先日、「HPVワクチンは、子宮のがんの予防だから、腹部に注射するのだと思っていた」という中学生に会いました(^^;)。
いろいろな人がいろいろな解釈・意見をもっています。
あったりめーだろー、という態度ではなく、「おおそうくるか」という新鮮な驚きを楽しみながら啓発していかないといけません。
HIVの治療のことを、新聞で「カクテル療法」と書いた時期があり、液剤シャカシャカして飲むと思ったひとたちがいました(多剤あわせて飲むのでそういわれていたんですね)。
「幹細胞移植でHIVが完治した」という症例のニュースがあり、ネット上ではこれは、リスクはあるけれども試みる意味のある効果の期待できる治療法、のように一部語られています。
これは、白血病となり、適合するタイプで、という偶然×偶然という確率の状況で、介入行為も下手したら死ぬリスクもあるという状況でのものでした。なので、治療戦略としてあがってくるわけではないのですが、かいつまんだニュースだけみていたら、「新しい期待できる治療法」のようにみえなくもありません。
日本でも実用化が待ち遠しい、というコメントを読んでしまうとそうなりそうですが、CNN(日本語)ニュースをみれば、あ、ちがうとすぐわかります。
今でも「感染したらすぐ死んじゃう」的なレトロな誤解をしているひともいなくはないですが、最近では「治療が進歩した」が記事の文頭に必ず入ってきます。そっかーよかったなーという状況になったことはまちがいないのですが、
「もう治療法も一定のレベルに確立しているし、障害者手帳や自立支援医療で高額な医療費負担は軽減されているし、そもそもゼロにはならないんだか、もういいんじゃない?」という意見もあります。
しかし、青木編集長がエイズ学会で担当している教育セッションで講師を2年続けてされたアン・カルサ先生の講義をきいていると、「エイズの薬があるからといって、それでOKってわけじゃないんだな」ということがわかります。
たとえば「early aging」早く老化するです(なんてこった)。
昔の治療のゴールは「エイズ(病気が進行した)で死なない」、「日和見感染症などの発症を遅らせる」、というところにありました。そこまでの状態でなければ治療を延期して様子見でした。
しかし、免疫の数値が下がっていないからOK、治療はもっと後でいい、というような考え方が難しくなってきています。
ウイルス血症状態が、様々な臓器・細胞をアタックし、結果として今までみていた2つの血液検査データ以外のところでおきる健康リスクが問題になっています。
「治療があるから感染してもそんな心配いらいない」的楽観視も誤解のひとつ。
このためニューヨークでは、その問題を前面に押し出した啓発動画を広報しだしました。
31秒で伝えるHIVのリアリティIt's Never Just HIV
「どぎつすぎる」「いやこれが現実だ」という賛否両論あるそうです。
「ならないほうがいい」と思うのが、予防の動機付けの最初ではないか?に立ち返ったプロモーションといえます。恐怖喚起はしすぎると自主検査からは遠のく可能性はありますが。それをカバーする検査戦略をNYは別途持っています。
少なくとも男性とセックスをする男性(ゲイ、バイ、MSM)にフォーカスをしているあたり、情報訴求対象としてのリスク層の絞込みがあるわけです。
日本も9割が男性なんですが、女性向け楽しげなイベントがくりかえされているあたりよくわかりません。
ポスター等でも異性間で「愛があったらコンドーム」という疲労しきったメッセージが繰り返されています。
啓発する側が誤解をしているようではこの先にいけません。
いろいろな人がいろいろな解釈・意見をもっています。
あったりめーだろー、という態度ではなく、「おおそうくるか」という新鮮な驚きを楽しみながら啓発していかないといけません。
HIVの治療のことを、新聞で「カクテル療法」と書いた時期があり、液剤シャカシャカして飲むと思ったひとたちがいました(多剤あわせて飲むのでそういわれていたんですね)。
「幹細胞移植でHIVが完治した」という症例のニュースがあり、ネット上ではこれは、リスクはあるけれども試みる意味のある効果の期待できる治療法、のように一部語られています。
これは、白血病となり、適合するタイプで、という偶然×偶然という確率の状況で、介入行為も下手したら死ぬリスクもあるという状況でのものでした。なので、治療戦略としてあがってくるわけではないのですが、かいつまんだニュースだけみていたら、「新しい期待できる治療法」のようにみえなくもありません。
日本でも実用化が待ち遠しい、というコメントを読んでしまうとそうなりそうですが、CNN(日本語)ニュースをみれば、あ、ちがうとすぐわかります。
今でも「感染したらすぐ死んじゃう」的なレトロな誤解をしているひともいなくはないですが、最近では「治療が進歩した」が記事の文頭に必ず入ってきます。そっかーよかったなーという状況になったことはまちがいないのですが、
「もう治療法も一定のレベルに確立しているし、障害者手帳や自立支援医療で高額な医療費負担は軽減されているし、そもそもゼロにはならないんだか、もういいんじゃない?」という意見もあります。
しかし、青木編集長がエイズ学会で担当している教育セッションで講師を2年続けてされたアン・カルサ先生の講義をきいていると、「エイズの薬があるからといって、それでOKってわけじゃないんだな」ということがわかります。
たとえば「early aging」早く老化するです(なんてこった)。
昔の治療のゴールは「エイズ(病気が進行した)で死なない」、「日和見感染症などの発症を遅らせる」、というところにありました。そこまでの状態でなければ治療を延期して様子見でした。
しかし、免疫の数値が下がっていないからOK、治療はもっと後でいい、というような考え方が難しくなってきています。
ウイルス血症状態が、様々な臓器・細胞をアタックし、結果として今までみていた2つの血液検査データ以外のところでおきる健康リスクが問題になっています。
「治療があるから感染してもそんな心配いらいない」的楽観視も誤解のひとつ。
このためニューヨークでは、その問題を前面に押し出した啓発動画を広報しだしました。
31秒で伝えるHIVのリアリティIt's Never Just HIV
「どぎつすぎる」「いやこれが現実だ」という賛否両論あるそうです。
「ならないほうがいい」と思うのが、予防の動機付けの最初ではないか?に立ち返ったプロモーションといえます。恐怖喚起はしすぎると自主検査からは遠のく可能性はありますが。それをカバーする検査戦略をNYは別途持っています。
少なくとも男性とセックスをする男性(ゲイ、バイ、MSM)にフォーカスをしているあたり、情報訴求対象としてのリスク層の絞込みがあるわけです。
日本も9割が男性なんですが、女性向け楽しげなイベントがくりかえされているあたりよくわかりません。
ポスター等でも異性間で「愛があったらコンドーム」という疲労しきったメッセージが繰り返されています。
啓発する側が誤解をしているようではこの先にいけません。