Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

沼牛駅 深名線 9月3日 2014年

2015-02-07 | Weblog
「鷹泊駅跡」から10Kmほどの地点に「沼牛駅跡」はあります。

駅は1929年(昭和4年)に開業されました。

深名線の駅の中では“新しい駅”なのではないでしょうか。

駅舎は“昭和の北海道駅スタンダード”を思わせるデザインです。

国道275号線からアクセスする沼牛駅ですが、先の鷹泊駅のように国道から直接駅前にアクセス出来ず、若干回りこまなければならず、手間取りました。



駅前は綺麗に整備されていて「打ち捨てられた感」は全くありません。

屋根の色とりどりのトタンはその都度張り替えられているようです。

「北海道の鉄道廃線跡」の写真では、「赤い鱗模様」になっております。

おそらく書籍の写真の屋根がオリジナルに近いものではと想像します。

写真右寄りの地面には、色の違う丸い部分を確認することが出来ます。

これも想像でしかありませんが、タワーのようなものが建てられていた名残ではないかと思います。

JTBブックスの「鉄道廃線跡を歩くⅦ 宮脇俊三」に紹介されている深名線の政和駅前ロータリーには立派なタワーが建っている写真が掲載されていて、とても印象深く記憶に残っています。

この書籍は著された年代が若干古いので今日の駅たちの現状とは異なります。




駅前から振り返って見ます。

左手に見えている白い壁に赤い屋根の建物が以前簡易郵便局と商店があった建物です。

国道からは、その建物の手前に見える道路からアクセスすることになります。

国道は駅舎の向こうに見える蕎麦畑のその向こうの林の後方になります。



地理院地図に国道からのアクセスを緑線で描いてみました。

国道からこの様に迂回して駅にアクセスしなければなりません。

黒の十字線が「沼牛駅」です。

駅跡の周囲に広がるのは「蕎麦畑」だそうです。

地図中に記された「東六線」とか「東八線」とかの道路名は北海道特有の命名ですね。






駅正面の入り口、引き戸は南京錠によって施錠されています。

駅内部は物置として使用されているようでした。



入り口上の赤矢印庇部には駅名標を固定していた木製基部が残されていました。



いつもの作法に則り駅舎の観賞を始めます。

庇上の屋根を見てください。

赤い鱗様の屋根を確認することが出来ます。

おそらく、今はブルーのトタンが貼られている大屋根部も、この赤い鱗様の屋根材が貼られていたものと思います。




切り妻部を観賞します。

壁の上部は「ハーフティンバー」、下部は下見板張りとなっています。

この板張りも窓部は横方向の板張りで下部は縦方向の“腰板風”板張りとなっていて、3通りの仕上げを見ることが出来ます。



ホーム側から駅舎を見ます。

駅舎とホーム側に張り出された庇を見ます。

沼牛駅は屋根のメンテナンスが良く行われているようで、庇部の損傷も見られず綺麗な状態を保っています。



駅舎、ホーム、そして路盤を見ます。

路盤のバラストが鉄道の雰囲気を残しています。

除草作業も非常に丁寧に行われているのが判ります。



ホームから駅舎を見ます。

窓や出入り口はベニヤ板で塞がれていますが、ブルーシートが置かれている辺りが、ホームへの出入り口であったと思います。

庇左端の柱には、平板が貼り付けられていますが、その大きさと形、高さから、ホーロー製の駅名標が貼られていた名残ではないでしょうか。



駅舎前には「一本足」で踏ん張る駅名標のフレームの残骸?が残されています。

もう一方は根元から折れてしまっているようです。

錆びて朽ち果てたフレームは独特の旅愁を誘うものがあります。

こちら側から庇や大屋根部を見ますと、「緑色」の屋根材で覆われているのを見ることが出来ます。



切り妻側の壁面を見ます。

以前見た写真では、出窓をベニヤ板で全面が覆われていましたが、今は写真のように一部が剥がされています。



路盤に下りてホームと駅舎を見ます。

とても綺麗に整備された路盤を見ることが出来ます。

この先、農道として使われている道と合流しているのが見えます。

画面右側、ホームの終端部は損壊が見られます。

駅舎前部辺りのホーム縁石も崩落している部分があります。



振り返って深川方面を見ます。

視界の限り路盤跡が続いているように見えます。

本格的廃線巡りマニアの方なら、この路盤跡をずっと歩いて探索するところでしょう。



もう一度、路盤から駅舎を見ます。

ホーム縁石は一部危うい状態の部分も見られます。

路盤にはかなり密にバラストが敷かれているのが分かります。



こちらから朱鞠内方面を見ます。

右側から轍が路盤に合流して農道となって利用されています。

路盤のバラストはホームの終端部で終わっているようです。



朱鞠内方面のホーム終端部です。

バラストがかなりギッチリと敷き詰められています。

路盤に敷くというより、むしろホーム基盤の補強のために敷かれているように見えます。



もう一度切妻側側面からホームと蕎麦畑と、その向こうの林は「白樺」の林でしょうか…幹が白く見えますので。



一回りして駅前広場に戻りました。

ここから見ますと、「色とりどり」の屋根材が使われているのが良く分かります。


「沼牛駅」を一言で表現するならば、「シンプル」でしょうか。(表現力が乏しくて済みません、もっと語彙が豊富だと良いのですが…)

華美に飾り付けられているわけでもなく、かと言って風雨に晒され朽ちていくのに任せている訳でもない。

「沼牛駅」の現況って、かつて深名線が現役であった頃そのままの「空気感」がそっくり残されているのでは…と、感じました。

好感度“大”な駅跡でありました。

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