芸を考えていた。『変なおじさんとしてコントの笑いを追求した求道(ぐどう)だった」

と話した。

(読売新聞 2020.03.31)

 

 


今期冬ドラを振り返る 圧巻の吸引力「テセウスの船」ほか

2020年03月30日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

<週刊テレビ評>

今期冬ドラを振り返る 

圧巻の吸引力「テセウスの船」

最終回が放送された今期の冬ドラマのベスト3を紹介したい。

原作とは異なる「共犯者」を明かして最終回を盛り上げたミステリー「テセウスの船」(TBS系)。まさか父親の介護をしていた目立たない青年、田中正志(せいや)だったとは。意外性では驚かされたが、登場人物としての存在感が希薄で小物だったため、中には拍子抜けした人もいたのではないか。無理に原作と差別化を図る必要があったか、少々疑問が残る。

柴崎楓雅が好演した主犯の少年、加藤みきおを手助けしたのは、30年後の本人(安藤政信)だったというのが原作だ。そのアイデアは、タイムスリップという設定を生かす意味でもインパクトがあっただけに残念。とはいえ、謎の引っ張り方が巧みで、今期ドラマの中で視聴者に「次を見たい」と思わせる吸引力ではトップだった。

また、回を重ねるごとにSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などで話題が広がったのが「恋はつづくよどこまでも」(TBS系)だ。下手なラブコメは見る側を白けさせるが、このドラマは主人公の新人看護師を多くの人が応援したくなった。

そうさせたのはヒロイン、佐倉七瀬(上白石萌音)の愛すべきキャラクターだ。仕事も恋も初心者で、うっとうしいくらい一生懸命。看護師として一人前になること、5年越しの片思いの相手の天堂(佐藤健)に振り向いてもらうこと、そのためにどんな努力も惜しまない。

失敗しては落ち込んで泣く素朴女子。だが、あきらめずに前を向く強さも持っている。そんな七瀬の天性の明るさと笑顔が、新型コロナウイルス禍で疲れていた私たちも元気づけてくれた。加えて、めったに笑顔を見せない医師を演じた佐藤も魅力的だった。見る側が気持ちよく没入できるファンタジーとして、照れることなくラブコメ道を貫いた制作陣に拍手だ。

そしてもう1本、吉高由里子主演「知らなくていいコト」(日本テレビ系)も忘れられない。週刊誌記者の真壁ケイトが主人公の「お仕事ドラマ」だ。元カレで妻子あるカメラマン、尾高(柄本佑)との恋愛も気をもませたが、週刊イーストが放つ、文春砲ならぬイースト砲から目が離せなかった。

大学と文部科学省の贈収賄疑惑、人気プロ棋士の不倫疑惑、テレビ局のやらせ疑惑にも肉薄するなど、毎回ケイトたちの取材過程が見せ場だ。複数のメンバーでの各所の張り込み、スマートフォンを駆使した動画撮影、そして当事者への直接取材。現実そのままではないにしろ、プロらしい連携プレーはリアルに見えた。まさにドラマならではの臨場感であり快感だ。

(毎日新聞「週刊テレビ評」2020.3.28)


【気まぐれ写真館】 春の雪

2020年03月29日 | 気まぐれ写真館

神奈川 2020


週刊朝日で、「コロナ自粛でコンテンツ無料配信」について解説

2020年03月29日 | メディアでのコメント・論評

 

 

コンテンツ無料配信企業続々

「コロナ自粛のなか」自宅で楽しむ

 

新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、大人も子どもも自宅で過ごす時間が増える傾向にあるなか、動画や漫画といったコンテンツを無料配信する企業が続々と現れている(エイベックスを除き、情報は319日現在のもの)。

動画配信サイトのParaviは「ドラゴン桜」「ROOKIES」など人気ドラマを会員登録の手続きなしで視聴可能になっている。Huluは日本テレビ系のドラマやバラエティーなどを無料配信中。スカパー!も各チャンネルを順次無料開放中だ。

