続・山形そば黄門漫遊記

記載する情報は、一部のそば好きの食べ歩きによる個人的感覚の押し付です。嘘も少しはあるでしょうから文句はご勝手に。

奥のそば道・庄内へ

2006年06月30日 | 奥のそば道

 近年のそば人気はとどまるところを知りません。 おかげさまでそばの花がそこら中に咲き乱れ、多くの人たちがその白い花になじんできました。 まぁできの悪い政府の減反政策でそば畑が増えたのですから、災い転じてそばとなったとでも言うのでしょうか。 さて、国道13号線を北進し新庄まで来ると道は分かれます東に向かえば彼の芭蕉が泊まったという封人の家を見ながら鳴子から古川へ、北へ向かえば金山を経て秋田へ向かいます。 こっちの方にもそばの細道はあるのですが、ここは西へ、母なる最上川の流れに沿って下っていきます。 国道47号線を西ににおれて少し進むと、part1でお話ししました あさ沼 があります。 少しスタイルが変わったように感じますが気のせいでしょうか。 さらにもう少し進むと左側に少し入ったところにそば屋を見つけることができます。 最近は自動車道路が延びてきて、酒田方面へ流れてしまうと中核工業団地で下りるか、も少し行ってしまうとすぐそばに目的のそばやの屋根を見下ろしながら行ってしまい、従来の国道に合流してから右折して戻ることになります。 建物自体は酪農でよく見る形で、屋根に 庄司そば と書いてあります。 中にはいるといす席と畳の席がありまして、結構広いような気がしますが畳の方の席の机の幅が狭く、座布団通りに向かい合って座って食べるのはかなり窮屈かなと感じます。

 そばは太めと細めがあるようで、前者を昔田舎、後者を今田舎と言っておりました。経験上の話ですが、一軒の店で太めと細めがある時は結局細めの方がお勧めとなります。たれをちょっと付けて食べるのが”通”と思っている不のついた”通”にとっても、たっぷりたれを付けたい”普通”の人にとってもその方がいいようです。 じゃあ何でふと打ちだけの店があるんだろうと言うことになりますが、その店はそれしかないのだからしょうがないということだけです。 さて、この店はおかずがいくつかありまして、勿論例のニシンがあります。これがまたビールによく合いまして、もちろんお酒にも合いまして、はい、結構なモンです。

 また言ってしまいますが、アホな行政の減反政策で山形ではそばの栽培が増えています。良いか悪いかと言うより美味いか美味くないかの方が重要なのですが、どこでも地物のそばを使っていますという案内が目につくようになり、こんなモンだという感じでそばが出されます。 ただこう言っては何ですが地物が必ず美味いとは限りません。 場所や気候でいろいろ違ってくるのでしょうし、経験も必要なのではないでしょうか。 転作するには手間がかからないのでやりやすいというだけの畑では、それなりのそばしか出来てこないのではと存じます。 ちなみに今年は不作だったそうで、新聞によりますと半減なんだそうで値が上がっているとのことですが、出来や香りについては書いてありませんでした。まぁ結論は食べてからにいたしましょう。

 店を出て国道に戻り、西へ進むと以前お話ししました大石田そば街道から通じてこの国道にぶつかる本合海にあたりで、最上川が見えてきます。 白糸の滝等を右手に眺めながら川を下って行くことになるのですが、それなりに何かの施設がありますのでゆっくり進んでいってください。 戸沢村を過ぎると奥のそば道は庄内藩のエリアに入っていきます。

 ところで、庄司そばの中に「そばがきの作り方」というペラがありまして、参考までにもらってきましたのでご紹介いたしておきます。 ただし、こうしなければならないと言うものではありませんので、いろいろ工夫はしてみてください。

・・・・・・・  奥のそば道 -おまけ-   ・・・・・・・

 ★そばがきの作り方       Copy Right 庄司そば/新庄

  ◇材料(3~4人前)

   1. そば粉・・・・・200g      2. 水・・・・・400cc

(好みのかたさがあると思いますので二回目以降に自分で分量を調整すると良いでしょう)

鍋に水を入れ 、沸騰したら掻きまぜながらながらそば粉を少量ずつ入れる。
  (この間は強火のまま)

② 今度は弱火にして、そば粉をまとめるような感じで緩やかにかき回す。

だんだんまとまってきたら、強い力で掻きまぜ粉のかたまりをつぶしていく。

④ そば粉の色が変わり全体にねっとり感が出たら、火からおろしさらに掻きまぜる。

(②から④までの掻きまぜ回数は50回が目安)

⑤ できた「そばがき(かいもづ)」を、濡らしたヘラで適当な大きさにまとめ器に盛る。



 ― お好みのたれをつけて暖かいうちにお召し上がりください。 ―

 (たれはゴマ、くるみ、麺つゆ、納豆等工夫次第でいろいろ楽しめます。)


そばの細道・田麦野

2006年06月29日 | そばの細道

 気にはなっていたんだけれど、なかなか機会もなくてそのままになっている、こんなそば屋の一つや二つ誰だってあるもんです。 なんかの時に誰かに聞いて、たまたまテレビで紹介されていたりすると、何となく行ったことがあるような気になってしまい、時間だけがどんどん過ぎていってしまう。 行ってみなければ気が済まない筈だったのだけれども、少し年をとったかなぁ。
 天童から仙台へ抜ける国道48号線を東に、仙台方面へ進んでいくとやがてゴルフ場の案内がでています 、天童CCと言います。右に折れてズーッと進んでいき天童高原への案内を見つけたらまた右折します。 道なりに進んでいくと田麦野のに着きますので、あの旗を頼りに進みます。 ちょっと分かりにくいかもしれませんが、注意していれば必ずわかると思います。 変なそばやがあります。 何が変かというと「道楽ここにきわまれり」というか、
悠遊舎たむぎの ・・・ゆったりのんびり遊びを究めて・・・百姓・工房・・・   少しだけそばを商っています。   なんだそうです。

