函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

麒麟がくる、最後の管領晴元!!

2020-02-24 | 歴史

いつの間にか深手を負ってしまった光秀 
東庵の治療と駒の必至の看病のお陰で一命を取り止めたようですね

 
美濃への道すがら荒れ寺に泊まる事になりましたが、光秀に恋心を

抱いてる駒にとっては至福の時だったはずです 
女心は僕には分かりませんが 
 
光秀が深手を負った長慶襲撃事件。 
昨日の敵は今日の友、誰が敵で誰が味方なのか
再びの権力闘争の始まりです 
 
松永久秀は三好長慶の部下。 
三好長慶は細川晴元の部下。 
守護で管領でもある晴元が何故?自分の部下を撃とうとしたので 
しょうか? 
この時代、将軍よりも管領の方が実権を握ったことがしばしばあ 
ります。 
守護家でも全く同じような事が起こります。 
京都に入り浸りの守護に替わり守護代などが力を付けて実権を握 
って行くのです 
勿論、武力も伴っていますので主といえども無視する事が出来なく 
なります 
 
足利幕府の創成期に起こった尊氏と直義、南北朝を絡めた争い観応

の擾乱と似てますね 
秀吉や家康は沢山の領地を持っていましたが、尊氏は気前が良いのか? 
家臣に領地を与えなければ政権が維持出来なかったのか? 
足利家の自領が少な過ぎたのが要因かも知れません 
 
最後の管領と言われている細川晴元。 
応仁の乱の後、畠山、斯波の両管領家が急速に勢力を弱め残った細川

家だけが管領を独占する事になります

が、時すでに遅し。 
管領も将軍も賞味期限切れといったところでしょうかね

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

麒麟がくる、悲劇の将軍!!

2020-02-17 | 歴史

道三から… 
何故?将軍家が鉄砲を大量に必要としているのか探るように言われた光秀
再びの京都出張ですね。 
今回の旅費は道三持ちの様ですが… 
 
鉄砲職人・伊平次を探し回りますが、中々見つかりません 
久秀だけは居場所をつきとめていた様ですが、肝心の伊平次が首を縦に振りません 
そんな佐平次も光秀に会うなり態度を豹変。 
何と、光秀が佐平次の命の恩人だったとは
かたくなだった佐平次も光秀の言いなりでしたよね。 
光秀の今回のミッションもすんなりいきそうです 
 
久秀から鉄砲は抑止力になると聞かされた光秀ですが、納得したようなしないような
鉄砲戦で有名な長篠の戦… 
鉄砲隊を三段にして球詰めなどの時間を短縮、武田の騎馬隊を壊滅させたと言われていますが、

近年の研究ではどうも違っていたと指摘されています 
個人的にも鉄砲はさほどの抑止力にはならなかったと思っています。 
 
ところで 
塚原卜伝から免許皆伝を授けられたほどの剣豪将軍・義輝 
腕前は達人の域に達していたと言われていますね
そんな腕をもってしてでも政治力は別なのです。 
結局、義継と久秀に攻められあっけなく殺されてしまいます 
将軍の権威など微塵も感じられません 
しかし、地方は少し違った様です。 
毛利輝元、伊達輝宗、上杉輝虎、島津義久など将軍から一字を与えられたと思われる武将も少な

くありません 
遠隔地の大名にとっては足利将軍家の威光が有ったのでしょうか? 
何れにしても義輝にとって京都は安住の地とはならなかった様です
近江などに逃れたままの方が天寿を全う出来たのかも知れません。 
そう言う意味では悲劇の将軍と言ってよいのかも知れませんね

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

麒麟がくる、似た者親子!!

2020-02-10 | Weblog

尾張城下に潜入する光秀と菊丸
どこかで見たような光景です。 
風林火山で山本勘助が越後に潜入したシーンを思い出します。 
菊丸はともかく光秀はどう見ても農民には見えません 
キャラクター的には無理がありますよね

もっと驚いたのが!! 
種子島の本能寺末寺から鉄砲製造の技術を得、本能寺で鉄砲を製造していた とのくだり。 
脚本としては面白いのですが、全くあり得ません
将軍家の意向で制作していたと言っていましたが、そんな財力を将軍家が持っていた 
とも思われません。 
せめて、三好家や松永久秀の意向でと言われれば少しは信憑性が増したかも知れませんね。 
 ところで
戦国武将の中でも稀有な武将・織田信長
その信長に多大な影響を与えた人物こそ間違いなく父信秀です 
有力な港を抑え交易による富をうみ、門前町では後に信長が始めたと言われている楽市楽座

的な自由経済の様な事もやっていたのではないのでしょうか

もし?そうだとすれば何と卓越した経済感覚しょうか

そればかりではありません。

朝廷や公家にもしっかりとしたパイプを作り、居住地も時々の 環境の変化に応じて替えて

ゆくなど信長との共通点も多いのです 

決して鳶が鷹を産んだ訳ではない様ですね。 
信長が天下統一一歩手前まで行けたのは信秀の下地があったからです 
この親にしてこの子有といったところでしょうか 
同じことが道三親子にも言えそうです。 
信長親子も道三親子も似た者親子だからこそ成し遂げられたのでしょうかね 
 
信秀は守護・斯波氏からすると倍々臣。 
そんな信秀なのでいくら財力が有ったとはとはいえ尾張を纏めるのは 並大抵ではありません。 
そういう言う意味でも信秀と道三は似たような立場だったのかも知れません。 
信秀には男女合わせて20人以上の子供がいたと言われていますが、殆ど母親が違うのです。 
有力者の土豪の娘に子供を産ませ、次々と配下とし家臣団を形成するといったやり方で 身代

を大きくしていったのでしょうね。 
この時代は子供の数が勢力の大きさに比例していると言っても良いのかも知れません

 

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

麒麟がくる、帰蝶の名前??

2020-02-03 | 歴史

またしてもモックン道三の迷言

「操り人形に毒は盛りませぬ!!」

今週は実権を握っている道三と、僅かに権威だけは残っている頼芸の

化かしあいでしたね

実力俳優が演じると迫力ありますね

ところで

ドラマでは帰蝶と言われている濃姫ですが、本当の名前は分かってい

ないのです

美濃から嫁いだので濃姫。

嫁いだ時、道三が居住していたのが鷺山城なので鷺山殿。

安土城に居たので安土殿と呼ばれていた様ですが、安土殿が帰蝶を指

すのか?別の女性なのか?分かっていません

帰蝶に限らずこの時代の女性の名前は勿論、年齢さえも定かではない

のです

住んでいたお城や居住地から名前を付ける事が多いので、帰蝶が嫁い

だ時の名前はおそらく鷺山殿ではなかったかと個人的には思っています

それにしても

帰蝶とは何とも優雅で響きの良い名前でしょうか

ドラマや小説だと断然帰蝶の方が良いですね

道三が、いずれ帰って来るようにと願いを込めて名付けたともいわれて

いますが眉唾物です。

嫁ぐ娘にもあまりにも不自然

命短いの字を付けるのも感心しません

そう考えると、おそらく帰蝶だけは違うのでは…

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする