続・山形そば黄門漫遊記

記載する情報は、一部のそば好きの食べ歩きによる個人的感覚の押し付です。嘘も少しはあるでしょうから文句はご勝手に。

奥のそば道・西へ

2006年06月25日 | 奥のそば道

 山形市の《伝統工芸展》という催し物がありまして、ご隠居のおすすめもありましたもんですからチョイトばかしのぞいてきました。 下駄あり提灯あり、まぁ早い話が正月に行われる初市の”ハイグレード版”といったところです。 勿論お目当てはそば屋の道具なんですが、こんな時だからこそ聞けるだろうと日頃の疑問をぶっつけてみます。 早速包丁屋のおかあさんを捕まえて「なしてこだなかだじしてんだずねぇ」(どうしてこんな形をしているんでしょうねぇ) と尋ねてみます。 「そばはなれ、なっぱ切ったりさがな切ったりすんのどちがて、押しきらんなねべ、んだがらこなになんのっだなぁ」(そばは、野菜を切ったり魚を切ったりするのとは違って、押し切ることが必要なのでこんな形になったのですよ)。 さらに続きます「ひいだりおしてやたりしたんではだめだがら、こんだどちからがおんなずぐはいてんまぐきれんべ」(包丁を引いて切ったり押してやって切ったのでは、そばがきれいに切れないが、この包丁だと力が同じように加わるのできれいに切れるでしょう)。 「ほぉ、なるほどねぇ」と感心していると、聞きもしないのにこんな事まで教えてくれました。 「んだらおぎゃくさん、あだまのほうまでそばきっどごみだいにはになてんのなしてだがわがっか」(ところでお客さん、先のほうまでそばを切る刃のようになっているのは何故かご存じですか)。 「しゃねっだなぁ」(知らないなぁ)。「切ったそばばすぐうのっだなぁ」(切ったそばをすくい上げるのに使うんですよ)とのことです、良くできた物です。 まぁこんな感じでその他いろんな話を聞いてきましたが、またの機会にお知らせいたします。 なんやかんやとおばちゃんとの話が弾んだところで、そば道具を買いませんかと言われましたが 、”食い専門”と言ったらガッカリしてましたので、一般の包丁を一丁求めて参りました。 話の種ですが道具一式、鉢とそば切り包丁、伸し板、伸し棒、切るときのあて木で5~6万位からとのことでした。おばちゃんとこのそば切り包丁は高い方で4万、安い方で2万位でした。

 話は変わります。 そば屋の案内もいろいろ来ますが、たまぁーに”独立しました”なんてものもやってきます。 たいがい名前が書いてありますが、何方なのかなんて事は分かりません。 そんなもんですからどれどれということで行ってみると、「あぁあんたか」ということになります。 先日も一通の案内が来たのでしたが、仲間うちも「はて?」ということだったものですから、近くでしたし出かけてみることのいたしました。 何のことはない 三百坊 で働いていた”おねぇさん”が「あぁー! いらっしゃーい」とにこにこしていました。 なんでも修行をしてようやくお許しをいただき、独立にこぎ着けたんだそうです。 あの”おやじ”が師匠ですからそばはまぁ上等なもんです。 タレは妙に山を思い出しますので聞いてみたら、山から応援してもらっているようです。 反面教師とはよく言ったもんで、愛想はいいようですが女性と言うこともありますので、判断は避けておきましょう。 ところで店の名前は いでは といいます。 今回の第一回目でふれましたが、かの西行さんの『たぐいなき思ひいではの桜かなうすくれないのはなのにほひは』という歌に出てくる”いでは”が思い浮かばれます。 なんでも出羽の国の出羽を”いでは”とお読みになったんだそうで、趣深い感じがします。  先にかの西蔵王にある古い石の鳥居にふれましたが、このお店の近くにもやはり古い鳥居があります。西蔵王の鳥居は江戸時代後期に造られたと言われておりますが、こちらはそば屋の宣伝文句によりますと西行さんの帰路のスタートなんだそうで、日本最古の石の鳥居だと言われております。なんせ重要文化財であります、国指定の。 

 物には好き者が必ずおりまして、一切を自分の思いで、もしかしたらこじつけてさらにねじ曲げてもっともらしくお話になる方がおられます。 例えば義経のジンギスカン説、例えば邪馬台国論争等々数えればキリがないほどですが、西蔵王の鳥居もまた戸時代後期に造られたと言うのをトンデモナイとおっしゃる方がおられます。 見れば感じるんですが、結構古そうだし何と言っても100年くらい前になんであんな所に石の鳥居を、、、、と考えると、わけが分からないままに納得してしまいます。 いわゆる竜山信仰の盛んな頃であれば、この鳥居の先に何百の坊があったでしょうが100年前ではもはや何にもなかったはずなので、こんな物を造る必要が感じられないのであります。 とすればもっともっと古い物なのではと考えた方が自然であると思うのでありますが、まぁ暇があったら見てみてカンガエヨー。

 さて、お店の場所ですが山形市内から旧13号線を南進すると、程なく国道286号線と交差します。 さらに進むと右側に”ダイエー元木店”というスーパーがあります。そこでは行き過ぎですので一旦スーパーの駐車場に入って逆戻り、すぐ左側にコンビニがありますので、ここを左折するとすぐです。 まだ儲かってないのででろくな看板作れませんしかけられないようでが、最近安っぽい看板を掛けたという話もあります。 まぁそばには一生懸命のようですから、一度お出かけなってみてください。 好きずきですが「山より良いんじゃない」なんて山の親父が聞いたらおメメがピクつきそうな事を言うヤツも約二名ほどおりました。

 いずれにしても西行さんは、鳥居ヶ丘の鳥居をくぐり白鷹の虚空蔵様を目指したかどうか、その頃虚空蔵様があったかどうかも知りませんが、西に向かい帰路につかれたんだそうです。 そば屋を出て西の御山(白鷹山)を望むと、シルクロードならぬソバロードのスタートに立ったような気がします。