函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

鎌倉殿の13人、24人では無理ですよね!!

2022-01-31 | 歴史

いよいよ頼朝の挙兵ですが、順風満帆とはいかない様です

頼朝の乳母だった山内尼の息子・山内首藤経俊にまで拒絶

される有様 

いつでもポジティブな宗時とは対照的に強気にはなれない

義時でしたね

兵の数24人と聞いた頼朝「まるで年寄りの寄り合いじゃ」

とほぼ戦意消失状態になるのも仕方ありません 

北条だけで30人の兵数だと言われていますので、挙兵に

参加した兵数は100人前後とみるのが妥当です 

いかに強気の宗時だとしても24人の兵では流石に挙兵を

自重せざるを得せんよね

  

三浦で1000人、大庭と伊東で3000人と言われていますので、

石橋山の戦いに三浦軍が間に合えば頼朝軍が惨敗する事は

なかったかもしれません 

結果的には大敗し安房まで逃れ、その後見る見るうちに大軍

となるのですから分からないものです

頼朝が大軍を得たのは三浦軍が間に合わなかったお陰なのか

も知れません。 

人の運というのは本当に分からないものですね

ところで 

頼朝の誘いを辛らつな言葉で拒絶した山内首藤経俊ですが、

経俊の父と兄は平治の乱で義朝軍として戦い討ち死にしてい

ます 

経俊にすればトラウマがあったのでしょうか? 

源氏についてもろくな事が無いと思ったとしても不思議有り

ません 

石橋山の戦いの後、経俊は捕まり斬首が決まっていましたが、

源家累代に対しての山内家の忠誠心を盾に尼の必死の説得が

開始 

尼の哀願に対し頼朝は石橋山の決戦の際、経俊に射られた兜

を見せると尼はそれ以上何も言わなくなったと言われてい

兜に矢が刺さったと 言う事は、頼朝が死んでいたかも知れな

い事を意味します。

言葉を無くした尼は助命を諦めるしかありません

斬首決定と思われましたが、結局、経俊は許されています 

猜疑心が強く冷徹な頼朝でも、自分の乳母だった山内尼を悲

ませたくなかったのでしょうかね

 

 

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鎌倉殿の13人、以仁王の挙兵!!

2022-01-24 | 歴史

何とも胡散臭い源行家が登場 

行状が定まらないばかりか戦の才能も殆どない

とりとめのない人物です 

手柄と言えば以仁王の令旨を諸国の源氏に届け

ただけでしょうか? 

政子だけは行家の心の内を見抜いていた様です

が…

 

挙兵のために必要な兵の数、実際に集められる

兵の数を理路整然と説明する義時 

ドラマではこの瞬間に頼朝が挙兵を決断したみ

たいですね 

文覚が持ってきた髑髏に向かい「何処の誰かは

存じぬが、この命お主に預けよう!!」と胡散臭い 

頼朝の演技?ですが…

北条一家の気勢を上げるのには十分だったみた

ですね

 

頼朝より一足先に挙兵したのが以仁王と源頼政

ですね

何故?以仁王と頼政は挙兵したのでしょうか? 

 

以仁王は後白河法皇の第三子ですが、兄が出家

したため第二皇子です

以仁王は異母兄・二条天皇が即位したため仏門

に入りますが、師匠でもある天台座主・最雲が

亡くなったので出家も出来ず、そのまま元服し

たと言われています。 

一応、皇位継承権はありますが、何とも宙ぶら

りんな状態ですね 

その後、異母弟・高倉天皇が即位 

兄だけではなく弟までもが即位したわけです 

そればかりか、高倉天皇に後の安徳天皇が誕生

し万事休す。 

完全に以仁王が即位する可能性はなくなりまし

 

安徳天皇の母は清盛の娘なので、清盛を排除出

来れば自分も即位できるかも?と思ったとして

も不思議有りませんよね

一方の当事者が源頼政。 

源氏としては初めて三位まで出世した人物です

ね。 

74歳とも言われていますが、当時としても超超

超高齢 

そんな頼政主導で挙兵するとは考えづらいと

人的には思っています。 

以仁王の誘いを断れきれない立場だったのでし

ょうか

何れにしても以仁王が主導で反乱を起こした事

だけは間違いないと思っている僕なのです

 

 

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鎌倉殿の13人、嘘から出た実!!

