函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

楠木正成を尊敬していた龍馬!!

2010-04-12 | 歴史
汚れた衣装をまとっても汚さを全く感じない福山龍馬
実像の龍馬の肖像画や写真を見ても綺麗な衣装を着
ている姿は殆ど見た事がありませんが、もしかして
龍馬自身も福山龍馬と同じオーラを醸し出していた
のではとさえ思えてきます
大河ドラマ史上でのベストキャストですね

今週のドラマでは武市半平太が生涯唯一の時を迎え
ているようですね
絶頂期を迎えた半平太には周りが見えなくなくなっ
ているのでしょうか??
土佐藩の一藩士、それも下士の半平太にはここがゴ
ールだったのかも知れません
自分の献策が実行される時が来たのですから自分が
国を動かしていると錯覚しても仕方ありませんが、
後に明治維新を成し遂げた人物達なら半平太のよう
にはならなかった筈です
勿論、龍馬も…

ところで
龍馬が姉・乙女に宛てた手紙に書かれている『日本
を今一度せんたくいたし申候』、有名な一節ですね
もう一度とは以前にもあったという事になります
『月と日の昔をしのぶみなと川 流れて清き菊の下
水』、龍馬が詠んだと言われている句です
下の句の菊の下水とは楠木家の家紋、みなと川は楠
木正成が戦死した場所ですね
どうやら最初の洗濯とは後醍醐天皇による建武の新
政のようです
後醍醐天皇による新政に対抗し武士中心の国を作ろ
うとした足利尊氏に対し天皇中心の国に戻そうとし
た楠木正成、独断で外国との不平等条約を締結した
幕府に対して似た様な感情を龍馬は持っていたので
しょうか??
土佐時代の龍馬はかなりの憤りを感じていたのでし
ょうね

龍馬は尊王攘夷でも佐幕一辺倒でもありません。
勿論、天皇や幕府・藩だけの事を考えて行動してい
たとも思われません。
世界の中の日本、外国と対等に付き合える日本を目
指していたのでは…
現代にも通じる考え方ですね

尊王攘夷から抜け出せなかった武市半平太とは対照
的な龍馬ですが、死ぬまで楠木正成を尊敬していた
のか?と龍馬に聞いてみたい気もする僕なのです



サポグラ 4月号 のCMです






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