アマゾンプライムは「ポケットモンスター」「シンカリオン」といった子ども向けコンテンツを有料会員でなくても視聴できるようにしている。niconicoは「涼宮ハルヒの憂鬱」「けいおん!」など、学生が主人公の京都アニメーション作品を配信中だ。

集英社は「週刊少年ジャンプ」の今年1号から13号まで、『ONE PIECE』のコミックス1巻から60巻までを無料公開。小学館は「週刊少年サンデー」の今年1号から12号まで、「月刊コロコロコミック」の1月号からを無料公開中だ。

音楽系ではBiSHなどの所属するWACKaikoなどが、無観客ライブを無料配信した。AKB48は劇場公演を、LDHEXILEなどのライブ映像やレッスン動画、ドキュメンタリーなどを無料配信中だ。

エイベックスは浜崎あゆみやAAAら所属アーティストのライブ映像を期間限定で無料配信中。

「アーティスト公演を期限付きで自粛しているなか、『エンタメで少しでも日々の楽しみに貢献できたら』という思いです」(同社担当者)

このライブ映像解禁後、YouTubeの公式チャンネルへの登録者数が約12万人増加したという(16日現在)。

こうした無料提供の広がりについて、上智大学の碓井広義教授(メディア文化論)はこう語る。

「特に中高年層はなかなか触れる機会のなかったコンテンツを、PCやスマホで簡単に見ることもできる。『けいおん!』やaikoなどはファン獲得のきっかけになるかもしれません。その裾野の広がりが今回の波及効果ともいえるのでは」

 【本誌・太田サトル】

(週刊朝日 202043日号)

 


【書評した本】 三上智恵 『証言 沖縄スパイ戦』

2020年03月28日 | 書評した本たち

 

 

貴重な証言で考える戦争の悲劇

三上智恵『証言 沖縄スパイ戦史』

集英社新書 1,870円

2018年、『沖縄スパイ戦史』と題するドキュメンタリー映画が公開された。描かれていたのは、沖縄戦の終結後もゲリラ戦を続けた、少年兵たちの「護郷隊(ごきょうたい)」のこと。その指揮をしていたのが、大本営から送り込まれた陸軍中野学校出身の青年将校だったことだ。

また波照間島から西表島へと移住を強いられた多数の住民が、マラリアで死亡していた。しかも移住は戦争から逃れるための疎開ではなかったのだ。映画は知られざる沖縄の史実を淡々と映し出す秀作だった。

この作品を大矢英代と共同監督したのが三上智恵だ。以前は琉球朝日放送のキャスターとして戦争番組を担当していたが、6年前にフリーの映画監督となる。これまでに、『標的の村』『標的の島 風(かじ)かたか』などを手掛けてきた。

今回、三上が著した『証言 沖縄スパイ戦史』は、単なる映像の活字化ではない。約750頁の分厚い本には、映画では割愛せざるを得なかった多くの証言が収録されている。夜間に敵の陣地に潜入し、食料庫や弾薬庫を爆破するよう命じられた少年ゲリラ兵の実態。スパイ掃討という名目で行われた虐殺。そして住民同士の軋轢。時には、加害者と被害者の立場が逆転するような悲劇も起きた。

貴重な証言の数々から見えてくるのは、軍隊が来てしまったら住民はどうなるかであり、軍国主義に飲み込まれたらどう行動出来るか出来ないかである。新たな戦前かもしれない今こそ、読まれるべき一冊だ。

(週刊新潮 2020年3月19日号


ついに『やすらぎの刻~道』完結…倉本ドラマは「名言」の宝庫である

2020年03月27日 | 「現代ビジネス」掲載のコラム

 

ついに『やすらぎの刻~道』完結

倉本ドラマは「名言」の宝庫である

 

ゴール間近の『やすらぎの刻(とき)~道』

昨年4月にスタートした、帯ドラマ劇場『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日)。1年間という長丁場も、いよいよゴールが近づいてきた。

このドラマは、2017年の『やすらぎの郷』の続編であると同時に、主人公の老脚本家・菊村栄(石坂浩二)が発表のあてもないまま書いている、シナリオ『道』の物語も映像化するという、画期的な「二重構造」の作品だ。

