続・山形そば黄門漫遊記

記載する情報は、一部のそば好きの食べ歩きによる個人的感覚の押し付です。嘘も少しはあるでしょうから文句はご勝手に。

続 山形そば黄門漫遊記 その154      山形のそば

2016年05月14日 | そばの脇道

 テレビの『ケンミンショー』をよく引き合いに出しますが、なんとなく見るには『鑑定団』ほど集中なしにダラダラと”見、聞き流し”できるから楽で、それでいてなんとなく興味のあるところは頭に残るからなんでしょう。  ちょっと前に「今度山形のそばがテーマになるんだと 」と誰かに聞いて、忘れていたのですが、なんとなく見ていたら始まりましたので、「あぁそうだった」と思わず見てしまいました。 残念ながら『恐怖のとりそば』が大きく取り上げられて”がっかり”でしたが、山形のそばの起源がかつて信州高遠から 栄転? あそばされた、徳川家光の異母兄弟である保科の殿様がもたらしたと何度も語られ、歴史認識という訳のわからないどうでも良いことがよくマスコミで出てくる昨今、大変結構な歴史教育であったと思います。 まぁ、ただ、いつも言いますが鳥はだめです。 あんなもの美味しいはずがないので、食ってはいけません、私は大嫌いで決して食べません、、、訳のわからないどうでも良いことでした。   要するに何が言いたいのかと言えば、山形のそばは”正統派”であり、”その辺の田舎そば” や ”タレをチョットしか付けない 通? たちの” とは”格” が違うというとであります、エヘン。        といきたいのですが、ラーメンもあるからなぁ ~ 我田引水、自画自賛 自己陶酔 自己満足  無理があるかなぁ~
 ところでよく話になるのですが、『山形のそば』ってどんなのだぁ?  高遠から来たそばってどんなだったのやぁ? 答えはいつもありません、ああだこうだとおっしゃる方はおりますが、無いのです。 いつまでたってもできるはずの無い  山形城(霞ヶ城) と一緒で、そもそもの資料がありませんので・・無いのです。 件のケンミンショウでは高遠は 焼き味噌ダレ とのことでしたが、そんな話し山形の そば では聞いたこともありません。 どんなモノなのか一度行って食って来て見ないとわからないようですが、せめて太かったのか細かったのか、今の山形のマチ風なのかザイ風なのか、何か感じることがあるかもしれません。
 そんなこんなでわけのわからないことを考えていても仕方がないし、腹も空いたことでしたのでそば屋へ向かったのでしたが、今日はチョイと気温の高い日だったもんでなぜか急旋回、”冷たいラーメン”になってしまいました、、、これは裏切りではありません、念のために。

 


 

  

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