 そして、12月~3月は完全に予約のみだそうです。 要するに、やってないのでしょうが、どうしてもというなら何とか、と言うことでしょうか。
 店(家?)は一見いつものパターン、ただの農家?。そんなに”大 ”でもなく、どっかのそば屋みたいに”やばい”でもない。 少しだけと自ら謳っているだけあって収容人員は少ない感じがします、いや実際少ないと思います。 何処までがここの所有なのかわかりませんが自然の中の一軒家、お庭に花が咲いてます。 部屋の中にも花が品よく飾られています、そう品が良いんです何となく、絵にしても置物にしても、高いものなのかどうかはわからないのですが、それなりに『よさそうなもの』が飾られているのです。 
 そばは多分二八の田舎そば、盛りがちょっと多いような気がしますがその日の気分でも違うので何ともいえません。 何度か行けば分かることでしょう。 特に目立ったところがあるわけではありませんが、初めてお出でになる方には新鮮さが感じられるんじゃないかと思います。 なんでも地物のそばをお使いだそうで、香りが町中よりあるような気がするのは挽いてあまり時間の経ってない証拠でしょうか、いやいや挽き方捏ね方茹で方そして水でのしめ方が上手なのでしょう、、、そう言う私の褒め方も上手でしょう。
 話はちょっとそれますが、”そばの香り”って皆さんお分かりになりますか?私なんか何を称してそばの香りというのか、未だよく分かりません。ただ食べているとき「あぁそばだ」と奥歯の辺りで思うというか感じることがありまして、なんとなく分かっているのか分かんないのか、そんな程度のものだと思っています。 そばを手繰って匂いをかいでも例えば”甘い”香りとか、”酸っぱい”香りとか、あるいは”檜”の香りとか、誰でも分かるような表現がありません、ただなんかの香りはします。 言葉で表そうとすると結構難しくて、今まで適切な表現を耳にしたことはありませんし、もちろん口にしたこともありません。 テレビなんかで「そばの香りがプーンとしていいですねぇ」なんてレポーターが言うシーンを見ると、「嘘付け!分かりもしないくせに」とか「あいつが分かっていても俺は分かっていないんだろうか」などと思ってしまう事があります。 また、そばタレは浸けすぎるとそばの香りが失われますよなんて、そば屋の親父や”通”という好き者でよけいなお世話を言う人がおりますが、「だったら汁物は何なんだ、そばだかなんだか分かるはずがないじゃないか」なんてあげあしをとりたくなります。 まぁこれこそどうでもいいことでした。
 さてこの田麦野あたりは、こう言っちゃ何ですがほんとに田舎で、何もないとこなのです。 近年天童高原が少し観光化しキャンプやスキ-で人が来るようになり、ゴルフ場が出来てこれまた人が来るようになったようです。 お陰で?道路の整備が進み、新緑の季節や紅葉の季節はドライブコースになってきました。 天童高原からも、道路はちょっと狭いのですが面白山を通って何話か前にお話しいたしました山寺へ抜けることが出来ます。 季節を問わずいいところなのです。 新緑といい紅葉といいそば屋へたどり着く道筋はどうしてもワクワクします。そして食べ終わって帰りもなぜかホッとする空間と時間があります。 まぁ暇を作って半日がかりくらいで行ってみてください。

そばの脇道

2006年06月29日 | そばの脇道

 山形のそばにはいろんな器?が使われます。 その器によってザル盛り、皿盛り、鉢盛りとか呼ばれることとなります。 その他にもせいろや箱そばなど、一ヶ所しかなかったのは焼き物の盤に乗せた猪野沢の盤そばぐらいだったと思います。 そんな中で、何となく美味そうな響きのあるものに”板そば”があります。 何のことはない長方形の薄い箱の中にそばを盛っただけのもので、山形の一般的なイメージとしてはちょっと多め(二人前くらい?)の盛りになっているものとなっています。 ただ、知らない方には何か特別なそばに聞こえてしまうようで、以前にもお話しいたしましたが若いお姉さんが注文し、出てきたのをみて「なにこれ、ただ量が多いだけじゃないの」とヒソヒソ話をして半分くらい残していった方がおられました。 今日も久司でお昼をしていたときに入ってきた県外からの?お客さんが、「板そばはないんですか」と尋ね、「うちはもりとかザルなんです」との返事にがっかりし、なあーーーんと食べずに戻っていかれました。 食べかけの”かき揚げ天ザルの”お盆を指して、「これさ盛ってけだらいいんだべ」(このお盆に盛れば板そばになるだろう)と大家さんが言ってました。器を食べるわけではないのだから、、、せっかくNo.1に来たのにもったいないなぁと思ったのは私だけではなかったようでしたがやはり人それぞれ山形のそば、まぁいいでしょう。

さて、話を本題に戻します。 二代目おそば用人『中桜田美濃守』様は、最近 なごみ にご執心であります。 例の”南山形そば街道”のお仲間さんのようですが、なぜか突然飛び地のごとく山形にあります。 国道13号線を大家さんのところから南に進むと、山形大学医学部を右手に見ながら通称”飯田の交差点”を抜けて行きます。 少し進むと左手に”ヤマザワ”と言う地元のスーパー等が集まったショッピングゾーンがありますので信号のある交差点を左折し進んでいきます。程なく電話屋のある交差点がありますのでまた左折、あとはすぐに分かると思います。どちらかというとこぢんまりとしたそば屋ですが、新しいせいもあってきれいな印象がします。 分厚い木の長テーブルに10人以上は座れるでしょう、奥の方に板の間がありまして、四人ず二テーブルがあります。 どっかのおばさんたちがよくだべりに来てそばを食べながら長々居座っているようです。 要するにそんなには混まないということでしょう。 そんな感じで山形のそばを目当てにわざわざお出での方よりは、まぁ地元のサラリーマンや好き者が主なお客のようです。 店のお奨めは”なごみセット”ということなのでしょうか、少々おかずのついた(先日はちんげん菜のあんかけ+柿の白和え+ひじきの煮物+手作りケーキでした)、まぁ定食といった感じのやつですが私は900円の大盛りそばにしています。ちなみにセットの980円は高い気もしますが、まぁいいでしょう。 でもいつも言いますけどもう少し何とかなんないのかなぁ・・。

