ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2024-26 岩手にフリースクール誕生

2024年02月22日 | 日記
よく立ち上げた。
誰しもが思っていて、なかなかできなかったことだ。
2月18日の新聞に掲載されていた。県南にフリースクール。
現職の中学校教師が今年3月で退職し、フリースクールの運営に乗り出す。
しかも、その男性は50歳。定年10年前なのだった。
このことは先月、知っていた。
「不登校をなくそう。誰もが学びの楽しさがわかる学校を」
県民会館でその学習会があった。
彼はそのレポーターの一人だった。
失礼ながら、彼に「理想は分かった。しかし運営費はどうするんですか」と問うた。
彼は、3月に退職する退職金で当面は経営すると。そして企業から協力金や
寄付などで賄う予定だとの返事だった。
この実現に10年の間構想を練っていたとも。
これは、多くの教師の願いでもある。
彼の夢の実現、大きな応援、エールを送りたい。
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2024-25 盛岡城を未来に

2024年02月21日 | 日記
ここ数日、5月中旬の陽気とか
昨日は17℃。この陽気に誘われて市内散策。
今週末、町巡りの実地研修で一部ガイドの予定なのだ。
その予習を兼ねての街歩きであったのだが。・・・

先週の日曜日、「盛岡城を未来へ」というシンポジウムがあった。
文化庁、研究者、専門家など大変参考になった。
参加者200人。市民の関心の高さを感じた。
盛岡城は石垣の美で有名である。
多くの城は土塁の上に石垣があったり、逆に石垣の上に土塁とか。
山城の場合は土塁のみとか。
全国300の城の中で 全域に石垣を用いたのは会津鶴ヶ城と南部盛岡城、白河城の三城のみと専門家。
特に高大なる石塁を用いたのは注目の価値があるとと語っておられた。

しかし、20万石の盛岡城は戊辰戦争で敗れ、取り壊されてしまった。
その32年後の明治39年1906年に盛岡城跡が岩手公園として整備されたのだ。
残念ながら、盛岡城の写真はたった1枚しか残されていない。
そこで市は1000万の懸賞金を出して当時の盛岡城の資料提供を呼び掛けている。
設計図など。期限は3月末まで。市でも当時の大工の棟梁など遡って
18名ぐらいに追跡調査をしているようだ。
過去の資料を探す大変さを感じた。


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2024-24 珠玉の街巡りF

2024年02月19日 | 日記
ぽかぽか陽気の1日。今回の街巡りはNYタイムスで紹介された人気コースだ。

プラザおでってがスタート。
岩手銀行赤レンガ館。明治44年1911年竣工。盛岡銀行本店。
ここが第1ポイント。「何に見えますか」・・・東京駅とそっくり。
そうなのだ。同じ設計者によって建てられている。。しかも2年早い。
おおきさは10倍と違うが。
設計者は辰野金吾と盛岡出身の葛西萬司。3年間かかったといわれる。3階建てで
花崗岩と赤レンガのコントラストはルネサンス様式の近代化遺産である。
煉瓦91万個。総工費13万円。
しかし昭和6年 1931年金融倒産。その後岩手殖産銀行 現岩手銀行となる。
時の知事が赤煉瓦は赤字のイメージで悪い。と白く塗り替えられた。
元に戻ったのは昭和33年 1958年である。
次のポイントは盛岡信用金庫。これも葛西萬司。昭和2年1927年竣工
正面の6本の太い円柱と花崗岩が目を引く。昭和初期のモダニズム建築だ。
次は南部鉄器の釜定。明治時代の創業。「どんと晴れ」のロケ地。
茣蓙九。江戸末期の豪商。間口20間もある。庶民は1間の間口だ。それだけ税金が余程高い。
屋根にはうだつという壁が稲妻型に走っている。火災延焼防火対策だ。
裏の中津川に面する土蔵が7棟。柳の道
次は南部紫根染めの草紫堂。絞り染めは1着に数ヶ月。大変高価である。
手頃な小物が1000円程度である。なんぶ
白沢せんべい店。当時は野戦食であったと。
そして紺屋町番屋と与の字橋。次回に続く





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2024-23 ようやく平泳ぎに手応え

2024年02月17日 | 日記
今月は平泳ぎ練習が中心のマスターズ。
不得意な平泳ぎの技術習得のチャンスだ。
コーチから平泳ぎは最も難しい泳法だと。
今まで練習してもなかなか効果に表れないのだった。
それでもレッスン後は水泳ノートにメモをしている。忘れないために。

今回、うれしいことにようやく手ごたえを感じ始めた。
13回のストロークが8回に激減したのだ。

キックの仕方。①意外かもしれないが足の力を抜くこと。
②次に腿を寄せる。そのためのレッスンが気を付けキック練習。
キックした足に手でキャッチして確認する。
キャッチできないと腿の曲げ方が不十分な位置であるのが分かる。
③蹴るとき足を交差した練習。これでキックした後足を閉じる感覚を身につける。
 閉じるキックは足をしっかり延ばすこと。そして蹴り始めより終りの方が速く閉じる。
④お腹に力を入れる。緩めると腰が下がり抵抗になる。
これでいつもより力強いキックが進むキックを感じた。
今までどれも中途半端でやっていたのだ。
次に腕のかき方。
これが覚えるのに難しかった。前方、肩幅より広げたら、手を下向きにする。
肘を立てる。陸上での感覚は体はつま先立ちの前傾姿勢だ。
立てた両手を両肘に素早く寄せ引き付ける。ひくのではない。
ここがポイントでイメージが分からず腕こねくり回して難しかったところだ。
引き付けた形はまるで「小さな前ならえ」だった。
その時、体は浮く。ここで呼吸。そして素早くその手を前に伸ばす。
足を寄せてここでキック。これで完了。
ストロークが減り、タイムも1~2秒ぐらい早く感じた。
ようやく手応えが実感できた。

コーチから「ストロークが減ってもレースの短距離では結果には出ないだろう。
伸びる平泳ぎで25mは泳がないから、でも200mメドレーには役に立つかもしれない」と。
3番目に50mを泳ぐ平泳ぎに生かせるのではと示唆してくれた。









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2024-22 盛岡もの識り検定「合格」

2024年02月16日 | 日記
先月末に盛岡もの識り検定試験があった。
受験者数は、3級は100人、2級は30人、そして1級は30人であった。
その結果発表が昨日あった。
3級合格者は100人中63人だった。2級は8人と3割切っていた。ちなみに1級は合格者数なし。

盛岡の街の文化・歴史が出題問題だ。
ちまたでは結構、難しいとの評判である。
今年は18回目、これまでに総数、約2000人受験者数。
解答を頂いた。
自己採点と同じ83点だった。100問中、7割正答で合格だ。2級も同様。
1級は4択だけでなく記述式もある。
受験料、3級2000円、2級3500円、1級4000円。

試しに2級の問題に挑戦してみた。
歴史では問題を更に掘り起こしている内容だった。
自己採点、現時点で67点だった。

次の目標ができた。盛岡もの識り検定2級挑戦だ。


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