goo blog サービス終了のお知らせ 

函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

風林火山とイソップ物語!!

2007-06-25 | 歴史
『誰に家督を譲るかは自分が決めることだ』は以前、晴信が
信虎に言われた言葉と同じではないか
鬼の形相で話す晴信、とても26歳なんて思えません。
メイクが老け過ぎだと思うのですが
晴信の年齢と、映像に写る姿のギャップを感じるのは僕だけで
しょうか??
どう見ても50過ぎに見えてしまうのですが…
何となく武田家にも暗雲が立ち込めて来ましたよねー
結局、父信虎と同じではないか?家臣の心配も分かります
因果応報、歴史は繰り返すのだ。名将武田晴信でさえ…
それにしても、勘助はこの頃から四郎勝頼を武田の跡取りに
考えていたとは??
『四郎様を天下人に』とまで言わせるものとは一体何なのだろう
由布姫に対する愛情の裏返しか、四郎に対する思い入れなのか?
僕にはメロドラマは理解出来ないのです
しかし、その後の武田家の滅亡の歴史を考えると、勘助が武田を
滅ぼしたと言っても過言ではないのですが…
言い換えれば、勘助が最初に抱いていた武田家に対する恨みを
数十年後に晴らしたと言う訳です。
数十年の時を超えても、恨みは消えないという事なのだろうか?
勘助自体が意識していたどうかは別ですが…

ところで、風林火山とは直接関連は有りませんが(少しはあります)
毛利元就が三人の息子に残した三ツ矢の教え、有名な話ですよね
一本の矢なら簡単に折れるが、三本の矢だと折る事が出来ない。
三人仲良く協力しなさい、と言う教訓なのですが…
実は、似た話がイソップ物語にあるのです
ある農夫が、何かと喧嘩ばかりしている子供たちに、薪の束を
折らせてみるのです。当然折れませんよね。
次に、1本ずつ折ってみると簡単に折れたという。
兄弟が一つにまとまれば誰にも負けないと言う話なのです
矢と薪の違いは有りますが、元就の話と全く同じですよね。
元就の話は後世作られたものに間違いないようですが、イソップ
物語はすでに『伊曽保(いそぽ)物語』として紹介されていた様なのです。
おそらく、伊曽保物語からのパクリではないでしょうか??
いや、絶対間違いない!!
毛利隆元・吉川元春・小早川隆景の3兄弟は、それ程仲が良くなかった
という話が残っているのですが…
特に、長男の隆元は弟二人に対してかなり劣等感を持っていた様なのです。
『弟二人が仲良くして、自分はのけ者になっている』と元就に対して
愚痴をこぼす手紙が残っているらしいのです
兄弟喧嘩まで心配しなければならないとは、戦国大名も大変なのですね
尤も、毛利家では兄弟同士の殺し合いにまではなりませんでしたが…
因みに元就は信玄より24歳年上なのですが、元就が亡くなったのは
信玄が亡くなる2年前なのです
年齢は違いますが、ほぼ同時代を生きたと言えますね




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。