碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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女性セブンで、中島みゆき「ホームにて」について解説

2022年05月27日 | メディアでのコメント・論評

 

 

有吉弘行が上島竜兵さんに捧げた

中島みゆき『ホームにて』 

都会で踏ん張る2人を支えた一曲

 

有吉弘行が「恩人」として必ず名前を挙げていた上島竜兵さん(享年61)。2人にはともに中島みゆき(70才)のファンであるという共通点があった。故郷への思いを胸にしまい、都会で懸命に踏ん張っていた彼らを支えた中島みゆきの隠れた名曲を、いまこそ──。

「曲行く? 今日ぐらいは、上島さんがよく歌ってた好きな歌ですかね……」

5月15日に生放送された『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系ラジオ)で、時折声を詰まらせながら語った有吉弘行(47才)。この日のオープニングでは、5月11日に61才で亡くなったダチョウ倶楽部の上島竜兵さんを追悼し、中島みゆき(70才)が1977年に発表した『ホームにて』を選曲した。

アコースティックギターの静かなイントロの後に、中島の歌声が語り掛けるように響く。有吉がこの曲を知ったのは、「竜兵会」だった。

「竜兵会は、仕事がなかった頃の有吉さんや土田晃之さん(49才)、劇団ひとりさん(45才)らが上島さんを慕って集まった会。上島さんはなじみの居酒屋にメンバーを連れて行き、いつも自分のおごりで飲み食いさせていました。ただ、上島さんはいつもベロベロに酔っ払い、有吉さんらに『何やってんだよ!』と突っ込まれていましたね(笑い)」(テレビ局関係者)

先輩風を吹かせることもなく、後輩の前で酔い潰れてくだを巻く。飾らない人柄で誰からも愛された上島さんが、好んで熱唱したのが『ホームにて』だった。

「竜兵会でへべれけになった上島さんは深夜3時くらいにカラオケのマイクを握り、号泣しながらこの曲をよく歌っていました。最初は『何泣いてんだよ』と突っ込んでいた有吉さんも、次第に曲に魅了され中島さんのオリジナル曲を聴くようになった。いまや有吉さんは大のみゆきファンで、自分が運転する車では彼女の歌しか聴かないそうです」(前出・テレビ局関係者)

上島さんと有吉をつないだ『ホームにて』とは、どのような曲か──。

都会で暮らす地方出身者の心を歌った

『ホームにて』は、中島が1977年に発表したアルバム『あ・り・が・と・う』に収録された一曲で、のちにシングル『わかれうた』のB面として収録された。シングルとはいえB面で、『時代』や『ファイト!』のように誰もが知るメジャーな曲ではない。それでもこの曲は多くの人を魅了し、槇原敬之(53才)や工藤静香(52才)、高畑充希(30才)らが続々とカバーした。

この曲は、ふるさとへと向かう最終の汽車の出発を待つ駅の情景から始まる。駅長がやさしく乗車を促すなか、足早に車内に乗り込んだ乗客たちは笑顔を見せる。出発の時間がきて汽車のドアが閉まりかけるが、まだ駆け足で滑り込めば、なつかしいふるさとに帰ることができる。だが主人公はホームにたたずんだまま動けない。汽車のドアはゆっくりと閉じ、その手に残されたのは、ふるさと行きの乗車券だった──。

歌詞には「ネオンライト」という単語が登場する。

メディア文化評論家の碓井広義さんは「ネオンライトは都会の象徴です」と語る。

「中島さんは、都会で暮らす地方出身者が故郷を思う心を歌っている。都会のネオンライトはまぶしく魅力的だけど、それだけで、ふるさと行きの乗車券=望郷の念を燃やし、消すことはできません。そんな複雑でほろ苦い感情がよく表された歌詞です」

帰りたくとも帰れない故郷への思い

この曲からは、中島の生まれ故郷・北海道の情景が浮かび上がる。医師だった中島の父は、娘がデビューした1975年に脳出血でこの世を去った。その失意のもとで作詞作曲されたのが『ホームにて』だった。

「北海道から上京して歌手としてデビューしたのち、父を失う悲しみのなかで、故郷に帰りたくとも帰れない思いがにじみ出ています。あまり若い頃の体験談を歌わないみゆきさんですが、この曲には深い思いが込められているのでしょう」(音楽関係者)

そんな中島の思いの丈を示す「伝説」が残されている。

「『ホームにて』のレコーディングには坂本龍一さん(70才)が参加しました。できあがった曲を披露するとき、みゆきさんは坂本さんの前で涙を流して滔々と歌い上げ、『プロの歌手が泣きながらレコーディングするなんて』と坂本さんを驚かせたといいます。1978年に出演した歌謡番組『ミュージックフェア』でもみゆきさんは『ホームにて』を歌唱する最中に感極まり、あふれでる涙を止められませんでした」(前出・音楽関係者)

一方で、この曲に込められているのは郷愁だけではない。

「この曲は中島さんの歌う『応援歌』でもあると思う」

と語るのは、音楽評論家の前田祥丈さんだ。

「この曲はふるさとに帰るかどうか、迷う心情を歌っています。人々の心を打つのは『帰る』『帰らない』のどちらを選んだとしても、その選択を歌い手の中島さんが尊重して、肯定しているからじゃないかと感じます。

だから、人生の岐路に立って迷う人に『あなたの選択は間違っていないよ』とエールを送る歌になっていて、自分の選んだ道に自信を持てず葛藤する人のことも、彼女はやさしく慰めます。それゆえに、弱ったときや迷ったときにこの曲を聴くと、支えになる人が多いのでしょう」

『ホームにて』をカバーし、コンサートでも歌う歌手の手嶌葵(34才)も中島に希望を与えられたひとりだ。その手嶌が語る。

「生まれ故郷の福岡を離れて10代でデビューした私は、歌手として成功するかどうか、不安ばかりの毎日を送っていました。コンサートでも足がすくんでうまく歌えないことがあって、福岡に戻りたいという気持ちが強かった。そんなとき、みゆきさんの『ホームにて』を聴き、やさしい歌声に応援された気になり、『もう少し、頑張ろう』との気持ちが湧いてきました。いまも疲れたときはあの曲を聴いて、みゆきさんに背中を押してもらっています」

お笑い芸人の道を選んだ上島さんと有吉も、この曲を心の励みにしていたのだろうか。

「上島さんは役者を目指して神戸(兵庫)から上京したのち、がんのお母さんを看病するため帰郷して再上京したり、お父さんが自己破産するなど苦労の連続でした。有吉さんは高校卒業後にオール巨人さんに弟子入りするも8か月で破門になり、故郷の広島に帰った。1996年に『進め!電波少年』(日本テレビ系)のヒッチハイク企画でブレークしてからも、その後に再ブレークするまで多くの辛酸をなめました。

ふるさとを離れ、困難や葛藤を経験して成功した2人だけに『ホームにて』が醸し出す何とも言えないほろ苦さや、そこから生まれる決意を共有できたのかもしれません。上島さんの追悼として、いかにも有吉さんらしい選曲です」(前出・テレビ局関係者)

深い悲しみのなか、『ホームにて』を愛する先輩に捧げた有吉は、自らを鼓舞して前に進むためにも、この曲を必要としたのかもしれない。

 

「女性セブン」2022年6月9日号


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