 いつものことですが話は逸れます。山形の名所千歳公園近くに やくし というそば屋があります。 公園にある護国神社の隣のお薬師様の名をとったんだと思います。ここが食べ放題で800円のそばをやっています。 まずまずのそばで大食いの方は最高です。次年子の七兵衛の1,000円より安く食べ方によっては一番安いかと思います。 ただ、これもいつもの不思議なんですが、山形のそば屋って計算が理屈に合わないメニューが得意なようです。 食べ放題で800円なのにどうして1.5人前が850円なんでしょう、まして好きな方向きとやらで2,000円だったりするメニューがあるんでしょうか。先日の実話ですが、同じグループで一人が大皿に大盛りを食べ、もう一人は食い放題でなんと5枚も食ってました。 値段は歴然たる差があるんですけれど・・・・。

そばガキの独り言

2006年06月28日 | そばの裏通り

 山形のそばも、少しは有名になったもんで開店する人が増え、ずいぶんそっちこっちに旗がはためくようになってきたけれど、十年二十年と経つうちにやめちゃったりしているところも目立つようになってきました。 ちょっとブームに乗り遅れた人、開店が少し早かった人、鼻が高すぎた人もそうですが、年とったからとか病気がちになったりとか、何ともならない理由もあるようです。 中には代替わりで息子殿ががんばり始めた店もありますが、過渡期の何年かは結構つらいところがあるようで、そば屋にとってもそうですが、そのファンにもそのようです。
 打ち手が代わると当然そばが変わります、味も食感もすべて変わってしまいます。初めて来た人なら「こんなもんか」で通ることも、好き者には「なんだこれ、どこのそばだ」となってしまうのです。 希にいい場合もありますが、大概はダメです。 違和感と言うか、とにかく期待したものがでないということは、「かね はらてまでかんたといい(お金払って食べるものではない)」ということになるわけです。 もっとも、そんな人だって初めて行く店ではもっと不味いのを平気で注文してるのでしょうから、やっぱり我が儘なだけなのです。 そんな意味ではそば屋もたいへんな訳でして、頭が痛くなるのでしょうが、現実として打ち手が代わる一時期は常連ががた減りするのは事実のようです。 災害復旧ではないですが短いところでも一年くらいはかかるようですし、もう戻らなかったなんてこともあります。 そうはいっても腕次第なわけですので、めんどうな薄情者は諦めて新しいファンを作った方が良いのかもしれませんよ、新旦那!。  
 話は変わりますが、今年は暑かった、いやまだ暑い。 どうしてこんなに世の中が暑いのか分からないけど、とにかく暑い。 お陰で夏の新そばなんて言われても「ちっとも美味しくない」という声が多い。 ”夏の新そば”はそば粉が少し少し高いので、いっ時少し値上げをする店がありましたが、今年はどうなんでしょうか、新そばでなくてもいいんじゃないでしょうかと思うのですが。 
 先般来なくてもいいお客が来て、そばを所望しましたので(生意気に!)かなり迷ったのでしたが、結局「こんなもんかと言われるのがいやで」、蝋燭庵に連れて行ったら「美味しい美味しい」と感激してましたので少し見直しましたが、帰りがけこのそば屋が副業で(本業??)読売ジャイアンツのロージンバッグを作っているんだよと教えたら、そっちの方が感激が大きかったようでした(フン!トーシロめ)。 そう言えばその前に来たわけありのお兄ちゃんも感心してましたっけ、意外と山形の知られざる観光資源に成りうるものなのかもしれません。 ただし私はジャイアンツが嫌いです。
 かつて、そばが観光資源になるなんて誰も考えなかったのではないでしょうか、酒にしたって同じこと。 何処にだってある”こんなもの”が目立つはずがないと誰もが思っていたのでしょう。 一体何時何処で誰がどうして何のために何をしたのでこうなったのでしょうか、私としては不思議です。 不思議と言えば混ぜもののあるそば、うこぎやヨモギなどの山野菜(草)に始まって海草や芋類、何考えてんのか紅花、果てはキノコまである。 混ぜりゃ良いっていうもんじゃないんだろうに、田舎はものが少ないから混ぜて増やすという”貧乏くさい”イメージがある、私だけがそう思うのかもしれないが。 麦飯、芋飯、大根飯、雑炊、不味いわけではないが、どうも安っぽい。 ところがところが、私は嫌いですし混ぜる量によって貧富の差が如実に出てくるというキノコ飯や栗ご飯なんかは贅沢品と言うイメージがあるようです。 そう言えば金粉の入った酒やなんかの話しはよく聞きますし、先日は真珠の粉入りの納豆なんかにもお目にかかりました。
 いつも聞かれることですが、「山形のそばで一番美味しいところを教えてください。今度山形へ行くので是非寄ってみたい」と言われたら、本当に困ります。 たかが一日二日山形へ来て、一二回そばを召し上がっていただいて「あぁ美味しい」と感激してもらえるそば屋って何処なんでしょう。 そりゃ「まずい」とは言わないでしょうけれど、”また来たい”とか”あいつにも教えてやろう”と思ってもらえるのは何処でしょう。 山形そば黄門漫遊の究極の目的です。
 先日テレビで例の讃岐うどんをやってました。 いつも思うのですがあの値段だけは本当に羨ましい。庶民の食い物はやっぱり安くっなくちゃ。うどん65円からの讃岐を相手にするわけではないけれど、もりそば450円からではチトつらい。つらいと言ってもそば屋だって食えなきゃしょうがない。 しょうがないから諦めてそばを食う。あぁ~あぁ
 不景気かなんだか知らないけれど、そば屋が増える一方でそば屋が消えていく。昨日、中山の 五郎ちゃん へ行ったら閉店の張り紙がしてありました。 サミシィー!

