私の旅行体験記,

私は南米に6年間勤務しました。その際撮影した写真が700枚ほどあります。これから逐次ご紹介します。

最近読んだ本の紹介(18)県立図書館で借りて読んだ本をご紹介いたします。

2012-04-21 15:02:49 | Weblog
             最近読んだ本の紹介(18)県立図書館で借りて読んだ本をご紹介いたします。

最近読んだ本の紹介(16)2012-01-07 最近読んだ本の紹介(17)2012-02-22で五木寛之氏の268、 親鸞(下巻)264、親鸞(上卷)をご紹介しました。
その後2012年1月14日に親鸞-激動編の(上巻・下巻が発行されました。)県立図書館へお願いし、購入して頂き、借りてきて最近読了しました。相変わらずとても難しい小説でした。

275、五木寛之 親鸞(激動編上卷)

276、五木寛之 親鸞(激動編下巻)
が2012年1月14日に発行されました。早速県立図書館へお願いし、購入して頂き、最近読了いたしました。

ご紹介します。
275、五木寛之 親鸞(激動編上巻)目次 聖者の行進、、、8頁 招かれざる客たち、、、35頁 春風の中で、、、59頁                     人買いの市で、、、69頁 裸身観音、、、、85頁 新しい生活、、、118頁
                     深夜の逃走、、、、150頁 夏の終わり、、、184頁 焼野原の風景、、、                      229頁 幻の七日、、、257頁 蛇抜けのごとく、、、281頁

            ここでは既に親鸞という名前が明記され、越後に流罪となってからの物語が語れれている。
 

276、五木寛之 親鸞(激動編下卷)目次 風と雪と海と、、、8頁 流れゆく歳月、、、、43頁 未知の世界へ、、、86                     頁 山と水と空と、、、111頁 まがりくねった道、、、151頁 稲田の草庵                     にて、、、、271頁 風雨強かるべし、、、、200頁 光陰矢のごとく、、、                     222頁 都を思えば、、、、238頁 黒念仏の闇、、、249頁 出会いと別                     れ、、、、294頁 それぞれの出発、、、、313頁

                  あとがき、筆者 親鸞の生涯はおおまかに三つの時期にわけることができるではあるまいか。幼児の頃から三十代にいたる放浪、勉学の時代。そして流刑者として越後へおくられ、やがて関東で家族とともに暮らした時代。最後が京都へ戻っての六十代から享年九十までの生涯である。
 今度の【激動編】では、その中期の親鸞を描くこととなった。登場人物、背景など物語作者としてかなり自由に想像力を駆使する結果となったが、あくまで小説として読んでいただければ幸いである。

 私の付記、一身田町には高田本山と言って親鸞を祀った大きな寺があります。ただいま親鸞のための大きな祭りが行われようとしております。(真宗高田派本山専修寺・開山聖人750回遠忌報恩大法会・平成24年4月6日~4月16日)
五木 寛之先生は親鸞と高田本山のことについては未だ何も述べられていません。京都へ戻っての六十代から九十までの生涯に、高田本山設立のご活躍されることを記載して頂きますよう、祈念いたします。!!!!!

なお、高田本山専修寺のホームページが既に立ち上がっていることを忘れておりました。

下記に記載します。興味を持たれる方は開いてみて下さい。とても興味深々たるものがあります。

 URL:http://www.senjuji.or.jp/index.php

277、網野善彦 甲斐の歴史を読み直す-開かれた山国-山梨県に生まれ、育った人間として図書館え行き、書棚を探しましたら
    この著者の甲斐の歴史を読み直す-開かれた山国-に辿り着きました。読了しました。とても勉強になりました。

278、ベン・ヒルズ 著 藤田真利子 【完 訳】 プリンセス・マサコ 皇太子妃 雅子様の苦しみ、喜び、など長編に描い     た著書です。コメントは省略させて頂きます。

279、河田宏著 満州建国大学物語『時代を引き受けようとした若者たち』私がこの著書を読もうと決めた動機は、2歳年上の    兄が満州吉林省に所在した吉林師範大学に在学中に学徒動員され、ソ連の満州国侵入によって、シベリアの強制抑留さ     れ寒いシベリアで凍え死んでまったことを思い出したからです。
     学力優秀であれば、学費はすべて支給されるので、兄は喜び勇んで渡満したのでした。しかし、ソ連軍の侵攻         シベリア抑留 があって凍死してしまいました。兄は優秀で旧制中学校をトップ優等生で卒業しました。
     日本の大学へすすんでいたなら、(当時はすべての学校に動員令が出されておりました。)
     今この【満州国建大学物語】を読了して、84歳の私の兄が生きていて戦後民主主義の日本を過ごすことができたなら     としみじみと感ずる次第です。ここにこの作品の目次のみを取り上げ、在満の学生がいかに人生を送ったかをブログと     して記載しました。
 
