函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

どうする家康、命の恩人・長谷川秀一!!

2023-07-31 | 歴史

信長を討ちたかった家康と家康に討たれたかった信長、

結局どちらの願いも成就出来ませんでしたね 

あり得ない脚色だとは思いますが、見方をかえればあ

り得ない話だとは言い切れないのかも知れませんね 

二人の願いの足元をすくったのが明智光秀でしたね。 

光秀の許へ家康の首桶が届けられましたが、穴山梅雪

のものだったとは

家康だと自ら名乗って討ち取られたところを見ると、

家康の身代わりになったのでしょうか

もしかして、そのお陰で家康の伊賀越えが成功したの

かも知れません

あくまでもドラマでの事ですが… 

ところで… 

甲賀の主・多羅尾光俊の助けが無ければ、家康の伊賀

越えは上手くいかなかったと個人的には確信していま

 

家康に同行していた信長の家臣・長谷川秀一が多羅尾

光俊の息子・光広とたまたま親しかった事が家康に幸

運をもたらします 

光広の案内で父・多羅尾光俊の許へ家康一行を案内し

無事小川城へと入る事が出来たのです 

ドラマでは、胡散臭い光俊に疑念を抱き、家康一行は

小川城を抜け出しましたが、史実は少し違うみたいで

すね 

光俊は三人の息子と家臣五十人、甲賀衆百五十人で家

康を警護し無事白子浜まで送っています 

歴史上、あまり有名ではない長谷川秀一ですが、家康

が無事三河に帰れたのは秀一のお陰だと言っても差し

支えありません

そういう意味で、秀一は家康の命の恩人といっても過

ではありませんよね 

秀一は歴史の表舞台に立つような武将ではありません

が、歴史を大きく動かした人物だと密かに思っている

僕なのです 

 

 

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どうする家康、キーワードは信忠!!

2023-07-24 | 歴史

本能寺で…まるで恋人を待ち焦がれている様な

信長です 

そこに現れたのが光秀でしたね 

待ちぼうけを食わされた信長の姿が印象的です 

「なんだ、お前か」と肩を落とした信長に、

「貴公は乱世を鎮めるまでのお方!平穏なる世

では無用の長物。そろそろお役御免…」と光秀 

「やれんのか!キンカン頭!俺の代わりが!」

とブチ切れ状態の信長でしたね 

お市の説得もあり結局信長襲撃を諦めた家康で

すが、この時点での信長襲撃は家康にとってあ

まりに無謀

成功しても失敗しても、武将としての家康の存

在意義が無くなったと個人的には思っています 

作り話としては面白い筋書きだとは想いますが… 

ところで… 

光秀は何故信長を襲撃したのでしょうか? 

キーワードは信忠だと思っています 

危機管理としてはあり得ない事が起こっていた

のです

家督を継いだ信忠と信長が同じ京都に…

信忠が宿泊していた妙覚寺と、信長が宿泊して

いた本能寺は目と鼻の先。 

老境にさしかかった光秀にとって、二度と巡っ

て来る事がないチャンスが目の前にぶら下がっ

ているのです 

武人として、こんな千載一遇のチャンスを見逃

す筈がありません。 

信忠は家康一行に同行していたのですが、父・

信長が急遽京へ入るので出迎えのため京都へ引

き返したと 言われています

もし?信忠がそのまま堺いいたとすれば、本能

寺の変は起こらなかったかも知れません 

いや、怒らなかった筈です。

近くに、信孝・丹羽長秀が率いる四国攻めの兵

二万五千もいます

あまりに父・信長に従順し過ぎた性格が仇にな

ったのでしょうか? 

この時の信忠の判断が本能寺の変を誘発したと

僕は思っているのです

 

 

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どうする家康、信長の遺言!!

2023-07-17 | 歴史

ドラマでは… 

人を信じる事を教わってきた家康と、誰も信じるなと

教わってきた信長、似て非なる対照的な二人です 

信長に暗殺を見透かされた家康ですが、「弱ければこ

そできることがある、わしは信じる。行き詰まってお

るのは、お主ではないのか。弱き兎が、狼を食らうん

じゃ」とまるで信長に対する宣戦布告ですね 

「俺はわずかな手勢を率いて、京に向かう。本当にお

まえが俺の代わりをやる覚悟があるなら、俺を討て。

やってみろ」と信長

「俺は誰かに殺される。誰よりも無残にな。だが、俺

は覚悟はできている。大変なのは、これからだ。戦な

き世の政は、乱世を鎮めるより遥かに困難じゃ。」と

も… 

まるで家康に対する遺言の様でしたね

もしかして、誰かに殺されるのなら家康に殺されたい

と思っていたのでしょうか? 

家康なら乱世に戻る事がないと確信めいたものが信長

にはあったのかも知れません 

本能寺の変の折、信長が最初に疑ったのが嫡男・信忠

だったとも言われています

この事一つ取って見ても信長の究極の孤独感も感じて

しまいます

極度の緊張感の連続だった信長にも、流石に限界が来

ていたのかも知れませんね 

ところで… 

信長の側近く仕えていた太田牛一が書いた信長公記に

は、光秀の阻喪について全くふれられていません 

おそらく後世の作り話の可能性が強そうです。 

江戸時代に書かれた川角太閤記では触れられています

が、二級資料とされているので信憑性は低そうですね 

武田家滅亡後の宴でも光秀が信長に折檻されたと言わ

れていますが、江戸時代の資料なので当てにはなりま

せん 

どうも、光秀が信長に恨みを持っていて本能寺の変を

起こしたと持っていきたい意図が感じられてなりませ

そう考えると家康陰謀説もあり得るのかも知れません

ね。 

信長謀殺における家康の影を消す為に… 

少し考え過ぎでしょうかね?