奥のそば道・村山へ

2006年06月27日 | 奥のそば道

 
おかげさまで山形は、何処へ行ってもそばと酒と温泉に不自由することはなくなりました。もっとこれもあれもとおっしゃりたい方もおられるでしょうが、それはそれということにしておきませんとそば屋の話が出来なくなってしまいますので、あとはご自由に探訪と発見を行ってください。
ところで山形では、そばが村おこし町おこしの主役になっているケースがありまして、これまでもいろんな催し物や施設のお話をしてきました。 やまびこ学校のそば祭り、各地の試食会、新ブランドの発表会、各地の伝承館とか何とか施設、すき者が一生懸命の何とかそばの会、その他イッパーイあります。 
 たとえば、数年前から村山市で”日本一の長板そば五十軒堂”というイベントが行われています。毎年10月の末頃に行われ、恒例になりつつあるようです。 一口に五十軒と言いましても、なんせ92メートル位になるわけでして、実に600人が一斉に同じ板からそばを食べるんだそうです。気持ちわるいとは言いませんが、想像するにあまり美味しそうには思いませんでした。 ギネスを目指すとか、まぁ一つのイベントとしてはそれなりに意味があるんでしょうが、「何もここまでやらなくったって」とどこか醒めた感じで見ていました。
  ところがところが、先日村山市のライオンズクラブが35周年記念式典を行った際に、たぶんお仲間が関係者なんだと思いますが、やや小ぶりの”出張出前十六軒堂”にありつく機会がありまして、行って参りました。 「村山そばの会」と村山市農村文化保存伝承館利用者連絡協議会、ようするに村山の好き者が地域おこしを目的に楽しみながら活動しているわけでして、やるんだったらとことん! どうせやるなら目立たなくっちゃ! ということなんでしょう。
まず、けっこうなものでした。
  イベントの日には地元のそばをその日に挽いて、朝早くから打って提供してくれるんだそうです。 この日も20人からの打ち手が一生懸命頑張ってくれたんだそうで、頭が下がります、もちろん下げたままでたっぷりいただいてきました。
スタンダードな二八そば、やや太めで柔らかめ、たれがチョット甘いかなぁと思いましたが全体としてはたいへん結構でした。なんと言っても話題性は最高で、ついつい他人に「例の長板そばて言うの、食ってきたば」としゃべりたくなります。 年に一回の”日本一の長板そば五十軒堂”だけかと思っていたら、”出張出前十六軒堂”なんてことをやるんですから、なんかがあればやってくれるのかもしれません。普通はやらないのでしょうが、なんかがあればやるのかもしれません、なんかが。 今回はそこまではお聞きしませんでしたが、興味の有る方はぜひお尋ねになってみてください。(村山そばの会事務局 0237-53-3277) 因みに十六軒堂さんは、一回70~80人程度を想定して3回入れ替えをしてくれました。 余談ですがこの日はお腹がすいていた人が多かったのでしょう、一回目はたいへん混み合って窮屈そうでしたが、二回目、三回目となるとゆったりと、しかもたっぷりといただくことが出来ました。 私は二回目と三回目に混ざって、はい、たいへん結構でした、はい。 ”あわてるなんとか・・”と言うか”急がば回れと言うか”、残り物ではないのですが二回目三回目のほうが”福”は多かったようです。

 さて、この村山市もそばに関して何かと話題が多い町です。 母なる最上川の西側を走る国道347号線の周りは以前は一面のそば畑で秋になると真っ白に染まったように見えたんだそうです。 そのくらいそば栽培が盛んだったということなんでしょう。 そんな昔の風景を求めて、十何店かのそば屋が集まって”村山そば街道”がスタートして何年になるでしょうか。 こう言っちゃなんですが国のアホな減反政策のおかげで田圃が減ってそば畑が年々増えてきています。 前述の村山市農村文化保存伝承館も『そば打ち道場農村伝承の家』としてチャーンと八番店となっています。
南の河北町から北の大石田へ、そして途中国道からはずれて山の内から次年子方面へ抜ける道筋はまさに”そばメッカ”巡礼の道、そば街道に加盟していない店も入れるといったい何件のそば屋があるんでしょう。 まったく何度行っても飽きない四季折々の眺めとともに、目も心も、そして腹も癒してくれます。
  別に宣伝費もらっているわけではないのですが、このそば街道は”最上川三難所そば街道”というのが本名のようでして、村山の最上川三難所も宣伝しているわけです。 これは「最上川舟歌」にも歌われる「碁点」「三ケ瀬」「隼」でして、川下りなんかも楽しめますよということであります。 かつて芭蕉は、山寺を訪れた際、最上川について『最上川はみちのくより出でて、山形を水上とす。ごてん、はやぶさなど云おそろしき難所有り』書いております。 川は一見すると危険そうには見えないのですが、まぁ興味のある方はご自分で調べてみたり、難所下りの船に乗って船頭さんの話でも聞いてみてください。
 Part1で書きました”樽石そば”あたりから始まって大石田、尾花沢、新庄方面へ、あるいは次年子の七兵ヱ、仁三郎そして わらぐちそば屋なんかを通って本合海方面へ、いずれにしても奥のそば道は庄内へと続いていきます。

そばの細道-山寺

2006年06月26日 | そばの細道

 かつて彼の芭蕉が立ち寄ったとされている山寺立石寺は、貞観2年(860年)清和天皇の勅願によって慈覚大師が開いたと言われる天台宗のお寺です。 奥の細道では『殊清閑の地也。一見すべきよし』と人々にすすめられて、尾花沢からわざわざ寄り道なさったと書いてあります。(注:”わざわざ”とは書いてありません)
まぁ現代ですとR13を車で小一時間の距離ですが、昔はそれなりに大変だったと思います。山沿いの村々をたどって、一日ではちょっと無理だったのではないでしょうか。思うに山寺よりも古い若松様経由であったのではと思われますが、そんな何百年も前のこと分かりっこないのです。 ところで、この若松様は和銅元年( 708 )に東国巡錫の旅の途中にあった行基菩薩によって開山されたと言われ、最上三十三観音の第一番札所霊場として、また『 めでためでたの若松様よ 』と花笠音頭にも唄われ、縁結びの観音様として有名なんであります。 ところで、こんなことを書いていたら、なぁーんと地元の新聞に天童市が芭蕉の歩いた道を観光資源として開発するなんて記事が出ていました。 好きな人は市役所にでも電話してみたらいかがでしょうか。 何でも芭蕉が座ったという”休石”もでっち上げられているようです。 オット言い過ぎ、こりゃウッカリだ。

 前にも申しましたが、そんな芭蕉が寄り道した頃が山形にそばが伝えられたといわれる時代です。 芭蕉さんがそばを食べたかどうかはしりませんが、そんな昔の『興味津々丸』君のようですので、たぶん食べたんじゃないかという思いなのであります。ただそれだけの話なのです。 そんなことを考えながら山際に近いほうを辿って来ると点点とそば屋が店を開いています。前編でお話いたしました水車そば(川原子)とか、それこそ若松様のところの松寿庵などです。

