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函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

斉彬の告白!!

2008-03-02 | 歴史
いよいよ、幾島によるお姫様教育が始まります
しかし、当の幾島ですら何故篤姫教育を急ぐの
か全く分からないのです
まさか斉彬が家祥(家定)の正室に篤姫を考えて
いるとは…

江戸では家慶が亡くなりいよいよ篤姫の将来の
夫・家定が将軍を継ぐのです。
斉彬は急がねばなりません。

流石の幾島も篤姫のわがままに愛想を尽かせて
いたその時、ついに斉彬が幾島に秘密を打ち明
けました
さぞかし幾島は驚いたことでしょうね
よりによって篤姫を将軍の御台所にするなんて!!
と、ドラマではそう云うシナリオなのでしょう
おそらく幾島は近衛忠熙から前もって密命を受
けていた筈です。
そうでなければ、何も知らされないで態々京都
から薩摩迄は来ませんよね。
島津斉彬・近衛忠熙・阿部正弘の三氏の思わく
が一致したからこそのシナリオなのです

一方、幕府はこれまでの外交方針を転換し、諸
藩の協力を得ようとするのです
これまで幕府の敵は国内の諸藩だったのですが、
ペリー艦隊の来航以前から欧米列強にシフトし
ていったのではないでしょうか??
結果的に幕府は内と外に敵を抱えた事になるの
ですが少なくとも老中・阿部正弘は内の敵を無
くし、且つ挙国一致の体制を作ろうとししてい
たのでしょうね。
清とイギリスの間で起きたアヘン戦争がきっか
けで、幕府も諸藩も欧米列強にはかなり危機感
を持つ事になるのです

ところで
ペリー来航の7年前にアメリカの東インド艦隊司
令長官ビッドルが、浦賀に来航していたのです
勿論、日本に通商を求める為です。
この時、浦賀奉行所が『国策で通商が出来ない』
と云うとあっさり帰ってしまったといいます
今の時代と違い通信も発達していないので、逐一
本国と連絡が取れないのです
あっさり引き下がったのも、日本の対応を一応
本国に持ち帰っただけなのかも知れません
それともビッドルの個人的な功名心だったので
しょうか??
何れにしても、ペリーの来航の前にはオランダ
ロシアなど諸外国から鎖国の解除並びに通商を
求められていたのです
結果的に通商一番乗りはアメリカ合衆国でした
が、当時の世界の目は間違いなく日本に向けら
れていたのです
世界にとつて日本は、とても魅力的な国だった
のでしょうね。



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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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こんばんはです (ikasama4)
2008-03-03 21:00:24
まぁ日本は「黄金の国・ジパング」ですからね(笑)

アヘン戦争で清国がどうなったのか既に把握していた幕府。

しかもペリー率いる軍艦の状況まで幕府は把握していましたからね。

この辺りの危機管理能力はなかなかだったのかもしれませんね。

そして、結果的に幕末期において
清国よりも小さい日本が国交を開いたものの、
欧米諸国の植民地にならなかったという事から考えれば
この当時の幕府の外交能力はかなりしっかりした人が行っていたような感じがしますね。

この辺りを調べてみると面白そうです(^▽^)
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Unknown (iseッチ)
2008-03-04 00:37:46
阿部正弘はかなりの政治家だと
僕は思っています。
風見鶏的な感じもしますが、最終
目的を達成するにはプロセスは
どうでも良かったのでは…
世界の実情を把握していたのは
老中首座・阿部正弘一人だけだ
ったのかも知れません??
開国の必要性を1番感じていたの
は彼だったと思うのです。
彼の存在は日本が植民地にならな
かった原動力だったのかも知れませんね!!

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