函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

鎌倉殿の13人、義仲の三人の愛妾!!

2022-04-25 | 歴史

いよいよ義経の快進撃が始まりましたね 

義仲討伐に続いて平家との一の谷の戦い

も鮮やか過ぎます

「何故?あの男にだけ思いつくのか?」

と囁いた梶原景時の言葉にも頷けます

参戦していた名立たる武将の全てがそう

思ったでしょうね。 

感嘆を通り越して驚嘆していた景時の言

葉「八幡大菩薩の化身だ!!」が全てを物語

っています 

神の領域に達していた卓越した能力が、そ

の後の不幸に繋がるのですから人生とは分

からないものです 

 

ところで 

義仲は以仁王の王子・北陸宮を擁して京へ

と進軍しています 

連戦連勝の勢いのまま京へと侵入、平家を

追い落としますが義仲の運もここまで。 

坂を転げ落ちるような人生となります 

建前上は北陸宮を担いでいるので、その一

番の家臣・木曽義仲が事実的な最高権力者

となる訳です 

義仲としては当然の如く最高権力者たる自

分が担いでいる北陸宮を次期天皇として進

言しますが、この進言が命取りになったよ

うな気がしています 

この時期までは、武士が皇位継承に口を挟

むのは以ての外

妖怪・後白河の怒りをかい平家追討へと京

の外へ出されます

平家との戦いにも負け続け、このままいけ

西には平家、東から頼朝軍の挟み撃ち状

 

ここに及んで平家と和睦し、共に頼朝軍に

当たろうとしますが、平家からすれば虫の

良い話といえばその通りです 

仕方なく、上皇を連れ北陸へ逃げ再起を期

そうとしますが、電撃的な速さで上洛した

頼朝軍のため頓挫 

仕方なく近江へと逃げますが、そこで討た

れたと言われています。 

義仲を見ていると、下り坂に入った時にそ

れを止める事の難しさを痛感します

ドラマでは義仲を三種の神器も知らない人

物として描かれていましたが、北陸宮を擁

して戦っているのですから流石にそれは無

いかと… 

義仲から最後の願いを哀願される巴御前

鎌倉に居る義高への書状を託された愛妾・

巴ですが、途中で和田義盛に捕らえられて

しまいましたね 

その和田義盛と結婚したとも伝えられてい

ますが、真意のところは定かではありませ

流石に敵将の義盛に嫁ぐとは考え難いと思

っていますが… 

義仲には巴の他に山吹御前と葵御前がいた

と言われています 

三人の愛妾は武芸にも秀でて、妾でありな

ら武将と言っても差し支えないほどの女

達なのです 

葵御前は義仲が入京した際討ち死にしたと

言われていますが… 

義仲は単なる田舎武将ではなく、相当魅力

的な人物だったに違いありません 

本妻が有るにも関わらず、生死を掛けた戦

にまで関わり合いを持つのですから… 

おそらく、数ある武将の中でも一番のもて

男は義仲で間違いありません

 

 

 

 

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鎌倉殿の13人、一度も泣いた事のない男!!

2022-04-18 | 歴史

都にばかり目を向ける頼朝に対して、遂に御家人達の

反乱が始まろうとしています

御家人達にとっては源氏の身内争いとしかうつらなか

ったようですね 

頼朝への不信が頂点に達し、後の頼家や義仲の息子・

義高を旗頭にして頼朝失脚を画策 

御家人達にとって源氏の血をひいていれば鎌倉殿は誰

でも良かったのでしょうか? 

関東の事は関東の者でと言う独立心が強い土地柄なの

かも知れませんね 

その昔、平将門が新皇と称し関東を席巻したのも頷け

ます。 

 

いよいよ、粛正の始まりです

「最も頼りになる者は最も恐ろしい。」

大江広元が吐いた言葉ですが、何とも陰湿な言葉です

 

御家人たちによる反乱を何とか鎮める事が出来したが、

何もなかった事には流石に出来ません 

血祭りとして犠牲になるのが、上総広常。 

一番の兵力を持っている広常を誅殺する事で求心力を

高めようとの魂胆の様ですね 

裏でシナリオを書いていたのは間違いなく大江広元 

敵陣営に義時を通じて広常を入り込ませ、解決した後、

全てを広常一人に被せる 

経緯を知った義時も時既に遅く、成す術が有りません 

義時も最初から利用されていた駒の一つだった訳です 

頼朝は一切表に出る事無く広常誅殺が完了しますが、 

後味の悪さだけが残りまたね 

しかし、この騒動により頼朝に歯向かう者がいなくな

ったのも事実です。 

いつの時代も、権力とは形が無いだけに裏では残酷さ

を伴うものなのでしょうかね 

 

 広常誅殺の首謀者・大江広元ですが…

「私は大人になって一度も泣いた事が無い。」と言う

ほどクール、泰然自若、感情を全く表に出さない人物

だと言われています 

広元の子孫に毛利元就がいますが、似たところがあり

ますよね 

武力に勝る知力で、陰謀を巡らし、相手を滅亡に導く

やり方は何とも陰湿です 

個人的には関わり合いを持ちたくない歴史上の人物の

一人ですが、鎌倉幕府の創成期には広元のような人物

も必要だったのでしょうね 

武力でしか物事を解決出来ない武士達には、国を統治

する事は出来ないのです 

広元がいたからこそ鎌倉幕府を運営し維持する事が出

来たのです。 

そういう意味では、鎌倉に幕府を作った一番の功労者

だとも言えますね 

 

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鎌倉殿の13人、前門の虎後門の狼!!