『道』は、戦前の山梨に始まり、昭和、平成、そして現在放送中の令和まで、ある庶民一家の歩みを、この国の現代史と重ねながら描いてきた。こちらの主人公は根来公平。若い頃を風間俊介が、そして壮年期以降は橋爪功が演じている。

二つの物語を動かしているのは、もちろん脚本家の倉本聰だ。倉本は、ある時は菊村栄を通じて、またある時は根来公平の口を借りて、人間や社会に対する自身の思いや考えを、見る側に伝えてきた。それは主に登場人物たちの「台詞(せりふ)」に込められている。

たとえば、少年時代に終戦を迎えた菊村は、戦後の復興から現在までのこの国を見てきた。そして今、こんな感慨を胸の内に秘めているのだ。

「私は大声で叫びたくなっていた。君らはその時代を知っているのか! 君らのおじいさんやおやじさんたちが、苦労して瓦礫を取り除き、汗や涙を散々流して、ようやくここまでにした渋谷の路上を、なんにも知らずに君らは歩いてる! えらそうにスマホをいじりながらわが物顔で歩いてる! ふざけるンじゃない! あの頃君らは、影も形もなかったンだ! 影も形もなかった君らが、でっかい面して歩くンじゃないよ!」

こんな台詞が出てくるドラマ、そうはない。

倉本ドラマは「名言」の宝庫

ドラマの「脚本」を形づくる、主な構成要素は三つだ。「柱(はしら)」、「ト書き(とがき)」、そして「台詞(せりふ)」である。柱は、その場面(シーン)が昼なのか、夜なのかといった「時間」や、何処(どこ)で展開されているのかという「場所」を指定したものだ。たとえば、「シーン№6 上智大学7号館入り口(朝)」などと書く。

ト書きは、登場人物の動きや置かれている状況を説明するためにある。その呼称は、『「おはよう」と言いながら花子に駆け寄る太郎』の「と」から来ている。「おはよう」までは台詞で、「と」以下がト書きだ。最後の要素、台詞については説明するまでもない。劇中の人物たちが口にする、すべての言葉である。

小説であれば、登場人物がどんな人間で、どのような状態にあるかはもちろん、その心理も含め、あらゆることを自由に書くことが出来る。それに比べると、ルールに則(のっと)り、柱とト書きと台詞だけで表現する脚本は、一見かなり不自由で、同時に制約があることで逆に自由だったりする創作物だ。

三要素の中で最も重要なのは台詞である。なぜなら、台詞が物語を駆動させていくからだ。誰が、どんな状況で、誰に向かって、何を言うのか。台詞は、たとえたったひと言であっても、物語の流れを変えたり、ジャンプさせたり、場合によってはドラマ全体に幕を下ろしたりする力を持っている。

台詞の中に、そんな「言葉の力」が凝縮されているのが、倉本聰の脚本だ。いわゆる「説明台詞(せつめいぜりふ)」など皆無であり、あらゆる台詞に背景がある。言葉の奥に、それを語る当人の見えざる過去があり、進行形の現在がある。その場面、その瞬間、その台詞を言わねばならない必然がある。

しかも、架空の人物たちである彼らが語る言葉に、現実を生きる私たちをも揺さぶる、普遍的な真実が込められている。一つ一つの台詞が、いわば「人生のヒント」であり、倉本ドラマ全体が「名言」の宝庫なのだ。

倉本ドラマが描く「人間」「人生」

倉本聰が書いてきた作品を、人間や人生といった視点で読み直していくと、まず浮上してくるのが『文五捕物絵図』(NHK、1967年)だ。

ニッポン放送を退社してフリーとなった倉本が、複数の脚本家たちと競い合うように書いたドラマであり、その名前が注目された記念すべき一本である。

当時、現代劇には社会的テーマや表現の面で制約が多かったが、時代劇はかなり自由だった。江戸の岡っ引きである文五(杉良太郎)を通じて、倉本は現代にも通じる普遍的な人間の姿を生々しく描いている。たとえば、ふと文五がつぶやく言葉。

