函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

鎌倉殿の13人、げに恐ろしきは女なり!!

2022-03-28 | 歴史

今週は亀の前事件がメインのようですね 

自分だけが蚊帳の外だと知った政子の怒りは

凄かったですね 

「鎌倉殿の顔色を伺ってくっついて回って田

んぼのヒル!!」 と義時を罵る政子 

中々口を割らない義時ですが、政子の執拗な

詰問に遂に亀の名前を暴露 

「あの薄い顔の女ね。」と政子。 

ヒルと薄い顔の女、三谷幸喜ならではの言い

回しですね

 

牧の方と後で現れた政子に問い詰められる頼

朝が逆切れ 

「身の程をわきまえろ。」と一喝したまでは

良かったのですが、今度は時政が逆切れ 

「わしの大事な身内にようもそんな口をたた

いてくれたな!!」 

「たとえ鎌倉殿でも許せね~」と言ったまで

は良かったのですが、「言っちまった~」と

直ぐに反省する時政 

そうです、言ってしまった事は仕方ないので

す。 

この後、時政は少しの間伊豆へ引きこもりま

 

逆切れした頼朝に逆切れした時政。 

結局、元の鞘に戻ってメデタシメデタシなの

ですが、もう少し時間が掛かりそうですね 

ドラマで亀は漁師・権三の妻となっていまし

たが、安房の武将の娘だとも言われています

御所内で女中頭を務めるくらいですから漁師

の妻という設定には少し無理があるのかも知

れません 

 

父・伊東祐親を殺したのが頼朝だと知ってい

ながら「千鶴丸の敵を取ってくれた。」と義

時に言い切る八重ですが、そう思うしかなか

ったのでしょうか? 

八重にとって、子供を殺したのが父で、その

父を殺したのが子供の父で、何ともやるせな

さを感じます 

子供や父に対する愛情よりも惚れた男への愛

情の方が勝るものなのでしょうか? 

僕には分からない世界の話ですが… 

ところで 

前妻が後妻や妾に嫌がらせをする・後妻打ち

(いわなりうち)を決行しましたね 

平安~戦国時代頃まで残っていた風習だとい

われていますが、男尊女卑の社会だとはいっ

ても女性にもある程度の憂さ晴らしは認めら

れていたようです

武器としては家庭にあるほうきやすりこぎな

ど、戦うと言っても刀や槍ではありません。 

今回の亀の前事件は後妻打ちにしてはかなり

度が過ぎた感じですよね

「ここまでするか?」と言っていた頼朝の気

持ちも分からなくはありません。 

吾妻鑑にも記載されているので間違いのない

事件の様ですが、げに恐ろしきは女なり と言

ったところでしょうかね

 

 

 

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鎌倉殿の13人、義時の失恋!!

2022-03-21 | 歴史

いよいよ鎌倉殿として東国の頂点に立った頼朝

ほんの数カ月前には信じられなかった事が起き

ています 

御家人としての武将達も戸惑った筈です 

侍所の別当に任じられた和田義盛もその一人。 

「何をするんですか?」と義盛。 

「知らんで言ったのか?」と頼朝。 

漫才のボケと突っ込みの様でしたね 

義盛だけではなく、他の御家人も似た様なもの

です。 

大江広元、三善康信どの京の下級官吏が鎌倉に

下向し、頼朝政権の礎を作ったのが大きかった

みたいですね。 

領地争いだけをしてきた東国の武士だけなら間

違いなく収拾がつかなくなっていた筈

 一方

頼朝の仲立ちもあり間違いなく八重と結婚出来

ると思っていた義時

頼朝も含めた北条家の人々の前で「お断りしま

す。」と…

実際にはあり得ない話だと思いますが、涙ぐむ

義時を見ると健気と言うか?何というか? 

衆人の前ではなく直接本人だけに断りを入れた

方がと思ったのは僕だけでしょうか? 

結局、どうやら義時と八重は結婚するみたいな

のでメデタシメデタシなのですが…

 

ところで 

乙若こと源義円が登場しましたね 

文武に秀でた人物だと言われていますが、頼朝

に会った記録が無いのです

阿野全成や源義経は頼朝のもとに駆け付けてい

ますが、義円の行動が分かりません。 

単独で行動していたのでしょうか? 

叔父・源行家の挙兵に参加し平家軍と尾張で衝

突したとも…

平家軍の平維盛、重衡、忠度と対峙していた義

円でしたが、功を焦っていたのでしょうか?

単独で夜襲を掛け失敗、呆気なく討ち取られて

しまいます 

27歳だった言われています。 

頼朝が義円を行家軍に参加させた可能性もあり

ますが、おそらく自分の意志で加わったのでは

ないでしょうか 

自意識が強く独立性が強い人物だったのかも知

れません。 

おそらく、頼朝に会うことなく行家軍として

っていたのかも知れません。 

文武に秀でていた義円ですが、人を見る目だけ

はなかったようですね

 

予告を見ると来週は亀の前事件です 

政子の怒りが亀の前に襲い掛かります。 

この時代、戦をしていたのは男だけではなかっ

たようです

 

 

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鎌倉殿の13人、地雷を踏んでしまいましたね!!

