晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
※文章や写真の無断転載は禁止!

大津は古津だった。

2010年11月27日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
ブログ記事 近江大津宮(おうみおおつのみや)錦織遺跡 に関連して小話。

滋賀県大津市の「大津」という地名は、かつて「古津」と表記されていました。
全国的にも「大津」という地名は多くあり、津とは港のことなので、“大きい港”という意味に由来するのだとか。
琵琶湖にはたくさんの港(万葉集によると80ヶ所!)があったので、大津は琵琶湖における代表的な港のひとつであったようです。

天智天皇によって営まれた「近江大津宮<通称:大津京/日本書紀:近江京>」によって物資の集散地として「大津」<港>は栄えたものの、ミヤコが廃されてのち「古津(こづ・こつ)」と称されるようになりました。
これは、古都の港・古い港という意味だと思われます。


「大津」の名が復活するのは、平安時代初期のこと。

平安京<京都>へ都を遷した桓武天皇によって、以下のような詔(みことのり=天皇の命令)が、794年11月8日に発されました。

「近江国滋賀郡古津者、先帝旧都、今接輦下、可追昔号、改称大津」

(近江国滋賀郡古津は、先帝の旧都にして、今 輦下に接す、昔の号を追いて、改めて大津と称すべし)



※先帝(せんてい)=桓武天皇の曽祖父である天智天皇のこと。
※輦下(れんか)=天皇のおひざもと。


ようするに、“古津は天智天皇の旧都で、今は平安京にとっても重要な港であるから、昔の呼び名で大津と改称しなさい!!”ということですよね。
ざっくり解釈☆


この詔(みことのり)がなかったら、大津の名はなく、古津のままだったのかも・・・
なーんてことを思うのでした。



 天智天皇~桓武天皇の系図。




*☆*―――――――――――――――――――――――――――*☆*

■参考

・「図説 大津の歴史」上巻 
 (編集:大津市歴史博物館市史編さん室/発行:大津市)
・「平安時代史事典CD-ROM版」
 (監修:角田文衛/編:古代学協会・古代学研究所/発行:角川学芸出版)

*☆*―――――――――――――――――――――――――――*☆*



近江路・歴女ブロガー旅紀行(ブログ「晴れのち平安」編) INDEXに戻る




web拍手を送る blogram投票ボタン


HP『花橘亭~なぎの旅行記~』に戻る> <コメントをくださる方は掲示板へ
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新マンガ日本史 4号 「額田王」 | トップ | 【情報】映画「源氏物語」 ... »

近江路・歴女ブロガー旅紀行」カテゴリの最新記事