函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

どうする家康、通じなかった数正の進言!!

2023-08-28 | 歴史

局地戦で大敗した秀吉軍ですが… 

ドラマでは、「信長様のせいだわ。徳川をさんざん

こき使って、とんでもねえ軍勢を育ててまった。」

と嘆いていた秀吉ですが、着々と秀吉包囲網を崩し

にかかります 

総大将・織田信雄を丸め込み、和議を進める秀吉

さらに朝廷も秀吉を関白に任命します

徐々に外堀を埋められていく家康ですね 

戦いに負けて勝負に勝つとはこういうことなので

しょうか? 

今の徳川では到底敵いそうな相手ではなさそうで

すね

ほぼ、天下人となった秀吉を的確に観察していた

のが石川数正だったのでしょうか? 

「あれは化け物じゃ。殿は化け物には敵いませぬ。

」と家康に進言する数正ですが、家康に拒否され

ます

数正の進言は的を得たものですが、岡崎城代の任

も解かれ、家康にも家臣達にも数正の進言は通じ

なかった様です 

万事休す、感極まれり状態の数正ですが、「殿、

決してお忘れあるな。私はどこまでも殿と一緒で

ござる。」と告げ去っていきます 

最後に数正スパイ説を醸し出していましたが、流

石に無理が過ぎる感じがしなくもありません 

後に家康が秀吉に臣下の礼をとっているところを

見ると、数正の見立てが正しかった事が証明され

た事になりましたよね。 

感情に流されず、物事をフラットに見る事が出来

る得難い家臣を失った家康ですが、数正の替わり

をするのは、榊原康政か井伊直政か? 

興味の尽きないところです

第一次上田合戦で大敗し、重臣の数正の出奔と不

幸続きの家康、時間が掛かれは掛かるほど秀吉に

蹂躙されるのは確実です 

しかし、ここでまた幸運が家康を包むのです 

天正大地震が起こり秀吉は徳川討伐どころではな

くなります 

それも秀吉の直轄地が甚大な被害を受けてしまう

のです 

地震は自然災害なので喜ぶ様な話しではありませ

んが、家康にとっては九死に一生を得た事になり

ます 

何という幸運の持ち主なのでしょうか? 

天下人となるには、ただ強いだけでは無理なので

しょうかね 

家康を見ていると、人並外れた運の持ち主だと言

わざるを得ません

 

 

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どうする家康、秀吉と昵懇の間柄だった恒興!!

2023-08-21 | 歴史

家康の天下を取るは大阪(大阪の陣)にあらずして

関ケ原、関ケ原にあにずして小牧にあり」と言われ

ていますが、それほど小牧長久手の戦いは家康が天

下人となるうえで重要な戦いだったともいえます 

信長が亡くなるまで織田・徳川の同盟は続いていま

 

事実上、織田の後継者と思われていた信雄を担いだ

戦いなので、大義名分は家康にあります 

秀吉の力が大きくなっていたのは事実ですが、天下

が収まった訳ではありません 

秀吉の勢いもいつまで続くか分からないのです。 

本能寺の変も然り、青天の霹靂の様な事が起きて不

思議の無い時代。 

伊達・北条・毛利・長曾我部や息を吹き返した上杉

など、虎視眈々と次を狙っている武将達も… 

兵数だけ見ると勝てそうな相手ではありませんが、

秀吉政権が固まっていない今なら全く無謀な戦いと

までは言い切れません 

局地戦で勝利した徳川軍ですが、秀吉を討ち取った

訳ではないのです 

桶狭間の戦いもそうですが、大将の義元を討ったか

らこそ勝利出来たのです。 

徳川軍にそれが出来たとも思われません

致命傷が、信雄と秀吉の和睦です 

家康に全く相談する事もなく信雄が独断で決したと

言われていますね 

信雄の領国、伊勢・伊賀を奪った秀吉の作戦勝ちで

しょうか 

小牧長久手の戦いは、信雄の凡庸さだけが際立った

戦いといっても良いのかも知れません 

「信雄、しっかりせぃ、信長の子供じゃろうが!!」

と言った家康の言葉か全てだった気がします

ところで 

母が織田信長の乳兄弟で、幼少期から小姓として

も仕えた池田恒興ですが… 

秀吉の援軍として毛利討伐の準備中に本能寺の変に

遭遇

秀吉の中国大返しの報を聞きつけ秀吉軍に合流した

と言われています 

山崎の戦でも功を立て織田家の宿老的な立場まで上

り詰めた様ですね 

勿論、損得もあったでしょうが、元々秀吉と誼を通

じていたみたいなのです

恒興の三男・長吉が秀吉の養子になっていますし、

三女は秀次の妻となっているのです 

恒興が清須会議で秀吉側に寝返ったのではなく、元々

秀吉と恒興は昵懇の間柄だったのは間違いなさそうで

 

もしかすると、柴田勝家や滝川一益とは違い、恒興は

秀吉と馬が合ったのかも知れませんね 

恒興は小牧長久手の戦いで長男と共に討ち死にしてし

まいす 

後を継いだのがまだ幼かった次男の輝政ですね。 

輝政は秀吉亡き後家康につき、関ケ原では東軍の武将

として大活躍

戦いの後、92万石の大々名となるのです

家康の娘婿として盤石の地位を得ています 

49歳で戦死した恒興ですが、子孫は徳川の親藩大名と

して続きます。 

もし、恒興が小牧長久手の戦いで戦死しなければ、大

々名としての池田家は存続出来なかった筈です。 

そういう意味で恒興は、絶妙のタイミングで亡くなっ

たとも言えますね

 

 

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どうする家康、しぶとい信雄!!