「人と人が信じ合わなくなったらこの世は何と暗くなることか」

格差社会、分断社会といわれる、生きづらい現代社会とそこに生きる私たちに対する警鐘にも聞こえる。

この時、倉本は32歳。人間を見る透徹した目がすでに具わっていたことに驚く。それから半世紀以上も書き続けている倉本だが、どうしようもない弱さや醜さも含め、「愛すべきもの」として人間を捉える姿勢は今も変わらない。

その象徴の一つが、『やすらぎの郷』で菊村栄(石坂浩二)に言わせた台詞だろう。

「〝人生は、アップで見れば悲劇だが、ロングショットでは喜劇である〟と、チャーリー・チャップリンが云っている」

このチャップリンの言葉こそ、倉本自身の創作の指針であり、人生哲学でもある。

倉本ドラマの中の「男と女」

倉本聰は、俳優や女優たちと徹底的につき合ってきた脚本家だ。特に自分の作品に出てもらう役者たちについては、その人間性はもちろん、口調やしぐさの癖まで熟知した上でないとペンを取らなかったと言う。「シナリオは役者へのラブレター」というのが持論だ。

そして一旦執筆に入れば、倉本はシナリオの中で妙齢の女性となったり、頑固な老人へと変身したりする。男の気持ち、女の思い、さらに男女の機微にも、絵空事ではないリアルな情感が込められていく。それは倉本の役者に対する「疑似恋愛」の成果だ。

『拝啓、父上様』(フジテレビ、2007年)で、作家役の奥田瑛二に言わせた台詞がある。

「恋だけは年中しようとしてます。それがなくなったら終わりだという気がしてね」

それは、今も静かなる〝男の色気〟を漂わす、倉本自身の密かな信条かもしれない。

同時に、女の愛しさと怖さを熟知しているのもまた倉本だ。35歳の時に書いた、『わが青春のとき』(日本テレビ、1970年)では、ヒロインの樫山文枝がこんな告白をする。

「男は知りません。女は、ある時、人を恋したら、仕事も、使命も、道徳も、社会も、何もかも投げうつことができる」

面白いのは、「女性の前に出ると少年に戻ってしまう」と倉本自身が語っていることだ。12歳以上の女性は全て「お姉さん」に見え、自分が見透かされたような気分になるという85歳この奇跡の純情があるからこそ、倉本ドラマの男も女も魅力的に映るのだろう。

倉本ドラマにおける「親子」「夫婦」

倉本聰の代表作の一つに、『前略おふくろ様』シリーズ(日本テレビ、1975~76年)がある。東京で板前修業中の主人公、サブこと片島三郎(萩原健一)が、故郷にいる母(田中絹代)に向かって語り掛けるナレーションが秀逸だった。

父を早くに亡くした倉本にとって、母はずっと大切な存在だった。このドラマの中でも、自分を気遣ってくれる母に対して、サブが逆に気遣う印象的な台詞がある。

「遠慮することなンてないんじゃないですか。あなたの実の息子じゃないですか」

もう一つの代表作、20年以上も続いた『北の国から』シリーズ(フジテレビ、1981~2002年)は、まぎれもない「父と子」の物語だ。

このドラマがスタートする数年前、倉本は東京から北海道の富良野へと移住した。原生林の中に家を建て、冬は零下20度という見知らぬ土地で暮らし始めたのだ。ドラマで描かれていた黒板五郎(田中邦衛)の苦労も、純(吉岡秀隆)の戸惑いも、実は倉本自身のものだった。

父への反発や反抗もあった純だが、やがて「父さん。あなたは――すてきです」と胸の内で五郎に語りかけるようになる。サブも純も蛍(中嶋朋子)も、そしてサブの母も黒板五郎も、皆、倉本の分身なのだ。

それはドラマの中の夫婦像も同様である。『やすらぎの郷』で、大納言こと岩倉正臣(山本圭)が言う。

「だけど女房なら、若い頃より、――死ぬ間際の老けた女房にオレは逢いてえ」

この言葉、倉本にとっての実感でもあるはずだ。

倉本聰にとって、「創る」とは

倉本聰は、60年以上もテレビと芸能界を内側から見てきた。そんな「生き証人」の目に、現在のテレビはどう映っているのか。

『やすらぎの郷』では、芸能界のドンと呼ばれる加納英吉(織本順吉)が憤っていた。

「テレビが出た時、わしはこの機械に、自分の未来を賭けようと思った。テレビはあの頃、輝いていた。なア先生。汚れのない真白な処女だったぜ。それを、銭儲けばかり考えて、売女(ばいた)に堕(おと)したのは誰だ――!」

倉本が脚本を書く時、最も大事にしている作業が、登場人物の「履歴」作りだ。いつ生まれ、どのように育ち、誰と出会い、何をしてきたのか。まるで実在の人物を扱うように詳細な履歴書を作成していく。

ドラマの中で、それぞれの過去を持つ人物同士が出会う。そこで生まれる化学反応こそが物語を動かす力だ。倉本の分身ともいえるベテラン脚本家、菊村栄(石坂浩二)も『やすらぎの刻~道』の中で言っている。

「樹は根に拠って立つ。されど根は人の目に触れず、一見徒労なその作業こそが、ドラマを生み出す根幹なのだ」

愛用の200字詰め原稿用紙を、ひと文字ずつ、特徴のある書体で埋めていく倉本。そうやってゼロから何かを生み出す恍惚と不安を味わい続けてきた。

『玩具の神様』(NHK、1999年)の偽脚本家、ニタニツトム(中井貴一)が色紙に記している。

「創るということは遊ぶということ」

倉本こそ、永遠の「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」なのかもしれない。

 


驚異的映像のオンパレード「スローな武士にしてくれ」

2020年03月26日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

内野聖陽さんが演じる村田茂雄が演じた近藤勇

 

NHK「スローな武士にしてくれ」

驚異的映像のオンパレード

 

20日夜、内野聖陽主演「スローな武士にしてくれ~京都 撮影所ラプソディー~」がNHK総合で放送された。

京都・太秦にある映画撮影所が、NHK放送技術研究所から依頼を受ける。最新機器を駆使して実験的な時代劇を撮りたいというのだ。お題は「新選組池田屋騒動」。大部屋俳優の村田茂雄(内野、好演!)が近藤勇に扮し、同じ大部屋の朽木城太郎(中村獅童)たちを相手に、誰も見たことのない殺陣に挑んでいく。

主な見どころは2つだ。まず時代劇の制作現場の裏側がドラマになっていること。監督(石橋蓮司)やカメラマン(本田博太郎)をはじめ、いずれも頑固な高齢者ばかりだが、いい作品を作るためなら命懸けということでは共通している。それは大部屋俳優たちも同じだ。

もうひとつが驚異的映像のオンパレードである。技研の主任、田所(柄本佑)が時代劇オタクであることから、池田屋の階段落ち、路上での13人斬り、竹林の中で展開される大勝負(敵役は里見浩太朗!)といった見せ場が並ぶ。中でもスーパースローの美しさは格別だ。

斜陽といわれて久しい時代劇を守り続けるスタッフや俳優たち。彼らの狂気と紙一重のような情熱、そして矜持と哀歓。作・演出の源孝志はこの作品と「怪談牡丹燈籠」により、文化庁主催の令和元年度「芸術選奨」放送部門で、文部科学大臣賞を受賞した。拍手だ。

(日刊ゲンダイ「TV見るべきものは‼」2020.03.25)


【気まぐれ写真館】 大学周辺も、桜咲く

2020年03月25日 | 気まぐれ写真館

四谷 2020


社会明るくしたラブコメ「恋はつづくよどこまでも」

2020年03月24日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

社会明るくしたラブコメ

 