     筆者冒頭の言葉 ここでとりあげたのは、1945年(昭和20年)、日本の敗戦、満州国の消滅によって閉学した、     きわめて特殊な学校に集まった人々の物語である。その学校は満州国の最高学府【満州建国大学】以下、建大と呼ぶ。

 目次 プロロ-グ、、、11頁 第一章 建国大学事始、、、 21頁 一満州国首都新京(現 長春)二一九三七年二月二十    六日 東京
    三 建国大学令公布 四中国、朝鮮人教授の招聘 第二章 健大一記生募集、、、53頁 一 東京駒場 第一高等学校
    二 奉天南満中学堂 三奉天第一中学校 四花巻農学校 五 軍人 辻政信
    第三章 開学、、、77頁 一満州国再建の星 二歓喜嶺の洗礼 三泥沼化する日中戦争 四塾生活 五【北紀行】
    第四章、、、111頁 一農業実習と藤田松二助教授 二座談会 三鮮系学生 四満系学生 五石原莞爾の来校
    第五章 満州の実体験、、、、153頁 一大興安霊嶺を見る 二学期末実習旅行 三島木健作【満州紀行】
    第六章 学生は苦闘する、、、173頁 一これでよいのか 二馬小屋事件 三民族教育する満系学生 四ノモンハンの    ヤルゴイ
    第七章 終焉にあらず、、、207頁 一満系学生の逮捕 二ヒハ君臨シ 三 一期生卒業 四昭和十八年
  
     エピロ-グ、、、241頁
     あとがき、、、、、253頁
     参考文献、、、、260頁  
























 



100歳私の証 あるがまゝ行く 日野原重明 あるがままに走り続けます。

2012-04-09 16:34:35 | Weblog
      100歳私の証 あるがまゝ行く 日野原重明 あるがまゝに走り続けます。

朝日新聞be欄の、【日野原先生のあるがまゝ行く、】は何度か転載させて頂きました。この度またまた強烈な印象を頂きました。以下にそのまま転載させて頂きます。(2012年4月7日)


 beに「あるがまゝ行く」の第1回が掲載されたのは2002年10月5日で、前日に私は91歳になったばかりでした。当時の編集者に「日野原先生のあるがまゝの心境を書いててほしい」と頼まれたのがきっかけでした。
 今から28年前の1984年に半年間、私は「老いを創める」題した連載を朝日新聞紙上でしました。60歳の時に、ユダヤ系の哲学者、マルチン・ブーバーの本を読んで「人は始めることさえ忘れなければいつまでも若い」という意味の言葉に接し、今まで経験したことのないことをやってみようと決心して、『創める』という言葉を使ったのです。

 『あるがまゝ』の欄では、季節に応じた話、出会った事柄や患者さんのエピソードなどについて書きました。執筆にあたった私は、古典の中でも有名な鴨長明の『方丈記』や吉田兼好の『徒然草』など改めて読み返してみて、すぐれた随筆は気取らず、楽な気持ちで「あるがまゝ」に書かれているものなのだと感心しました。
鴨長明も吉田兼好も60代で亡くなりました。2人が生きていた12~14世紀はまだ医療も確立していなかったことを考えると、長命だったといえましょう。
 挿絵を担当してくださる画家の小田桐昭さんは、わたしから原稿がおくられてくると1週間はじっと考えて、イメージをまとめらるそうです。この挿絵は大変好評で、展示会があると多くの人が見に来られるようです。
 こうして書き続けているうちの、私は昨年10月、100歳をむかえ、それから早半年が過ぎました。
 誰もが【100歳まで生きられれば申し分なし】と言います。私は今、その10歳を超えてなお【あるがまゝに】生きていられることを感謝しています。私が生きている限りこのエッセイは続けたいと思っています。
 今年の正月、箱根駅伝を見ていた時に、次の句が思い浮かびました。

 【100歳は ゴールではなく 関所だよ!!!!!】

私がこれから先の関所をどこまではしれるかはかりません。けれども力の続く限り、この人生を走り続けようと思っています。

読者のみなさんも、長生きしてください。!!!!!!
                  (聖路加国際病院理事長 日野原 重明)