2023-08-14 | 歴史

形式上戦勝祝いとして石川数正を秀吉に派遣

しましたね 

一国に値すると言われている天下の名品・初

花肩衝を手土産に… 

家康が数正に秀吉の人物像を問いただすと、

「何もかも芝居のようであり、何もかも心の

ままにも思える」との答え 

ようは掴み処の無い人物だと言う事なのでし

ょうか? 

感情を押し殺した不気味さすら感じます

家康も秀吉の人物像を解説していましたね。 

欲に果てがないことだ。何もかもを欲しがり、

持てる力の全てを使って手に入れようとする

そんな秀吉の次の獲物が石川数正なのでしょ

うか? 

 

いよいよ小牧長久手の戦いです 

後の小田原征伐と違い、この時点で秀吉に服

従しない大名もいました

長期戦ともなると士気も下がりますが、兵糧

の心配も出てきます

ましてや野戦ともなれば家康に一日の長があ

りますよね 

そう考えると、兵数では劣っていても全く無

謀な戦いとまでは言いき切れません 

ましてや信雄を旗印としているので、長期戦

ともなれば勝機も出て来ます 

しかし、もし秀吉を討ち取ったとしても、家

康がすんなり天下人となる訳でもなさそうで

 

実力者としての家康の存在感は上がりますが、

天下人として全国に号令するのにはまだまだ

紆余曲折がありそうですし、虎視眈々と次を

狙っている武将もいます。 

そう考えると、家康は秀吉と全面戦争をする

つもりはなかったのかも知れませんね 

局地戦で勝利し、少しでも有利な条件での和

睦を望んでいたのではないのでしょうか? 

東郷平八郎が、日本海海戦でバルチック艦隊

を破り勝利したのと同じ構図に思えてなりま

せん

 

ところで、信長の次男・信雄ですが… 

信長の後継者として認知もされず、秀吉と家

康に翻弄された生涯を送ります 

信長から絶縁されたり、小田原征伐の後、家

康の旧領への移封を拒否したり、二度の改易

を経て五万石の大名として長らえる事になり

ます 

なんともしぶとい人生を歩んだ信雄ですが、

京都で生涯を閉じた時七十三歳だったと言わ

れています。 

天寿を全うした訳ですね

どちらかと言うと愚将として有名な信雄です

が、織田の血を現代まで残したのは間違いな

く信雄です 

絶縁や改易を二度繰り返しても生き延びたの

ですから、何とも語れない魅力があった人物

の様な気もします

信雄の一生を見ると、頂点を極めるだけが武

将ではない様にも思えている僕なのです

 

 

 

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どうする家康、次は徳川だったかも知れませんね!!

2023-08-07 | 歴史

清須会議→天正壬午の乱→賤ケ岳の戦いと駆け足で

描かれていましたね

秀吉と勝家に利用された信雄・信孝兄弟ですが、信

長の息子と言うだけで国の頂点に立てるほど成熟し

た時代ではなかったのです 

勝家亡き後は、家康と秀吉が信雄を巻き込んで小牧

長久手の戦いへと突き進みます

新しい権力者が誕生するまで戦いは終わらない様で

すね

織田家にとっては返す返すも嫡男・信忠の死が悔や

まれますね。 

信忠が生きていれば、清須会議も天正壬午の乱も賤

ケ岳の戦いもなかった筈です。 

意外と、信忠を中心とした織田政権がその後も長く

続いていた 可能性が大きいと個人的には思っていま

信長の死は、家康にとっても領土拡大の絶好のチャ

ンスとなりましたね 

甲斐信濃の広大な領地を得た家康は、着実に足場を

固める事が出来たのです

信長の死が無ければ、その後の家康は無かったのか

知れません。 

それどころか、信長は北条氏とは友好関係を結んで

いたので、武田亡き後の徳川の立ち位置は微妙とな

ります 

もしかして、武田家の次は本当に徳川家だったのか

も知れません

上杉は瀕死の状態ですし、毛利攻略も時間の問題。 

そういう意味では、明智も徳川も微妙な立場だった

のは間違いなさそうですね。 

光秀が謀反を起こさなければ、家康が起こした可能

性も捨てきれません

あくまでも想像の世界ですが…

ところで… 

男勝りな性格のお市が一世一代の勝負に出ましたね

負けたとはいえ清々しさを感じたのは僕だけでしょ

うか? 

実際のお市がどの様な人物だったかは分かりません

が、子供の頃からの夢をようやく叶えたといった感

じでしょうか? 

ドラマとして見応えのあるシーンでしたね 

援軍に来なかった家康を恨み、自分が天下を取ると

母・お市に宣言する茶々でしたが、人たらしと言わ

れている秀吉をたぶらかす演技にも驚きです 

人間は誰かを恨まないと生きてゆけないものなので

しょうかね? 

 

 

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