 さらに山沿いに進んでいくと近年開通した『フルーツライン』なる農道に出ることができます。その名の通りいろんな果樹畑のど真中を走るデラックス農道です。 「やれやれ税金高いわけだ」なんて言わないでズンズン行くと『じゃがら村』なる最近そっちこっちでよく見る”村おこし施設”風のドライブインというかなんていうか、とにかく目に付きます。 そばやうどんを出してくれますし、たまには餅つきして振る舞ってくれます、もちろん有料です。 あと当然ですが季節の果物や、近くで作った野菜なんかも直売しています。 安くはないと思ったら「もっとまげだらいいべしたぁ」(もっと安くしてくださいよ)と言ってみましょう。 保証はしませんが、なんかオマケがついたりすることが多いようです。 そばは多少なみがあるようで、美味い!日とイマイチかな?の日があるようですが、真夏のひと時はスーパードライがカバーしてくれます、はい。 車で数分登っていくと冷たい湧き水がありまして、道具材料持ち込みで素麺などをゆでていただくと最高の味がします。 ただしみんながきれいな水を求めてくるところですので、食べかすやゴミを残したりしないように、後始末は必ずキチンとしてください。
 ところで、この『じゃがら村』はその変な名前でスコーーーシ有名な『じゃがらもがら』のからとった名前で、車でさらに15~20分位登っていくとその珍しい地形を拝むことができます。どのように珍しいかはヤフーあたりで検索してみてください。 いわゆる姥捨て山の伝説があるところでいろんな話があります。 因みにそこからさらに歩いて登っていくと頂上付近に竜神の池(直径がなんと1,000ミリメートルくらいはある。Dr.スランプの”あっち池”??分かるかなぁこれ!)もある雨呼山(あまよばりやま)があります。なんとも不気味な頂上で昼なお薄暗く、景色は何も見えません。 どうでもいい話でした。
 じゃがら村を後に進んでいくと、山寺街道に出会います。いまのところフルーツラインはそこが終点(基点?)で、山寺までは10分くらいのところです。 昨年その途中にそば屋が一軒開業いたしました。 やまぶき という店で、そばは普通の田舎そばです。店の由来は若松様に咲くやまぶきなんだそうですが、若松様が特にやまぶきの名所と聞いたことはありませんのでなんかの思いなんでしょう。 もりと言わずにせいろと言っていますが、板そばもありますのでよく分かりません。 店はまだ新しくきれいで、愛想のいいお姉さんがてきぱきやってくれますので気分もいいもんです。 天ぷらの他に鰊がありまして、ビールにも良く合います。残念ながら天童なんで鴨入りのとりそばなんてものがありますので、減点1であります。ただしこれを言ったら山形の半分以上のそば屋が減点1となりますので、、まぁいいでしょう、しょうがないでしょう。
 そんなこんなでやがて山寺の門前に着きます。 何処もそうでしょうが、お土産物屋とか食堂なんかがズラリと並んでいます。 中にそばやが何件かありまして、それなりに頑張っていますが、なんと言っても観光地ですので天ぷらとか山菜とかとにかく何かが付いて少々高めになっているのは仕方の無いことなのでしょう。 賑やかなこともありますので、少々落ち着かない感じもします。 好き好きですからなんともいえませんがどっちかというと”観光地”を味わってください。
 大概の方はここで終わりで戻って行くことになります。 この先は二口峠を越えて宮城秋保温泉へ行く道と、面白山を通って天童高原とか田麦野へ行くことになります。 新緑や紅葉の時期は大変きれいなところです。 ただし数年前から前者のほうは車ではいけないようですのでご注意ください。 そういえば数年来の課題となってる面白山のそばはまだお目にかかっていませんし、話ばかりで田麦野のそばにもお目にかかっていません。サボっているんではないのですが、まぁいずれお話し申し上げます。

奥のそば道・西へ

2006年06月25日 | 奥のそば道

 山形市の《伝統工芸展》という催し物がありまして、ご隠居のおすすめもありましたもんですからチョイトばかしのぞいてきました。 下駄あり提灯あり、まぁ早い話が正月に行われる初市の”ハイグレード版”といったところです。 勿論お目当てはそば屋の道具なんですが、こんな時だからこそ聞けるだろうと日頃の疑問をぶっつけてみます。 早速包丁屋のおかあさんを捕まえて「なしてこだなかだじしてんだずねぇ」(どうしてこんな形をしているんでしょうねぇ) と尋ねてみます。 「そばはなれ、なっぱ切ったりさがな切ったりすんのどちがて、押しきらんなねべ、んだがらこなになんのっだなぁ」(そばは、野菜を切ったり魚を切ったりするのとは違って、押し切ることが必要なのでこんな形になったのですよ)。 さらに続きます「ひいだりおしてやたりしたんではだめだがら、こんだどちからがおんなずぐはいてんまぐきれんべ」(包丁を引いて切ったり押してやって切ったのでは、そばがきれいに切れないが、この包丁だと力が同じように加わるのできれいに切れるでしょう)。 「ほぉ、なるほどねぇ」と感心していると、聞きもしないのにこんな事まで教えてくれました。 「んだらおぎゃくさん、あだまのほうまでそばきっどごみだいにはになてんのなしてだがわがっか」(ところでお客さん、先のほうまでそばを切る刃のようになっているのは何故かご存じですか)。 「しゃねっだなぁ」(知らないなぁ)。「切ったそばばすぐうのっだなぁ」(切ったそばをすくい上げるのに使うんですよ)とのことです、良くできた物です。 まぁこんな感じでその他いろんな話を聞いてきましたが、またの機会にお知らせいたします。 なんやかんやとおばちゃんとの話が弾んだところで、そば道具を買いませんかと言われましたが 、”食い専門”と言ったらガッカリしてましたので、一般の包丁を一丁求めて参りました。 話の種ですが道具一式、鉢とそば切り包丁、伸し板、伸し棒、切るときのあて木で5~6万位からとのことでした。おばちゃんとこのそば切り包丁は高い方で4万、安い方で2万位でした。