2022-01-17 | 歴史

これほど展開が早いドラマを見るのは久し振り、いや、

初めてかも知れません。 

いつの間にか頼朝をめぐり伊東祐親と対峙している北条 

宗時は勿論ですが、時政までもがいつの間にかやる気十

分なのには笑ってしまいます 

一人、義時だけが平静を装ってみてもこの家族にはあま

り意味がないのかも知れません 

大庭景親の仲裁で何とか矛を収めた両陣営ですが、時政

と祐親の遺恨は頼朝旗揚げの後も続きます 

 

この頃の坂東の武士は言ってみれば皆身内 

血縁で繋がっている筈なのですが、戦ともなればお親兄

でも構いなし。 

ましてや親戚ともなれば他人と同じだったのかも知れま

せんね 

争いの種は殆どか領地争。 

自国に接しているのも身内が多く、必然と身内同士の争

いが主流となります 

土地至上主義なのでしかたないのかも知れません。 

 

ところで、頼朝の本心とは… 

この時まで頼朝は平氏に戦いを挑もうとは夢にも思わな

かったなかったと僕は思っています 

命が助かっただけで充分 

一生を伊豆の片田舎で終われたらと思っていたのではな

いでしょうか? ?

もし?そうだとすればこのドラマは成立しませんよね 

 本編では…

唯一冷静な義時に向かって胸の内を明かす頼朝 

「何れ挙兵する、都へ攻め上り世を正す」と平家討伐宣言 

大風呂敷にも程がありますが、威厳を持って話す頼朝に条

件反射の様に平伏する義時

その為には北条が欠かせないとも言われ…… 

嘘でも、大風呂敷でも、威厳のある言葉には流石の義時も

言葉を失った様です 

平家討伐は嘘から出た実といったところでしょうかね

 

 

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鎌倉殿の13人、ドラマ・北条家の人々!!

2022-01-10 | 歴史

いよいよ鎌倉殿の13人、始まりましたね

世が世なら北条家の次男・江間義時として生涯を終えていた義時、

そんな彼が如何にして武士のトップまで上り詰めたのでしょうか?

義時には何が何でも上に立ちたいと言う臭いが僕には全く感じら

れません。 

父や兄に従順なため、命令通りに動き、どんどん争いの渦に引き

込まれていきます 

納得の出来ない争いを続ける中、遂には父を追放する事に…

義時が北条姓に戻したのもこの時だと言われています。 

人間北条義時の誕生した瞬間だともいえますね

ところで… 

この時代をよく源平の争いだと言われていますが、関東在地

の武将、北条・三浦・畠山・梶原・上総・千葉・伊東・和田

などなど…殆どが本を正せば平氏

言い換えれば鎌倉殿の13人は平氏同士の権力闘争ともいえる

のです

ところで、一話を見終わって… 

数年前に見た信長協奏曲を見ている様な気がしたのは僕だけ

でしにょうか

主役の信長役も小栗旬、台詞も現代風とリメイク版のドラマ

を見ている気がしてなりません

どこか抜けている父・時政、何事にも先走る兄・宗時、適齢

期を過ぎ色気で頼朝にせまる姉・政子とホームドラマ・北条

家の人々を見ている気分の僕なのです

 

 

 

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あけましておめでとうございます!!

2022-01-01 | Weblog

明けましておめでとうございます

今年こそは流行り病に打ち勝ちたいものです

皆様方にとって素晴らしい一年でありますように…

今年も宜しくお願い致します

 

サポートグラスの初売りは4日より

 

 

 

 

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