新型コロナウイルスの影響で、社会全体がどんよりとした空気に包まれている。マスクのせいなのか、街の中で笑い声を聞くことも少ない。

そんな暗い数カ月、小さな救いとなったのが、ドラマ「恋はつづくよどこまでも」(TBS系)である。画期的とか斬新とか、そういうドラマではない。

いや、むしろ逆だ。医師と看護師の恋愛という、昔から繰り返し作られてきた、日本の伝統芸のようなお話だ。それがなぜ、コロナ禍の日本で見る人を元気づけたのか。

まず、ヒロインの新人看護師、佐倉七瀬(上白石萌音)の愛すべきキャラクターだ。高校の修学旅行で鹿児島から上京し、偶然出会った医師の天堂(佐藤健)に一目ぼれ。

彼の近くへ行くために看護師を目指し、やがて同じ病院に勤務するようになる。5年間の片想い、その「一途」な乙女心、恐るべしだ。

しかも当初は、看護師としても女性としても、天堂から全く相手にされなかった。それでも七瀬はめげない。

看護師として一人前になること、天堂に振り向いてもらうこと、そのためにはどんな努力も惜しまなかった。その姿は「健気」という言葉がぴったりだ。やがて彼女の天性の明るさと笑顔は、患者さんたちの支えとなっていった。

そんな七瀬を見るうち、天堂も変化していく。かつて愛した女性を病気で失ってから封印していた、人を愛する心が甦ったのだ。

あまり自分の感情を表に出さない天堂が、涙ながらに「俺から離れるな」とまで言ってしまう。高い演技力によって「一途」と「健気」を表現した、上白石の勝利だ。

七瀬は天堂を動かしたが、一番揺さぶられたのは見る側の感情だろう。仕事も恋も初心者で、失敗して落ち込み、泣いて、また顔を上げる。ひたすら一生懸命なヒロインを多くの人が応援した。

そしてもう一つの成功要因が、「照れない」ストーリーだ。ここぞという場面で天堂が突然現れたり、2人で交通事故に巻き込まれたり、降ってわいたような七瀬の海外留学など、リアリズムの見地から突っ込まれそうな「ベタな展開」が目白押しだった。

しかし、ベタを承知で照れずにラブコメの王道を貫いたことに拍手だ。制作陣もまた勝利したのである。

(しんぶん赤旗「波動」2020.03.23)

 


【気まぐれ写真館】 今月も、千歳「柳ばし」で・・・

2020年03月23日 | 気まぐれ写真館

名物のメンチカツ定食+α

18年もお世話になっている、お父さんとお母さん


今月のUHB北海道文化放送「みんテレ」

2020年03月22日 | テレビ・ラジオ・メディア

 

 

 


同時配信時代のコンテンツとして面白い試み「就活生日記」

2020年03月20日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

 

 

「就活生日記」

同時配信時代のコンテンツとして

面白い試み

 

 先週、NHKでドラマ「就活生日記」が放送された。「中学生日記」のパロディーではない。就活生のリアルなエピソードを描き、彼らをさりげなく応援する好企画だった。

たとえば、学生時代に力を入れたことを問われる「ガクチカ」。他の就活生が「カンボジアでのボランティア」や「イギリス留学」をアピールする中、「自分には何もない」と落ち込む女子学生(富田望生)がいる。しかし冷蔵庫の残り物でおいしい料理が作れるように、視点や発想を変えれば「自分が持っているもの」も見えてくるのだ。

また深夜バスで東京へと向かう、地方在住の女子学生(吉田美月喜)。都内の学生たちに比べ、時間や費用が何倍も必要な就活に疲れ気味だ。けれど、乗り合わせた就活生から「頑張りどころって誰にもある。自分は今がそのタイミング」と言われ、「ちょっと無理してみよう」と元気が出てくる。

さらに内定をもらった会社が無名で、大手や有名企業への就職を期待する親に言えないままの男子学生(泉澤祐希)も登場した。迷った末に「何社回ってもピンとこなかったけど、この会社では働く自分を想像できた」と理由を説明すると、父親(田中要次)も納得。缶ビールで乾杯した。

