遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『親鸞始記 隠された真実を読み解く』  佐々木正  筑摩書房

2015-08-27 22:58:54 | レビュー
 本書は1997年7月に出版されていた。私の手許にあるのは、20011年4月の初版第5刷である。18年も前に出版された本をなぜ読む気になったのか。それは、梅原猛氏の『親鸞「四つの謎」を解く』を読んだことによる。梅原猛氏が親鸞について長年抱いていた疑問を再考するきっかけになった一冊がこの『親鸞始記』だったという。そこで、そのソースに遡ってみたくなったのである。

 本書は2部構成になっている。
 第1部は、3つの章と補遺から構成され、著者が世に流布された「親鸞像」を改めて再検討すべきであると、問題提起をする論述である。
 著者が、存覚作と伝えられ、親鸞についての伝承をまとめた『親鸞聖人正明伝(しょうみょうでん)』(以下、『正明伝』と略す)を一読するという出会いが、この書をまとめる動機になったという。「中世の宗教家・親鸞の<思想の結晶が見事に手渡されている>との直観が、私の身体をつらぬいたのである」(p7)と記す。著者の意図は、未だに歴史の闇に閉ざされてる<親鸞の原像>に光を当ててみる必要があるという主張である。これまでに諸学者・諸氏が研究し、定説化されてきた親鸞像に一石を投じるという試みなのだ。そのチャレンジがが関心を引き立てる。
 存覚は覚如の嫡子であり長男にあたる。覚如は親鸞の曾孫であり、父・覚恵から大谷留守職を継承し、血統で本願寺留守職(住職)を継承する世襲制を確立した。そして、親鸞⇒如信⇒覚如の三代伝持を主張した。覚如は長男の存覚との間で、義絶を繰り返していたという。『親鸞伝絵』は覚如が製作したもので、明治以降の親鸞はこの伝絵を主軸語られてきたという経緯がある。一方で、親鸞面受の高弟、真仏・顕智を始祖とする浄土真宗高田派の学僧・五天良空が江戸時代中期に『高田開山親鸞聖人正統伝』を開板している。『正明伝』はこの『正統伝』著述の原史料の一つとなったものだという。

 奥書を見ると、著者は「1945年、大分県臼杵市生まれ。千葉大学卒業後、公務員をへて現在、長野県塩尻市・萬福寺住職」とある。在野の研究者から、既成観念や学界のしがらみにとらわれない自由な発想で問題提起されたところが、実におもしろく、興味深い。
 親鸞は、いつまでも謎多き人物だ。
 
 著者の主張は「序」に明確に述べられている。学界や研究者から「偽作として見捨てられ、立脚地を喪失して浮遊しつづけた『正明伝』を、本来の場所へとしっかりと着地させること」を基本的なモチーフとしていること。それを<史実>と<記憶>と<思想>という3つのテーマからアプローチして実証するという点にある。つまり、『正明伝』は史料価値に溢れるものであり、「親鸞の青年時代の行実が詳細に記されている」のだという主張である。偽作として一顧だにされなかった『正明伝』に記されている「幽霊済度」「大蛇済度」「餓鬼済度」などの説話伝承の中に、「親鸞思想を解読していく上で必須の視座」が内包されていると説く。この第1部を読み進めると、なぜいままで『正明伝』が偽作という断定で葬り去られていたのか、不思議に感じる次第だ。明治以降の学界に築かれた定説に対して、学界外の在野からこういう主張が提起されているのは、親鸞という人物と思想に関心を抱く門外漢にとっては、痛快な感じすらうける。
 尚、著者は「あとがき」において、本書の論考は著者の直観から出発し、「研究書のような学問的方法論は採用しておらず、厳密な論証はいっさいはぶいている」(p236)と付記している。

 第2部は、『親鸞聖人正明伝』の原文を上段に、著者による現代語訳を下段にという二段組みで、『正明伝』全文を掲載している。
 梅原猛氏の著書を読んだときに、この『正明伝』がこのソースに現代語訳で掲載されているという記載から、『正明伝』そのものをまずは現代語訳で手軽に読んでみたいというのが、本書を手に取った理由のひとつでもある。
 著者の第1部の分析と論述を読むことなしに、この『正明伝』だけを読むと、親鸞が夢告を得た話と親鸞が教化の途中で行ったという済度話がかなりのウエイトを占め、そこには奇跡的色彩が濃厚な点に目が行く。あれは偽作だからね、と言われればああそうか・・・と同調してしまう側面があるのは事実のようにも思う。そのままで思考停止刷るかもしれない。そういう意味で、第1部を読んでから、第2部のこの『正明伝』そのものを読めば、やはり関心の持ち方が、この書の読み方が変わってくる。どういう視座から書を読むかの重要性を感じている次第。
 キリスト教の『聖書』の中、各使徒の書にはキリストの奇蹟の話が出てくる。しかし、大半の人々は『聖書』を偽作とは思ってもいない。奇蹟話の記述の中に、真理を読み取っているからなのだろう。『正明伝』の中の済度説話の奇蹟的色彩も、『聖書』中の奇蹟話と同じ次元で伝承されてきた類いのものといえるのかもしれない。

 梅原氏の著書で引用されていたことで既読の部分は一旦捨象して、このソースを読んだこととして印象深い事項というか要点となる部分を要約してご紹介しておきたい。詳細な論理の展開とその論述は、本書をご一読いただきたい。

