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【三重県明和町】 『源氏物語』と伊勢斎宮 | 六条御息所と秋好中宮のモデル徽子女王

2013年10月09日 | 三重県明和町
三重県明和町観光大使のひとり なぎ です。

今回は、
『源氏物語』に登場する伊勢斎王<斎宮>と
そのモデルとなった徽子女王について
簡単にご紹介いたします。


■『源氏物語』に登場する伊勢の斎王

『源氏物語』において光源氏が愛した女性のひとりに
六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)がいます。

六条御息所は亡くなった皇太子<東宮>との間に、
姫宮をひとり産んでいました。
姫宮は朱雀帝即位の際に伊勢神宮に仕える斎王<斎宮>となります。
六条御息所は、斎王となった姫宮とともに斎宮へ赴くのでありました。

斎宮=現在の三重県多気郡明和町にありました。

京に戻った前斎王は母の六条御息所の死後、
光源氏の養女として冷泉帝のキサキとなり
梅壺女御または「斎宮女御」と呼ばれ、のちに中宮となります。
彼女は秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)の名で知られます。





『源氏物語』にみられる六条御息所と斎宮女御<秋好中宮>は、
実在した、徽子女王(よしこじょおう・きしじょおう)がモデルになっているといわれています。




■モデルとなった徽子女王

徽子女王は斎王<斎宮>退下後、村上天皇へ入内し、規子内親王を出産。
内裏の承香殿(しょうきょうでん)を賜ったことから承香殿女御と呼ばれ、
前斎宮であることから「斎宮女御」とも呼ばれています。



やがて成長した娘の規子内親王も伊勢斎王<斎宮>となります。
徽子女王は娘の規子内親王とともに斎宮へ下ったのでした。
(母親が娘の斎王に付き添って下向するのは前例がないことでした。)

このように実在した徽子女王の人生によって、
『源氏物語』の六条御息所と秋好中宮という女性像が創られました。

 ・斎王となった娘について斎宮に赴くところ⇒六条御息所に反映
 ・かつての斎王が入内して「斎宮女御」と呼ばれるところ⇒のちの秋好中宮に反映



 徽子女王について

『斎宮歴史博物館』公式サイト斎王一覧にある
こちらのページに詳しいです。




 伊勢斎王<斎宮>の暮らしを知るには・・・

三重県多気郡明和町にある
斎宮歴史博物館いつきのみや歴史体験館がオススメです。




オススメの本。


伊勢斎宮と斎王―祈りをささげた皇女たち (塙選書)


*☆*―――――――――――――――――――――――――――*☆*

 <関連リンク集>
 
 ・三重県明和町役場

 ・斎宮歴史博物館

 ・いつきのみや歴史体験館

*☆*―――――――――――――――――――――――――――*☆*




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