5夜連続で流れたこのドラマ、実は1本の長さは5分。だが、その充実度は高く、「同時配信」時代の番組コンテンツとしても面白い試みだった。

(日刊ゲンダイ「テレビ 見るべきものは!!」2020.03.18)

 

 


【気まぐれ写真館】 コロナの春なれど、桜が咲いています

2020年03月19日 | 気まぐれ写真館

新宿 2020


ベタを承知で、照れずに、 ラブコメの王道を貫いた 『恋はつづくよどこまでも』

2020年03月19日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

ベタを承知で、照れずに、

ラブコメの王道を貫いた

『恋はつづくよどこまでも』

 

ついに終わっちゃいましたねえ、『恋はつづくよどこまでも』(TBS)。来週からの「恋つづのない火曜日」を、今から怖れているファンも多いのではないでしょうか。

思えば、今期ドラマが放送されてきたここ数カ月、新型コロナウイルスが社会全体に影を落とし、どんよりとした空気が広がってしまいました。1億総マスクのせいなのか、街の中で笑い声を聞くことも少ないような気がします。

そんな中で、小さな救いの一つとなったのが、この『恋つづ』でした。とはいえ、画期的とか斬新とか、そういうドラマじゃありません。

むしろ逆ですね。『恋つづ』が描いたのは、昔からドラマや映画で繰り返されてきた、日本の伝統芸のような「医師と看護師の恋愛」でした。それがなぜ、コロナ禍の日本で、見る人を元気づけたのでしょうか。

まず、ヒロインの新人看護師、佐倉七瀬(上白石萌音)の愛すべきキャラクターがあります。

高校の修学旅行で鹿児島から上京し、偶然出会った医師の天堂(佐藤健)に一目ぼれ。彼の近くに行こうと決意し、勉学にも励み、努力してナースになります。新人看護師として、天堂と同じ日浦総合病院の循環器内科で働き始めました。

5年間の片想い。その「一途(いちず)」な乙女心、恐るべしです。しかも当初は、看護師としても女性としても、天堂から全く相手にされませんでした。それでも七瀬はめげない。

看護師として一人前になること、天堂に振り向いてもらうこと、そのためにはどんな努力も惜しみません。その姿は「健気(けなげ)」という言葉がぴったりで、やがて彼女の天性の明るさと笑顔は、患者さんたちの支えとなっていきました。

そんな七瀬と接するうち、天堂(佐藤さんの魔王、絶品!)にも変化が。

かつて愛した女性を病気で失ってから封印していた、人を愛する心が甦ったのです。あまり自分の感情を表に出さない天堂が、涙ながらに「俺から離れるな」とまで言ってしまう。高い演技力によって、「一途」と「健気」を表現した、上白石さんの勝利です。

七瀬は天堂の心を動かしましたが、一番揺さぶられたのは見る側の感情です。仕事も恋も初心者で、失敗しては落ち込み、泣いてはまた顔を上げる。健気で、一途で、ひたすら一生懸命なヒロインを、多くの人が応援したくなりました。

そして、もう一つの成功要因が、「照れない」ストーリーです。

そもそも天堂と同じ病院に就職したこともすごいですが、同じマンションの隣の部屋に住むとか、「都合良すぎ」と言われそうなのに、堂々と設定していました。

ここぞという場面では天堂が突然現れたり、2人で交通事故に巻き込まれたり、終わり間近で降ってわいたような七瀬の海外留学と帰国があったり、何より本当に結婚まで行っちゃうなど、「ベタな展開」が目白押しでした。

しかも、途中からは、ハグもキスも、てんこ盛り。でも、照れたりしません。相手がくわえた食べ物だって、照れることなく、かじっちゃいます。それでいいんです。

ベタを承知で、照れずに、ラブコメの王道を貫いたこと。その勇気がアッパレでした。そう、七瀬や上白石さん同様、脚本の金子ありささんと制作陣もまた勇者だったのであり、見事勝利を収めたのです。

それにしても、来週から『恋つづ』のない火曜、どうしましょう?