函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

鎌倉殿の13人、和を以て貴しとなす!!

2022-09-26 | 歴史

久々に北条一家が揃い楽しそうな晩餐会でしたね 

義時や時房も童心に帰った感じです 

家も大事、家族も大事、妻はもっと大事と言う事

なのでしょうか? 

引き返す事の出来ない時政の苦悩の表れなのでし

ょうか? 

これから起こる親子の争いが想像もつきませんよ

 

 

畠山重忠を粛正した後、時政と義時の間に秋風が

吹き始めます

御家人達も同じだった様ですね。 

時政とりくには打つ手が限られ、身動きが取れな

状態だった気がします

牧氏の乱は、どうも義時の陰謀の様な気がしてな

りません 

御家人達にも反感を持たれている今なら、時政を

排除出来るのです

当時でも親を陥れるのはタブーとされていた筈

時政を廃除するにはそれなりの大義名分がいるの

です。 

時政が謀反を起こしたのなら話は別ですが…

そう考えると、実朝を廃し平賀朝雅を新将軍にす

ると言う企ては義時が流した偽情報だった可能性

が高そうです 

流石に、何の落ち度もない将軍を執権が勝手に変

えられる筈もなく… 

義時は大義名分が得て、時政失脚へと行動を起こ

します。 

もともと権力者の家に産まれ独裁へと突き進むの

と、一豪族から執権まで成り上がり強権を振るう

のとでは全く違います

この辺りが時政の限界だったのかも知れません

日本においては独裁が長く続いたためしが有りま

せん 

信長も然り、秀吉も同じですよね。 

藤原道長ですら独裁者とは言えません。 

平清盛の平氏政権もあっという間に瓦解してしま

いました 

「和を以て貴しとなす。」の精神が、日本人には

沁みついているのかも知れませんね

ところで 

義時の妻・のえですが、鵺(ぬえ)と似た響きを感じ

るのは僕だけでしょうか 

鵺は掴み処の無い得体のしれない人や物の事です

が、三谷幸喜氏の事ですから、意図的にのえとネ

ーミングしたのではと勘繰りたくなります。 

考え過ぎでしょうかね? 

 

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鎌倉殿の13人、25年前の因縁!!

2022-09-19 | 歴史

武士の鑑とまで称された畠山重忠と、権力の妄想に

取りつかれた北条時政との争いが始まろうとしてい

ます 

 

顔を震わせながら「戦など誰がしたいと思うか!!」と

絶叫する重忠

冷静沈着、感情を剥き出しにする事の無い重忠の雄叫

びには、心を揺さぶられてしまいました 

ちょっとしたボタンの掛け違いで戦をする事になった

重忠の無念さが滲み出ていましたね 

 

父・時政の命令には逆らえず、止む無く重忠討伐軍と

して参戦せざる負えなかった義時ですが、三浦義村や

和田義盛はこの機会を待っていた気がしてなりません 

 

 

頼朝が挙兵した当時、畠山重忠の父・重能は京都に居

たので、重忠としては父・重能に従い頼朝軍には参加

しませんでした

そればかりか、平家軍として行動を起こします

石橋山の戦いには間に合わなかった見たいですが、途

中で三浦軍と遭遇。 

三浦、畠山は旧知の仲だったのでお互い兵を引く手筈

でした。

連絡不足なのか?勘違いなのか?和田義盛の弟が畠山

軍を攻撃 

止む無く防戦しますが、劣性となり武蔵へ逃げ延びま

 

面子を潰された重忠は、秩父党の武士を従え三浦氏の

居城・衣笠城へと進軍 

数の上でも劣勢となった三浦軍は安房へ逃れます

衣笠城に一人残って討ち死にしたのが、三浦義明です

この時義明は89歳だったと言われています 

安房に逃げるにしても足手まといになると考え、自ら

の意志で城に残った見たいですね

 

しかし、この25年前の因縁が今回の戦いに繋がった

がしてなりません 

三浦義村の動きが素早過ぎるからです。 

祖父を殺された怨念を25年間持ち続けていたのでしょ

うか? 

何事も冷静に対処してきた義村にしては、感情をむき

出しにしている様にも思えますが…

 

普段、冷静さを装っている畠山重忠、三浦義村、北条

義時の 三人が、感情を剥き出しにしている様は見応え

十分です 

 もし

重忠が武蔵に戻り、秩父党を引き連れ鎌倉に進軍すれ

ば、かなり際どい勝負になったかも知れません 

人望の厚い重忠になら、幕府を見限って寝返る武将も

多かったかも知れません 

しかし、武士による幕府体制そのものが崩壊する恐れ

があります

朝廷による工作で幕府が骨抜きにされたでしょうね。 

そういう意味では、幕府の存続・維持の最大の功労者

は畠山重忠だとも言えますね

死して名を遺した畠山重忠、武士の鑑と言われるに値

する人物なのは誰もが認めるところですね

 

 

 

 

 

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鎌倉殿の13人、露骨な暴走が始まります!!

2022-09-12 | 歴史

もしかして?大竹しのぶ

巫女姿でと登場したオババ役の老女。

声を聴いてもしや?と思っていましたが、やはり

大竹しのぶでしたね

「雪には気を付けろ。」と実朝の行く末を暗示す

るかのような一言。

「雪は滑るから。」と切り返す和田義盛の言葉に

は吹き出してしまいます

それにしても特殊メイクの技術には驚かされます

 

義時の妻・のえは相変わらずしおらしい態度です

が、三浦義村だけは騙せなかった見たいですね 

「必ず男の子を生んで北条家の家督にして見せます。」 

「そうでなければ、あんな辛気臭い男に嫁ぎません。」

と… 

義時も踏んだり蹴ったりの言われようですね

三つ指をついて義村に挨拶するのえですが、米粒の

付いた左手を隠したのを義村は見逃がしませんでし

女性を見る目と言うよりも、人間観察は八田知家よ

り義村の方が数段上です 

その観察力が有ったからこそ、カオスな時代を生き

く事が出来たのかも知れませんね

 

畠山重忠の母親は三浦義明の娘です 

北条義時、三浦義村、和田義盛とは従兄弟関係にな

ります。 

武蔵の有力者である父と、相模の有力者の娘が母な

のですから血統的には関東の武士の中でもピカイチ

です

そのうえ、武にも文にも才能があったと言われてい

ますからケチのつけ様がりません 

頼朝にも何かと重宝されていたのも頷けますね

武蔵野守は平賀朝雅ですが、軍事や警察権を実質的

に握っていたのは秩父党の惣領重忠です 

幼い将軍を盾に権力の頂点を極めた北条時政にとっ

て、意のままにならない畠山重忠はもはや邪魔者で

しかなかったのでしょうか? 

時政は武蔵の武士達に自分に従う様にと起請文まで

書かせたと言われています 

権力の魔物にとり付かれた時政の露骨な暴走が始ま

ります

 

 

 

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鎌倉殿の13人、政範を殺したのは誰??

2022-09-05 | 歴史

いよいよ時政夫婦の暴走が過激化してきましたね

京都に到着後二日目に愛息・政範が謎の死を遂げ

た事で益々加速する事になります 

次の狙いは娘婿の畠山重忠が中心に治めている広

大で肥沃な武蔵の地 

時政の欲は止まる事を知りません

比企氏との争いはあくまでも権力闘争ですが、そ

れ以降は大義名分の無い争いですよね 

証拠隠滅の為に粛正された御家人もいます 

そんな時政を御家人達もじっと注視していた筈 

御家人の頂点を極めたものの、数年で坂を転げ落

ちてしまいますが、必然性を感じます 

時政の傍若無人さに異常な感じを受けるのは僕だ

けでしょうか? 

権力の恐ろしさは凡人には理解し難いものがあり

ますよね

 

ドラマでは、源仲章に言い含められた平賀朝雅に

よって政範は殺された様に描かれていましたが… 

そうだとするならば、政範は義兄に殺された事に

なります 

野心家の朝雅ならあり得るシナリオです 

政範の死に関しては、あまりにも突然で、疑われ

ても不思議ありませんが、個人的にも釈然としま

せん

16歳という若さを考えると不審死と考えるのが普

通で、誰かに毒殺された可能性が高いと個人的に

は思っています

政範を殺したのは一体だれなのでしょうか??

一番恩恵を受けそうなのはやはり朝雅か… 

ところで… 

義時三人目の妻として、のえ(伊賀の方)が登場しま

したね

サブタイトル・理想の結婚と言うのが何とも意味深。 

義時毒殺説の張本人だとも言われている伊賀の方。 

執権の座をめぐっての政子との確執などなど…

ドラマでの伊賀の方を見ましたが、流石にあそこ迄

下品だとは思いませんが…… 

何れにしても、後半のキーパーソンなのは間違いな

さそうです 

 

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