続・山形そば黄門漫遊記

記載する情報は、一部のそば好きの食べ歩きによる個人的感覚の押し付です。嘘も少しはあるでしょうから文句はご勝手に。

続 山形そば黄門漫遊記 その90 そばの脇道-雑談

2009年07月16日 | そばの細道

 「そば黄門見て行って見たけど、場所が分からないのでその辺の人に聞いてみたら、もうとっくに閉めちゃったって言うじゃないか、知ってたのかい」と,お尋ねをいただくことがたま~にございます。  まぁ大した件数ではないのですが、少なからずあります。 正直、中には知らなかったというのも何件かありまして、時の流れを感じざるを得ません。
 そば屋に限らずラーメン屋だって同じことでして、例えば南陽市の手前、中川にあったラーメン屋、安くて美味かったのでしたがなにせ高齢者、 ”いつまでできるかなぁ” などと思っていたこともあったのでした。 それがある頃、のれんが出てないことが何度かありまして、”体調でもこわしたかな”と思った記憶はあるのですが、気がついてみたらいつのまにか無い! 更地になっていて、場所すら何処だったかちょっと分からなくなっておりました。 車を止めて見てみたところ、店があったところの跡より駐車場の跡の方がハッキリわかりました。 元気でいるのかな?などと通りすがりに思うのは私だけではないでしょう。
 一方で、久々に伊勢そばのあの天ぷら”を食べたくなって、わざわざ遠回りをして行ったのでしたが、近づくと何か様子がおかしい。 昼なのに人気がない車がない、店の前まで行くと張り紙が見えるので”ギョッ!”、まさかやめはしないだろうがと思いつつ見ると『移転案内』。 ああびっくりした。 なんと目と鼻くらいの先に『アット驚く為五郎』あの生活臭すら漂う田舎食堂(失礼)が、”ビカビカ””うづぐすい(美しい)しかもヌァーント広い駐車場付きの『りっぱなそば屋』に”ヘンシーン”していたのであります。 まぁ長年の努力の賜でしょう、ほんとにまったくおめでとうございますというところでした。 勘定払う時、「久しぶりで来たのでびっくりしたよ」と言ったら、あはは、潰っだと思たんだべっす」と笑ってました。 まぁきれいになってそれはそれでいいのですが、どっか前の店も懐かしく思いました。 もっともそばとあの天ぷらはあのままで、とくに天ぷらはやっぱり片手ではすんなり割れませんでしたが。 
  そういえば先日、これまた久々に天童の やま竹 に入れました。 最初伊藤屋に行こうとしたのでしたが、大きなトラックが止まっていてすんなり入れそうもなかったのが気に入らなくて通り過ぎ、それならということでそのまま北進いたしました。 ここは店の前にある駐車場がそんなに広くないこともあって、なかなか寄れないでいたところだったのですが、その日はさいわいど真ん中が”イラッシャ-イ”してました。 相変わらず品の良いそばで香りも高くたいしたもんです。 ここは女性客が多い?ような気がしますがどうなんでしょう。
 国内産のそばを低温貯蔵し毎日その日の分を脱皮、製粉するんだそうですが、この”脱皮”というのがよく分かりません。 普通『三たて』というところを”むきたて”をいれて『四たて』と表現していますので、ここがこの店の拘りなんでしょう。 とは言っても一度”むく”ところを見てみたいし、どの程度の拘りなのか聞いてみたいと思います。 ところで鰊があるかと聞きましたらここのは『山椒煮』というお答えでした。  話の種にいただいてみましたが、山椒がきついのでは味が出ないだろうし、さりとて弱いと生臭さが出ちゃうだろろうし、加減が結構大変だろうなと思はれるものでした。 結論から言いますとまぁいつもいつもなんですが、「お酒がホシーノ」であります。
 懐かしついでに慈恩寺そば、これまた三年ぶりくらいでしょうか風に誘われて寄ってみました。 店内は相も変わらず”すすけた雰囲気のそば屋”ですが、かつてのそばとはいくぶん違う”今のそば”がしっかり定着いたしておりました。 まぁあのオヤジは引退したのでしょうから、これは当然。 ただどっちが良い?ということになりますと、年のせいでしょうか、少々なつかしい味が望みになるところがあります。 なにせはじめて行った時からみれば有に20年は経っているわけですので、当方だってなにか懐かしさが欲しい気分なのです。 まぁなにより”一層わがまま”になっているということもアルトオモイマス。 それともう一つ、先日の”がっこそば”の時も申し上げましたが『らしいどぎつさというかなんというか、他人に語る時得意げになって「アーだコーだ」と話せるようなもの欲しいような気がするのです。 ただし、じゅうぶん2枚分はあるだろう”板そば”が900円は『褒めてとらす』であります。
 「久々に行って見たけど全く相変わらずで何の進歩も無かったよ」、こんな表現が最高の評価かも知れませんぞ。