 話は変わります。 そば屋の案内もいろいろ来ますが、たまぁーに”独立しました”なんてものもやってきます。 たいがい名前が書いてありますが、何方なのかなんて事は分かりません。 そんなもんですからどれどれということで行ってみると、「あぁあんたか」ということになります。 先日も一通の案内が来たのでしたが、仲間うちも「はて?」ということだったものですから、近くでしたし出かけてみることのいたしました。 何のことはない 三百坊 で働いていた”おねぇさん”が「あぁー! いらっしゃーい」とにこにこしていました。 なんでも修行をしてようやくお許しをいただき、独立にこぎ着けたんだそうです。 あの”おやじ”が師匠ですからそばはまぁ上等なもんです。 タレは妙に山を思い出しますので聞いてみたら、山から応援してもらっているようです。 反面教師とはよく言ったもんで、愛想はいいようですが女性と言うこともありますので、判断は避けておきましょう。 ところで店の名前は いでは といいます。 今回の第一回目でふれましたが、かの西行さんの『たぐいなき思ひいではの桜かなうすくれないのはなのにほひは』という歌に出てくる”いでは”が思い浮かばれます。 なんでも出羽の国の出羽を”いでは”とお読みになったんだそうで、趣深い感じがします。  先にかの西蔵王にある古い石の鳥居にふれましたが、このお店の近くにもやはり古い鳥居があります。西蔵王の鳥居は江戸時代後期に造られたと言われておりますが、こちらはそば屋の宣伝文句によりますと西行さんの帰路のスタートなんだそうで、日本最古の石の鳥居だと言われております。なんせ重要文化財であります、国指定の。 

 物には好き者が必ずおりまして、一切を自分の思いで、もしかしたらこじつけてさらにねじ曲げてもっともらしくお話になる方がおられます。 例えば義経のジンギスカン説、例えば邪馬台国論争等々数えればキリがないほどですが、西蔵王の鳥居もまた戸時代後期に造られたと言うのをトンデモナイとおっしゃる方がおられます。 見れば感じるんですが、結構古そうだし何と言っても100年くらい前になんであんな所に石の鳥居を、、、、と考えると、わけが分からないままに納得してしまいます。 いわゆる竜山信仰の盛んな頃であれば、この鳥居の先に何百の坊があったでしょうが100年前ではもはや何にもなかったはずなので、こんな物を造る必要が感じられないのであります。 とすればもっともっと古い物なのではと考えた方が自然であると思うのでありますが、まぁ暇があったら見てみてカンガエヨー。

 さて、お店の場所ですが山形市内から旧13号線を南進すると、程なく国道286号線と交差します。 さらに進むと右側に”ダイエー元木店”というスーパーがあります。そこでは行き過ぎですので一旦スーパーの駐車場に入って逆戻り、すぐ左側にコンビニがありますので、ここを左折するとすぐです。 まだ儲かってないのででろくな看板作れませんしかけられないようでが、最近安っぽい看板を掛けたという話もあります。 まぁそばには一生懸命のようですから、一度お出かけなってみてください。 好きずきですが「山より良いんじゃない」なんて山の親父が聞いたらおメメがピクつきそうな事を言うヤツも約二名ほどおりました。

 いずれにしても西行さんは、鳥居ヶ丘の鳥居をくぐり白鷹の虚空蔵様を目指したかどうか、その頃虚空蔵様があったかどうかも知りませんが、西に向かい帰路につかれたんだそうです。 そば屋を出て西の御山(白鷹山)を望むと、シルクロードならぬソバロードのスタートに立ったような気がします。

駅前クラブ本丸

2006年06月24日 | そばの裏通り

 今年(平成13年)山形の駅西に山形市では一番高い24階建てのビルが出来ました。大都市の人と違って高層ビルがなかった町では、自分の町を上から眺めるには飛行機かヘリコプターにでも乗らないと難しいことだったので、たいへん珍しい眺めを楽しむことが出来るようになりました。 なんだかんだとパットしない時代ですが、高いところから眺めてみるとそれなりに町は発展してるんだなぁと感じられるものです。 それにしてもきれいな山々が連なり、あらためて水に苦労しない町のありがたみを感ぜずにはおられないのであります。 米、酒、そば、、、、。
 24階から見るとすぐそばに山形の城跡が堀に囲まれて見えます。 霞ヶ城二の丸跡で、山形の桜の名所でもあります。 まだですがそう遠くない将来には歴史と文化の香りがするように整備されるようです。 今でも霞城公園と言って市民に親しまれているのですがなにやら大改造するんだそうで、賛否両論があるんですが、体育館や野球場やプールやテニスコートや武道館や弓道場なんかを追い出してしまうんだそうです。 
 まぁそれはそれとして、ちょっと昔まではこの二の丸のお堀には水が湧いていたのであります。 扇状地の下の方ですのであたりまえと言えばそうなんですが、結構そんなところがあったのです。 道路なんかが整備されるのにつれて、さらに西へ行っても水は湧かなくなりました。 掘り返しが悪かったのか、舗装工事のせいなのかそれと何なのか誰もわかりません。
昔のそこそこの規模の城跡ですから二の丸の外に三の丸があります。ずいぶん広かったんだなぁと見渡すと、そこはそば好き、点々とそば屋を辿ってしまいます。当たり前の事なんでしょうが、三の丸の城壁の外は一般の町だったわけですから、商人や一般の家が町を作っていたわけで、そば屋だってあったと言うことなんでしょう。
 三津屋、庄司屋から始まって十日町、七日町、旅篭町、、、、そして城西へとそば屋がならんでいます。いったい何軒のそば屋がこの広そうで狭い町にあるんでしょうか、美味かろうが不味かろうが所詮好みが全ての食べ物の世界、こうやって雲の上から(言い過ぎ)眺めると心がうきうきしてきます。 さぁそば食いに行こう!
 久司 は駅のすぐそばにあります。 まえは”名人そばやながわ”といったんですが、改名いたしました。 先日行ったら「今日から新そばだよ」って教えてくれました。そばが良いのか、粉屋が良いのか、やっぱりそば屋が良いんでしょうが、「今年は甘さがしっかりだねぇ」と誉め言葉が出てしまいました。 時期的に山形は少し早いので、北海道かなと想いつつ、「今のはどこのかなぁ」と問いかけてみたら、「北海道かなぁ」との返事でした。 ここなんですよねぇ山形のそばって、別に地物に拘る必要は無いんです、美味しいそばを出せればそれが山形のそばなんです。 確かに地物のそばが増えては来ておりますが、だからといってベストとは限らないし、産地までこだわる向きはそんなにいらっしゃらないと思います。 勿論地物が増えていくのは大賛成なんですよ、前に書きましたが寒晒しそばのような工夫にも出会えるわけですし、最近ではそばの品種まで拘りが出てきているようですし。 でも山形のそば好きは贅沢で、我が儘です、そばに関しては。地物だろうが何だろうが文句は痛烈、「んまぐねぇ」どころか「なんだこれ」にはじまって
「あどこねは(二度と来るもんか)」は『まさに日常チャメシゴト』、甲子園の虎ファンよりキッツ-イです。 
  さてさてこの久司、そばもそうですが天ぷらもグー!です。小えび入りの掻き揚げとの掻き揚げ天ざるは人気商品、それからお昼なんかは”やなてん”と言って、なんと豚肉スライスの天ぷらでも良いかなと思います。 それからお昼は一言言えば小鉢に炊きたてのご飯をサービスしてくれます。 そばのおかず?に結構合ってますので、おなかに自信のある方はお試しなさってはいかがでしょうか。
 ところで駅前を歩いていますと、山形のそばがそれなりに知られてきたもんですから、たまに余所の方?に聞かれることがあります。 そう言う目で見れば、山形駅前にはあの旗がありません。奥ゆかしいというのか、けちなのかはたまたバカなのか全く情けないのであります。 さわぐわりには、駅前にはそば屋は少なく、案内も殆どありません。 結局”どうしても”と思いの深い方だけが意を決して、「山形のそば屋で、その何と言うかどっか近くにないですかねぇ」と尋ねてくださるわけです。もちろん『あなたのお奨め』をお聞きになりたいわけだと思います。 近くですと 久司 となるわけですが、休日はやってませんので、今度というわけにもいかない方々にはちょっとなんです。 三津屋、庄司屋、羽前屋、萬盛庵、、、、と続けますが、「車で5分位」と言いますと、「せっかく来た山形、それくらいなら歩いて行きたい」とおっしゃられます。 歩けば15~20分、まぁそれも結構ですが、でも山形初めての方にはどうかなぁと考えてしまいます。羽前屋、萬盛庵方面なら歩道の整備も良いのですが、三津屋、庄司屋方面となると歩道の整備状態があまりにも”立派過ぎる”し、見るものも無いのでどうかなぁ、、、、、。
 近年、駅前大通りに、そして史跡”三の丸跡”のすぐそばに、しかも歩いて駅から五分の所に三津屋の出店”出羽路庵”が出来ました。 まぁ大概の場合このへんで落ち着くようになりましたが、それはそれとして三津屋だったら本店へ御案内したい気がするのは私だけでしょうか、庄司屋も見て欲しいような気がしますし・・・・・。