2022-04-11 | 歴史

義仲は平家軍を破り京へと入りますが、勢いだけで

京に入った訳ではありません 

京に入る為には比叡山の協力を得なければならない

のです。 

義仲の許には右筆・覚明がおりました

この覚明の書状が功を成し比叡山は義仲につく事に 

元々、比叡山と平家は敵対していましたが、どこの

馬の骨か分からない義仲に簡単に協力する訳にはい

かなかったのです

覚明のような人物が義仲軍にも多くいた筈です。 

義仲は一般的に言われているような田舎武士ではな

かった様ですね

急速に膨れ上がった寄せ集めの軍を束ねる難しさ。 

飢饉により兵糧の調達も難しく狼藉を働く武士達を

止める術は義仲にはなかったのです 

頼朝のように体制造りに時間を掛ける事が出来たな

ら、簡単には滅亡する事はなかったのかも知れませ

んね。 

それもこれも武将としての義仲の持っていた運命と

しか言えません 

資質だけなら頼朝に比べても勝るとも劣らない武将

だと僕は思っています 

  

一方、義仲の勢いを指をくわえて見ているしかない

頼朝 

戦力となる御家人達も坂東の事だけで頭がいっぱい

と言った感じでしたよね。 

いくら鎌倉殿の命令とはいえおいそれとは動かない

ようです

源氏同士の権力争いと御家人たちは理解していたの

でしょうか? 

自分の領地を守る為なら命を掛けますが、利益を伴

わない戦いには命を懸けないのです 

もっとも、伊豆に引き籠っている時政だけは御家人

達の気質を見抜いていたようです。 

戦いで得た土地を御家人に分け与えれば付いてくる

と… 

 義仲がうまくいっている間は頼朝としても流石に手

を出す事が出来ません。 

戦には大義名分が必要だからです 

 

もう一人、気になるのが奥州の藤原秀郷 

頼朝が義経を優遇したのは義経の後ろ盾でもある秀

郷を味方に引き入れる為だった筈

秀郷は既に鎮守府将軍と従五位下に叙任されていま

した 

現地の者を鎮守府将軍として任用するのは初めての

事です 

それだけ秀衡の存在を平家も重く見ていた証です。 

そればかりか源氏との闘いの中、秀郷を陸奥守・従

五位上に任官 

前例がない厚遇を秀郷に与えているのです 

鎮守府将軍・陸奥守と言えば源氏の棟梁としての源

義家と同じ官位ですね。 

もしかして?秀郷は源氏に成り代わり武士の棟梁と

して君臨したかったのかも知れません 

 

地理的にもそうですが、西には平家、東には奥州・

藤原氏を敵に回す事になるかも知れないのです 

頼朝にとっても慎重にならざる負えません。 

まさに、前門の虎後門の狼といった感じでしょうか?

秀郷を抑え、平家を京から追い出してた義仲を討伐

する大義名分を探さなくてはなりません 

義経を総大将とすれば秀郷も鎌倉を脅かす事は無い

と頼朝は踏んだのではと個人的には思っています。 

 後白河からは待ちに待った義仲追討の院宣が頼朝の

許へ 

ここに軍を動かす大義名分が整いましたね 

来週からは義経の華々しい戦振りが見られそうです

 

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鎌倉殿の13人、義仲登場!!

2022-04-04 | 歴史

颯爽と木曽義仲が登場しました

戦には強いが粗暴なイメージが定着していますが、

ドラマでの義仲はかなり違うみたいです 

礼節を重んじ芯が通った人物として描かれていま

したね 

源氏同士での争いを避けるため、人質として嫡子・

義高を差し出すとは… 

人質は叔父・行家で良いと言っているのにも関わ

らず、嫡子を鎌倉に差し出すのですから驚きです 

名目上は頼朝の娘・大姫との婚約ですが、人質で

あるのには変わりありません 

義仲は裏表のない真っ直ぐな性格だったのでしょ

うか? 

それに引き換え、政子の目を盗み亀や八重にちょ

っかいを掛け続ける頼朝を見ていると、どっちが

源氏の棟梁として相応しいのかと思ってしまいま

 

女に現を抜かし御家人達にまで火の粉を撒き散ら

す頼朝。 

英雄色を好むとも言えばそれまでですが… 

 

余談ですが…

義仲の息子・義高の従者の中に真田幸村の先祖・

海野幸氏がいます 

後に義高は逃亡しますが、幸氏は義高の身代わ

りとなり逃がそうとします

しかし運悪く義高は捕らえられ斬首 

普通なら幸氏も斬首されますが、身を挺して主

君・義高を逃がそうとした忠義心に感激した頼

朝によって救われ側近として取り立てられたと

言われています 

義高と共に殺されていれば真田家も存在しなか

ったと言う事になります。 

こんなところにも歴史の面白さを感じてしまう

僕なのです 

 

ところで 

ストーカーのように八重の許に通い続ける義時

ですが、八重もようやく心を開いてくれました

 

根負けしたのでしょうか?

普通、ここまで付き纏われると嫌気が差すと思

うのですが、ドラマならではの展開です。 

信ずるものは救われるを実践した感じでしょう

かね 

八重と義時は叔母・甥の間柄。 

年とが近いという設定にしても、現代では考え

られないカップルですよね。

 

 

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