続 山形そば黄門漫遊記 その89 そばの細道-谷口がっこそば

2009年07月04日 | そばの細道

 もう十年くらい前なるでしょうか、このそば屋が出来たという話を聞いたのを思い出します。 変な名前だとは思いましたが、がっこ学校 の意味だと言うことぐらいは察しが付いたものでした。 なんで がっこ なのか、もちろん行っては見たかったのでしたが、なにせ北の果て(失礼)金山のさらにどっぱずれ! しかも土日しかやってないのでは・・・難しいのでありました。 あれから十余年、少し白かった頭はだいぶ白くなり目はだいぶ”はらだくさく”なって小さな字が読みずらくなりました
( ”はらだくさい”の意味はヤフーなんかで検索してみてください。 ただし一つとして正解はありません、が
80%位はあってますので大体そんな意味です。) 
 
その日はたまたま金山に用事があって行く人がおりまして、しかも用事は午前中のチョットだけと言うことで、話しはすぐにまとまりました。 願ってもない『運転手付き』、まさに「ルネッサーンス!イイヤナイカーイ」であります。
 さて、当日は”執事”がお迎えに来てくれまして車は一路北へ。 途中少々寄り道をしながら約2時間、杉の町金山はなんの変わりもなく佇んでおりました。 何やら分かりませんでしたが、チョットした用事もほどなく済んで、さらに国道を北へ、10分もなかったと思いますが国道沿いに道しるべがありまして左折して脇道へ。 ほんの数分進んで着いたところが『四季の学校・谷口』であります。 ここの詳しい能書きとか何たるかに興味がおありでしたらお出かけになった時確かめてください、ネットでもいろいろ書いてありますので予習もいいでしょう。 要するに廃校になるべきところを使った”村興し”であります。 校門だった所の脇に石碑がありまして、歴史を感じる事ができますが、それでも総数で二百数十名しか卒業生はいなかったようで、その昔はいかに寂しいところだったかが分かります。
 さて、やや早めにつきましたので、一足先に入られた方に次いでその日2番目でありました。 まだ始業前の”一服タイム”でありまして、おばちゃん達が笑い顔豊かにペチャクチャやっておりました。それでも我々が座ると、お茶となぜかあんころもちを出してくれました、これが”いなかのもてなし”なんでしょう。 そんなこんなしていますと時間になったと見えて注文を聞きに来ました。 まずは”イッパイ”、地酒らしきものがメニューになかったので、出羽桜の純米冷酒を頼みます。 私とすればあとはそばだけで良いのですが、大家さんが『そばセット』と言うのをさかんに奨めておりましたのを思い出しましたのでそれにしました。  これはそばと何点かのおかずのほかに”揚げそば”と言うのが付いており、これがありますとボリューム満点で大盛りはいらないくらいのものです。 見た目はそばがきに粉をつけて揚げたもののように見えましたが、どうなんでしょう。今回は聞かずに次回の楽しみにいたしました。 辛子醤油を付けて、なかなか美味しいものです。 酒にも大変合っておりましたので、今度自分でやってみようかとも思います。 本当のことを言えばもう一本行きたかったところでした、出来れば少々燗点けた地酒なんか。 
 そばは”黒く太くボソボソ”を期待していったのでしたが、比較的万人向けの田舎そばで、タレも”濃くしょっぱい”ということもなく、それはそれで結構でしたが、どこか少々『らしいどぎつさ』が欲しかったような気もいたしました。 思うに始めた頃はそうだったのかも知れませんが、より多くの人の意見を聞いている内に少しづつ変わってきたのではないでしょうか、まぁいいでしょう。 そんな意味では揚げそばがポイントだったような気がしました。
  その日は昼に団体さんが来るようで、半分くらいの机には料理が並んでおりまして、おばちゃん達がよりをかけた田舎料理がおいしそうでした。 まぁあと30分もするとワイワイ賑やかになるのでしょうなどと想像しつつ、ちょっとまわったご機嫌さんの内にその日は退散することといたしました。 
 レジのそばで”はたけのウナギ”なるものが売られてました。 たしか”はたけのお肉”が大豆タンパクでしたので、はて?と一瞬考えて、「オバチャンこれただぎごんぼだが?」(これはゴボウのたたきですか)と聞いてみましたら、「んだっす」(はいそうです)ということでしたので一つ購入しましたが、これはこれで実にビールに合いそうなものでした。 これも次回の楽しみにいたしました。