奥のそば道・月山越え

2006年06月23日 | 奥のそば道

 山形もなんだかんだと都市の体を備えてきました。 例の代表的な特殊法人がやっている自動車道にしてもどんどん整備されていくようです。 山形から庄内地方へ抜けていく国道112号線、通称”月山道”、古いお方には”六十里越街道”と言った方が通りがいいかもしれませんが、ここも並行して高速自動車道が建設され、一部一般道と共有の自動車専用道路部分はありますが、従来よりかなり早く鶴岡、酒田へ行けるようになりました。そんなおかげで”奥のそば道-月山越え”は味気ないものとなりまして、ならばいっそ庄内で”むぎきり”でも、、、、なぁーんて方が増えてしまったのでありました。 
 ところが、なぁーんと山形から酒田方面へ向かい寒河江ダムを過ぎるて月山湖のはずれ、有料道路が終わり一般道と共有の自動車専用道路と合流するところに行きますと、そばの香りがしてきます。 合流点をUターン、ほんの少し戻ってさらにUターン、大井沢への道に入った所に何年か前から『あの旗』が立っています。 大越そば と看板が出ていますので直ぐにわかると思います。
 ちょっと話がずれますが、寒河江ダムのダム湖を通称”月山湖”と呼びます。 これがややこしい始まりなんですが、”寒河江湖”とは呼ばないのであります。 道を進んで庄内側に行くと近年”月山ダム”が作られました。 地元の人はそのダム湖を”月山湖”と呼びたくなりますというか、これが自然だと思います。 ちょいともめたのは記憶に新しいところです。 どうなったんだけかなぁ。 (寒河江ダム)とか”あさひ月山湖”とかなんとも情けない表示を目にします。 そういえば月山を挟んで内陸側に”朝日町”庄内側に”朝日村”があるのもなんかの因縁でしょうか。
 話を戻します。 この大越そば、湖の絶壁にある感じでとくに春と秋が見事です。冬は何ともならないので2~3ヶ月お休みにしているようですが、太めのわりにやわらかな万人向けのそばを出しますので人気が高いようです。 自動車道で来ると仙台から二時間とかからないものですから、宮城ナンバーが目につきます。そば食って、112m上がる月山湖の大噴水を見て、湯殿山か月山で自然を満喫してお帰りになる方が多いようです。  ところで、ここの店ではおかずに”京にしん”というのがあります。 京にしんについてはこれまでもいろいろ論議がありましたが、決定的な物がありません。 京都出身の方でさえ「そんなもん京都で食べればそうなんじゃない」なんておっしゃる方がいたもんですから、変に納得してそのままでした。 もちろんこのそば屋でも結論なんてとんでもない、美味しかっただけです。 さて、そばを頼んでしばし待っていると、ポツポツとやってくるお客で、一見常連風の人が「今日はイワナある?」とか「イワナないのぉ?」とか聞いているのが聞こえてきます。 はっきりとは聞きませんでしたが、どうも親父か誰かが釣ってくるようで、それをお客に出しているようです。 もし行かれたら、知った振りして「今日はイワナある?」なぁーんて聞いてみたらどうでしょうか。店の人はともかく、周りの人はあの人は《常連さん》なんだと、尊敬の眼差しを感じさせてくれるかもしれません。でも言っておきますがそばとイワナってそんなに相性いいとは思いませんよ、まぁ一杯飲んでからとおっしゃる方は羨ましい限りではありますが、、、、、
 そばが終わったらゆっくり大自然をご見聞ください。 先に申し上げまし湯殿山か月山も結構ですが、ちょいとはずれて大井沢あたりへ行かれてもいいのではと思います。 冬はまさに”死ぬほど”雪が降るところですが、とってもいいところです。 朝日連峰の登山口という以外にはこれと言ったもの、あぁそういえばだいぶ前の話になりますが東京あたりで問題起こした役者が稽古場を作って話題になったことがありましたが、あれは今どうなっているんでしょう。 春はその辺の民宿で山菜三昧、民宿によってはそばを出してくれるところもあると聞いております。 なんかの際には「そばでもぶって、あど鶏でも絞めっでけっか」(そばでも打って、鶏でも処理してごちそうしようか - ただしこの話は昔の話で今はどうだか知りません)なんてことだったのでしょうから腕に覚えのある名人が多いのかもしれません。 秋は紅葉狩りをして、ついでに資料館?だったか寄ってみると煮込みそばがいただけたものでした。 でもキノコが腐るほど入っていたのでガッカリしたのを覚えています。 何度でも言います。 キノコはだめです、絶対だめです、美味しいはずがないのです、あんな物。私は大嫌いです、決して食べません。 やっぱり秋はやめましょう。 好きな人はどうぞご勝手に フン!!!
 まぁいずれにしても奥のそば道は、山形のそばを引き連れて月山を越え、出羽三山そして庄内へ伝わっていったんでしょう。