2022-03-14 | 歴史

西国では養和の飢饉があり、平家軍も兵糧の調達には

さぞかし苦労したでしょうね

実は、平家軍は戦わずして退いたと言う説もあります 

富士川に陣を敷いた時には4000位の兵力しかなかった

とも… 

逃亡した兵士も数多くいたと言われていますので、立

て直しを図るしかなかったのかも知れません。 

 

西国ほどでないにしろ東国も似た様なもの。 

頼朝軍が富士川の戦いの後、平家を追討し都に攻め上

らなかった原因がその辺りにありそうです 

大きな戦になればなるほど兵站の確保が重要 

兵站が整わなければ戦は出来ません。 

頼朝軍がそのまま突き進めば富士川での平家軍の二の

舞になりかねなかったのです 

そういう意味では鎌倉に戻るしか選択肢はなかったの

かも知れませんね。 

 

鎌倉に戻った頼朝軍は佐竹氏討伐を起こします

佐竹氏は源氏ですが、平家に従っていたので背後を突

かれる可能性が有るため除かなければなりません

ドラマでは… 

上総広常が穏便に話を付けようと単身乗り込みます 

「俺が切られたらそれを口実に攻めろ。」と義時に言

い残し颯爽と向かう迄は良かったのですが… 

久し振りに会った佐竹義正の「お前、老けたな~。」

の一言にぶち切れ 

あろうことか義政を一刀両断に…

「こいつがつまらない事を言うから。」と振り向き様

に言い訳していたのには笑ってしまいました 

義政が地雷を踏んでしまったと言う事なのでしょうか? 

広常はよほど自分の容姿を気にしていたのでしょうか

ね?

 

結局、佐竹軍は籠城し両軍の睨み合いが続く事に。 

攻め倦む頼朝軍ですが、何とか膠着状態を打破したい

ものの良策が見当たりません

そんな時、偵察に行っていた和田義盛が捕まえたヒヨ

ドリが…

もしかして鵯越の前倒しが行われるの~~と思いきや

上総広常の調略により佐竹軍が後退。 

何とか乗り切りましたね

実はこのヒヨドリ、ツグミだったとの落ちまでついて

いましたよね。 

三谷幸喜ならではコメディー風大河とドラマといった

感じでしょうか? 

 

ところで 

佐竹氏ですが、踏まれても踏まれても這い上がって来

る不思議な集団です 

滅亡して歴史から消え去ってもおかしくない様な事が

度度っても不思議と復活 

領地替えも乗り越え幕末まで生き長らえるのですから、

の生命力には驚かされます

 

 

 

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鎌倉殿の13人、新説・富士川の戦い!!

2022-03-07 | 歴史

三浦義澄と北条時政の殴り合いで馬が嘶き、驚いた

数万羽の水鳥が一斉に飛び立ち、夜襲と勘違いした

平家軍が我先にと逃げ惑います

史実とは少し違う様ですが、新説・富士川の戦い、

んざらあり得ない話でもなさそうです 

戦わずして勝った頼朝軍。 

一気に都へと進軍するかと思いきや…

領地から離れた戦場で戦っている東国武士達は戦意

が無く早く帰りたいみたいですね 

平家と誼を通じている佐竹氏などに背後を突かれる

可能性もあります 

他の源氏も不穏な動きを見せていす

敵か味方か分からない木曽義仲も迫っているので大

規模な遠征は難しかったでしょうね 

鎌倉を動かず、東国を固めた事が結果的には最上の

策だったと言えます 

 ところで

甲斐源氏・武田信義も以仁王の宣旨を受け息子・一

条忠頼や一族の安田義貞らと信濃で挙兵します 

背後に木曽義仲を抱える信義にとって頼朝の要請を

受け駿河に出陣するしかありませんでした 

木曽義仲が挙兵したのが頼朝が兵を挙げた一か月半

後だと言われていますので、武田信義も背後に敵に

なるかもしれない勢力を抱えていた事になります 

信義は保元・平治の乱には参加していませんので

勢力を温存していたと思われます 

木曽義仲と武田信義は同時期に以仁王の令旨を受

け取っていた筈 

義仲は上野へ信義は駿河へと進行したと言われて

いますが、両陣営が接触しなかった事が信義にと

って幸運だったのかも知れません 

しかし、武田軍単独での平家追討はかなり厳しか

ったでしょうね。 

頼朝軍と合流したのにも必然性がありそうです 

何れにしても、鎌倉幕府内において武田氏がある

程度の勢力を保ったのは間違いなく、頼朝にとっ

ても、御家人達にとっても煙たい存在になった事

だけは確かです 

 気になるのが…助けられた八重姫。

どうやら義時の妻になりそうな臭いがプンプン。 

頼朝には八重を渡さないと宣下していた義時、自

分の妻にするしかなさそうですね

 

 

 

 

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