ホテルにチェックインして、ビールを飲んでしまうとなかなか外出するのが面倒になってしまい、ドームの夜景を撮影するのはハードルが高いです。
ほとんど毎年、自分に負けてしまってきました。
しかし、今年は見事!自分に勝って三脚を担いで出掛けてきました。
まだ辺りは明るく、夕日がオジサンの影を「足ながおじさん」のように映しています。
「稚内港北防波堤ドーム」は1936年に土谷 実という土木技術者が中心となって設計、創建された防波施設です。
稚内港に打ち寄せる波の波高は時に7mを超えたそうです。
そこで設計者の土谷 実氏は防波堤に屋根を取り付けるアイディアを取り入れました。
これによって、世界でも稀な庇の付いた防波堤が誕生しました。
「高さ 11.4m 幅 15.2m 長さ 427m 」の鉄筋コンクリート製ドームは1936年の完成です。
防波堤の上からこうしてドームの裏側を見ることも出来ます。
ドーム横のプレート…というか扁額は取り外されていました。
立派な扁額を製作中なのでしょうか…
稚内桟橋駅が存在した頃には、宗谷本線から雅泊航路へと乗り継ぐ乗客の通路としても利用されていたそうです。
以前はツーリングの方達がテントを張っているのを見かけましたが、本日は「お泊り」の方はいないようです。
夕日がかなり低い位置に下りてきました。
もうしばらく散歩をして時間をつぶします。
戦後は「石炭置き場」とされ塩害によって損傷が激しく、解体の危機に晒された防波堤ドーム。
しかし、稚内のシンボル的建築物を守るため多くの方々の働きかけにより、復元工事が1980年に完成しました。
ドームの前にはC55 49号機 の動輪が展示されています。
展示されていたC55 49号機は場所柄もあるでしょう、塩害などにより撤去され、現在は動輪のみが展示されています。
その動輪もかなり厳しい状態です。
C55 49 L という刻印を読むことができます。
毎年、この可愛らしいプレートを見ると気持ちが和みます。
すごくこの場所にマッチしていると思います。
夕日も落ちてよい感じになってきました。
夜景のゴールデンタイム “ブルー・モーメント”が始まりました。
ドームの梁材が壁と融合して一体となっていくカーブが作るシルエットがNike のマークのようでもあり美しいです。
ほとんど毎年、自分に負けてしまってきました。
しかし、今年は見事!自分に勝って三脚を担いで出掛けてきました。
まだ辺りは明るく、夕日がオジサンの影を「足ながおじさん」のように映しています。
「稚内港北防波堤ドーム」は1936年に土谷 実という土木技術者が中心となって設計、創建された防波施設です。
稚内港に打ち寄せる波の波高は時に7mを超えたそうです。
そこで設計者の土谷 実氏は防波堤に屋根を取り付けるアイディアを取り入れました。
これによって、世界でも稀な庇の付いた防波堤が誕生しました。
「高さ 11.4m 幅 15.2m 長さ 427m 」の鉄筋コンクリート製ドームは1936年の完成です。
防波堤の上からこうしてドームの裏側を見ることも出来ます。
ドーム横のプレート…というか扁額は取り外されていました。
立派な扁額を製作中なのでしょうか…
稚内桟橋駅が存在した頃には、宗谷本線から雅泊航路へと乗り継ぐ乗客の通路としても利用されていたそうです。
以前はツーリングの方達がテントを張っているのを見かけましたが、本日は「お泊り」の方はいないようです。
夕日がかなり低い位置に下りてきました。
もうしばらく散歩をして時間をつぶします。
戦後は「石炭置き場」とされ塩害によって損傷が激しく、解体の危機に晒された防波堤ドーム。
しかし、稚内のシンボル的建築物を守るため多くの方々の働きかけにより、復元工事が1980年に完成しました。
ドームの前にはC55 49号機 の動輪が展示されています。
展示されていたC55 49号機は場所柄もあるでしょう、塩害などにより撤去され、現在は動輪のみが展示されています。
その動輪もかなり厳しい状態です。
C55 49 L という刻印を読むことができます。
毎年、この可愛らしいプレートを見ると気持ちが和みます。
すごくこの場所にマッチしていると思います。
夕日も落ちてよい感じになってきました。
夜景のゴールデンタイム “ブルー・モーメント”が始まりました。
ドームの梁材が壁と融合して一体となっていくカーブが作るシルエットがNike のマークのようでもあり美しいです。