 

来週はいよいよ本能寺の変です。 

家康が信長を討つと思っている秀吉。 

自分の力で信長を討つと決心している家康。 

耐えきれず信長の意表を突く光秀。 

三者三様の思惑が入り乱れた本能寺となりそうですね

 

 

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どうする家康、落としてはいけない城!!

2023-07-10 | 歴史

高天神城に籠城していた岡部元信ですが、徳川軍の

兵糧攻めで遂に降伏しましたね 

今迄の家康であればすんなりと降伏を受け入れた筈

です 

しかし、家康は降伏を拒否、皆殺しの命を下します

確かに武田の力を削ぐ為だったのかも知れませんが、

武田に対する恨みが大きかった証ともとれます 

武田に対する恨みと信長に対する恨みを心の奥底に

しまい込んで、信長の言うがままに動き、心の内を

見透かされない様に細心の注意を払っている家康。

心の中に信康と瀬名の思いを閉じ込め、じっと耐え

ている家康でしたね 

 

そんな家康でしたが、振舞に疑念を持ち始めた家臣

達に遂に心の内を打ち明けます

「信長を殺す、天下を取る!!」 

驚いたのは家臣達の方だった見たいです

もうすぐ本能寺の変ですが、ドラマでは家康黒幕説

として描かれるのでしょうか? 

不穏な動きをする秀吉を含め、数人が信長暗殺を試

みるのでしょうか? 

何れにしても、今迄に見た事のない本能寺となりそ

うです

 

ところで 

武田家滅亡のキーワードは高天神城だった気がして

ならない僕なのですが…

 

父が成しえなかった高天神城を落とした事が、勝頼

凋落の始まりです

元々高天神城は今川家の遠江の拠点だった城です。 

小笠原家が城代を務めていました。 

今川義元が亡くなると、小笠原氏は徳川家と誼を通

じます

徳川と武田の戦いで信玄に攻められたのが高天神城

でした。 

攻める武田軍二万、守る小笠原軍二千と言われてい

ます 

地の利を生かした小笠原軍は十倍の軍勢の武田軍に

対しても怯む事無く善戦、信玄を追い返してしまう

のです 

六年後、信玄の後を継いだ勝頼によって攻められま

すが、信玄ですら落とせなかった高天神城を勝頼は

あっさりと陥落させてしまうのです 

この事が、勝頼の心に慢心をうんだのではないかと

思っています

家督を継ぐべくして継いだ訳ではない勝頼にとって、

早く結果を出さなければという焦り感じます 

優れた父親を持ったが故の焦りでしょうか?? 

もはや、勝頼による領土拡張を誰も止める事が出来

なくなっていった気もします。 

その後の武田家は戦続きにより徐々に疲弊していく

です 

高天神城は、勝頼にとっては落としてはいけない城

った気がしてなりません

 

 

 

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どうする家康、信康廃嫡の張本人??

2023-07-03 | 歴史

ドラマでは瀬名を慕い続ける家康ですね 

本当は浜松で瀬名と一緒に暮らしたいと思っている家康ですが、

嫡男・信康の面倒を見るため瀬名は岡崎に残ったと言う設定で

したね 

瀬名の最後を見ると何故か泣けてきました 

史実としては瀬名の人物設定にはかなり無理があると思ってい

ますが、ドラマとしてはこれもありかなと…… 

 

通説では…信長が娘・五徳の告げ口で信康と築山殿の殺害を命じ

たと言われていますが…… 

家康は本当のところどう考えていたのでしょうか? 

同盟者・主君?信長の命令とは言え、事が正妻と嫡男の廃除とな

ると、いくら何でも素直に実行出来る訳がありません 

どうも家康自身にも廃除しなければならない事情が有った気がし

ます 

信康と築山殿の廃除の時期をじっと待っていたと勘繰りたもくな

ますね

もしかして、家康自身が信康と築山殿の廃除を目論んでいた張本

人なのかも知れません? 

重臣の諫言にも耳を貸さず、父・家康にさえ横柄なん態度をとっ

ていたとされる信康、家康が苦々しく思っていたとしても不思議

ありません 

徳川家が大きくなるにしたがって、岡崎と浜松の家臣達の対立も

あり、それを収めるにはもはや信康の廃嫡しかなかったのではな

いのでしょうか? 

背後に武田が控えている状況を考えると早急に結論を出すしかあ

りません 

しかし、仮にも信康の正妻は信長の娘・五徳なので、いくら我が

子とはいえ家康が勝手に信康を処分する事は出来なかった筈です 

そこに「仕置は任せる。」との信長からのお墨付きを得た家康に

とって信康・築山殿廃除を妨げるものがなくなったのです 

さらに…この頃には、於万の方に後の秀康、お愛の方に秀忠と、

後を継がせる後継者も誕生しています 

信康しかいないと言う状況ではなくなっていたのです。 

そう考えると、信康の廃嫡と築山殿殺害も頷けない訳ではありま

せん 

そうは言っても、仲の良い夫婦とまては言えなくても、普通の夫

婦であれば築山殿殺害はあり得ません。 

築山殿は、清和源氏の出てある今川家の血筋である自分に対して

のプライドが高すぎたのでしょうか? 

そのプライドからか?夫を蔑む様な態度に終始する築山殿への未

練もなくなっていたのでしょうか? 

家康の心の中を推し量ってみたいものです

 

 

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