奥のそば道・会津へ

2006年06月22日 | 奥のそば道

 最初にお話いたしましたが、山形にそばの文化をもたらしてくださったのは、信州高遠から移ってこられた保科公と申し上げましたが、そのお殿様はやがて会津へとさらにお移りになられました。  奥のそば道は、現在の国道121号線大峠を越えて会津へと伸びて行ったというわけです。 前編で福島の山都町のことを書きましたが、会津地方にもこの他に若松、田島、檜枝岐、、等々と言った具合にそばの町が結構あります。そう言えば喜多方ラーメンもこの会津の産品です。
 ところで、近年「道の駅」なるまぁドライブインをよく見かけるようになりました。観光物産館的な要素を備えた町興し村興しの意味もあるんでしょうが、そういえば先に書きました飯豊町にも”めざみの里”という結構大きい道の駅がありまして、地元の産物を中心に販売しておりました。 さて、話を戻します。 この国道121号線大峠は昔の重要道路だったのでしょうが、つい20年くらい前までは、冬は通れないし、すぐストップするし、国道とは名ばかりの酷道だったんだそうです。そばは多分山形側から会津側へ行ったのでしょうが、かつて米沢に移ってこられた上杉景勝公は、彼の伊達政宗公が仙台に移られたあとに、会津から来られたのですから米沢と会津は何かと縁深き町なのです。 そんなこんなでこれじゃいけないと、米沢の旦那衆が改良促進のための期成同盟会をつくり一生懸命運動を始め、お陰で今ではへたな有料道路なんかよりズーット快適な国道になっています。まぁ一度ござてみでけらっしゃい。(お出でになってみて下さい)
 その国道の途中に道の駅「田沢」なごみの郷という施設が有ります。いわゆるドライブイン+αなんですが、「米沢市地域資源活用センター」というのが正式名称なんだそうです。どうもこの手の施設の名前はダッサイ!というかドンクサイ!というか、見え見えの《ひも付き予算》のにおいが強くてあんまり好きではありません。 「どこの役所のひも付きだって所詮税金なんだから、も少し考えろ!」と思うのは私だけでしょうか。  一緒に行ったそれこそ口の悪い人は、なごみの”ごみ”と”資源活用”で「リサイクル」というイメージだなぁと笑ってました。 確かにメインの建物は米沢の100年以上前の民家を移築した、まさに”リサイクル品”なんだそうです。でもこれは大変結構なものなんですよ、これは。 さらにここがいいのは、ここの運営?に関わっている人が近隣の人々達なのもですから、そばも打ち手が複数居るんだそうです。 良くあるパターンなんですが、こういうのって当りが多いんです。なぜかというと、どこでもそうですがそういう所にって名人が何人かいらっしゃいましてそれぞれが結構なレベルなんです。 しかし、べつにそば屋をしようとして熟練した訳ではないのですから、毎日毎日何十人分も打って商売する気はないんです。 ただ、みんなでやるんだし、少しは小遣い稼ぎにはなるし、旨いと誉められると悪い気はしないし、第一ワイワイやるのが嫌いじゃないし、勿論自信はあるし、と言うことなんでしょう。 もっとも継続は大変なことだとは思いますが、とにかくそんなこんなそばが出されています。 典型的な田舎そばで多分二八くらいでしょうか。 ここの"売りは”ここで挽いた粉なんだそうです。 いわゆる”挽き立て打ち立て茹でたて”をいただけるという事なんでしょう。 そば粉は地物なんだそうです、山あいのだけにそんなに獲れるかなとも思いましたが、そうですか、まぁいいでしょう。 前に行ったときは、たまたまなんかのサービス期間とかで少し安かったようでしたが、いつもと言うわけには行かないようです。 ただ、平日お昼に田沢までとなるとちょっと考えてしまうくらいの”奥のそば道”、休日にお仲間やご家族連れで、できれば新緑か紅葉の頃、ドライブ゛がてらにというのがお薦めです。 ただし、申し上げた通りの田舎そばですんで、ぼそぼそとは言いませんが、お好みにあわせて汁物なんかも選ばれるのも良いんじゃないかなぁとおもいます、うどんかなんかもあったようでしたが。
 ところで話は変わりますが「草木塔」というものをご存知でしょうか。草木にもそれぞれ魂があり、それから得られるさまざまな恩恵に感謝し供養する心を表すもので、「草木供養塔」とも言われ、一番古いものは上杉鷹山公の時代に建てられたものだそうで、この田沢にあることから「草木塔」発祥の地と言われているんだそうです、いや言っているんでしょう。ちなみにこの”なごみの郷”には最大の「草木塔」が設置してあります。置賜中心に山形県内や福島、岩手なんかに見られるちょっと珍しい石碑なんだそうで、草木や路傍石も成仏できるという、ある意味で大宇宙的な宗教観が見えるような気がします。  一番古いのを見たい方は”なごみの郷”ででも聞いてみて下さい。 ハッキリ言ってただの石碑ですので、過大な期待をもって見に行くとがっかりするかも知れません。でも、そんなもんだと知った上でご覧になれば、いいみやげ話くらいにはなると思います。興味のある人はインターネットで検索してみて下さい。