*中世の時代には「出家」と「遁世」の二重構造があり、比叡山での出家は世俗の枠内に位置し、立身出世と結びつく、職域の一種のなりはてていた側面があること。
*親鸞が比叡山を捨てて、吉水の法然のもとに入門する契機になる動機(要因)の一つに、師の慈円が詠んだ「恋の歌」で公卿方から嫌疑をかけられる事件があったという。そして、再度「鷹羽雪」という題で歌を詠むよう求められた。綽空(=親鸞)が、その詠歌を使者として朝廷に届けることになり、その折、その場で歌を詠じなければならない立場になった。 綽空は、「箸鷹のみよりの羽風ふき立ておのれとはらふ袖の白雪」と即興で詠んだという。
*法然に入門する要因に、親鸞の六角堂参籠における夢告を授かったという「女犯偈」の話が有名であるが、その前に19歳のときの磯長御廟で夢告を授かったということが、親鸞の内的要因のひとつにあること。
*「安城の御影」の黒衣の下にかすかに描かれる「朱色の着衣」には重要なメタファーが秘められていると解釈できること。それは親鸞自身の思想形成の重大転機となったことを象徴するものであるということ。
*覚如の「伝絵」には、覚如の<思想性>が内包されていて、後世に大きな偏向をもたらすことになり、結果として親鸞の<原像>を隠蔽する形になったとみられる側面がある。
*覚如と存覚の間には、思想上の深刻な対立が存在したと推定できること。
*親鸞は、法然に入門した後、法然の指名を受けて、親鸞は九条兼実の娘・玉日姫と「結婚」したと『正明伝』は記す。『伝絵』や親鸞伝ではこの事実に触れられていない。この「結婚」の事実を隠蔽することは、親鸞の思想を歪曲することにつながる。
*親鸞の思想を語る前提として、法然並びに顕密仏教の思想と法然の思想闘争のエッセンスが簡略にまとめられていること。

 上記の要点略記にも触れているが、著者はp85~92において、12項目にまとめて、簡明に、『正明伝』の分析と思想的特徴の解明を行っている。この箇所をまず読んでみると、著者の観点が手早く理解されるといえるかもしれない。第2部を詠むための簡略なイントロにもなると言える。

 印象深い文章をいくつか引用しておきたい。
*<女犯偈>が親鸞の思想の基底に位置する象徴的言語であるならば、その始発点となった六角堂参籠の事実を肖像の中に刻印することは、必然的な展開となってくる。・・・・厳寒期の参籠中に、あるいは比叡山からの往還に使用されたに違いない「帽子」に対してのみ、<参籠=女犯偈>の視覚的象徴としての、重要な位置が与えられたのである。 p55
*親鸞は存在の底の<犯>の事実を正視して、その場所を思想の起点とした最初の人となった。 p122
*法然の吉水教団に集う民衆の魂の躍動・・・・その背後には「食」と「性」の坩堝の中で<存在としての罪>に苦しむ、無数の群萌の地平が広がっていた。  p122
*法然の思想を手渡された親鸞は、「結婚」に踏み切ることにより、名誉ある初めての実践者の地位を獲得した。  p142
*ひとり居て喜ばば二人とおもうべし、二人居て喜ばば三人とおもうべし、そのひとりは親鸞なり。
 親鸞のものと伝わる<御臨末の御書>の言葉は、親鸞の最後のつぶやきではなかったろうか。  p235

 実に痛快な一書である。原文が『真宗史料集成・第七巻』(同朋舎)に収録されているようだが、私を含め、一般的読者には敷居が高い本と目される類いの専門書である。『正明伝』が本著者を介して、現代語訳で手軽に読めることは親鸞の思想にさらに一歩近づきやすい契機となると思う。<親鸞の原像>に肉迫していく上で、一読の価値がある書といえよう。

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本書と関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
真宗教団連合 ホームページ
真宗高田派本山 専修寺 ホームページ
覚如   :「コトバンク」
覚如上人  本願寺第三世(1270~1351)  :「築地本願寺」
覚如における信の思想  信楽峻麿氏  龍谷大学論集・第424号
存覚  :ウィキペディア
存覚(光玄)の生涯  :「真宗文献のページ 書架」
浄土真宗の歴史に学ぶ 千葉乗隆氏  :「安楽寺」

慈円  ;ウィキペディア
法然  :ウィキペディア
親鸞  :ウィキペディア

六角堂 紫雲山頂法寺 ホームページ

【04】不思議な女性との出会い   :「真宗史学研究所」
【05】磯長の夢告         :「真宗史学研究所」
【06】大乗院の夢告        :「真宗史学研究所」
【08】六角堂参籠と「女犯の夢告」 :「真宗史学研究所」
【09】六角堂参籠と「女犯の夢告」(その2)  :「真宗史学研究所」
【10】六角堂参籠と「女犯の夢告」(その3)  :「真宗史学研究所」

西岸寺 ホームページ 親鸞聖人御旧跡玉日姫君御廟所 法性寺小御堂
   玉日姫御廟所
   京都西岸寺玉日姫御廟所の発掘とその意義 玉日姫は実在した?
               山形大学教授 松尾剛次
玉日姫の実在説に新史料 ―「親鸞と結婚」話に真実性 :「中外日報 禅の風にきく」
   山形大教授 松尾剛次氏  2013年2月21日付 中外日報(論・談)
玉日姫夜話。-親鸞妻帯異聞-  :「今様、つれづれ草」
親鸞聖人御因縁秘伝鈔  :「コトバンク」
第8章 親鸞聖人の思想の哲学的特徴  :「Shin Buddhism in Modern Culture」

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『親鸞「四つの謎」を解く』  梅原 猛  新潮社



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