私の旅行体験記,

私は南米に6年間勤務しました。その際撮影した写真が700枚ほどあります。これから逐次ご紹介します。

株式会社トップアート社のカタログ 長橋 保 画伯 作品番号21800 雪の白河郷

2011-02-25 14:42:53 | Weblog
        株式会社トップアート社のカタログトップアート社のカタログ 長橋 保 画伯 作品番号21800 雪の白河

  このカタログの転載についてはトップアート社のご許可を頂いております。

最近読んだ書籍と感想、コメント {Ⅸ}

2011-02-15 11:35:13 | Weblog
195、~200まで 195、石川 達三  幸福の限界 女性の幸福とは何か? しみじみ考えさられる物語。

以下石川達三の作品6編を読んだ。久しぶりの大作ばかりでとても疲れました。新日本文学(30巻)編者の冒頭の言葉を掲載します。
 
モラルの混迷の時代に、赤裸々な人生のなかの真実のみを直視して、現代人の愛の飢渇をえぐり幸福のゆくえを探る!!。異色の、S・Fの先駆的作品に加え、ヒューマニスト石川達三の代表作6編を収録。とあった。以下作品名である。

なお私はこのブログの中で石川達三著{蒼氓}(そうぼう)を読んでいうコメントを記しました。「2009年2月26日 17時03分」
97歳日野原重明先生に触発されました。 図書館で大活字版の「蒼氓」「南海航路」「声なき民」この三作で石川達三先生は第一回芥川龍之介賞を受賞しました。 

196、泥にまみれて 197、最後の共和国 198、満たされた生活 199、三代の教示、200、転落の詩集
 石川達三先生の主な著書は読了できた。と自己満足を感じております。
[2011年2月15日」

201、井伏鱒二 珍品堂主人 骨董玩味面白し

202、井伏鱒二 黒い雨 大活字版 「上」「下」巻 1945年8月6日 広島にアメリカによる原爆投下、棲ざましい被害!!!「黒い雨」について文芸評論家、河上徹太郎氏はその論評の最後に「凄惨さと同時にそれよりもしみじみとした人生永遠の哀愁の籠った戦争文学の傑作である、と述べている。

年譜によると、この「黒い雨」はジョン・ベスター氏によってBlack Rainとして英語訳版が講談社から刊行された、とあった。

さらに、1966年11月に「多くのすぐれた小説、随筆などを発表し、近代文学史のうえにユニークな業績を築いた」ことにたいして文化勲章を受章した。「黒い雨」によって野間文芸賞を受けた。と記されていました。

2011年2月18日記入

203、大島昌宏 九頭竜川 (上)(下)ニ巻 大活字版 九頭竜川で鮎を釣る女釣師の物語。一言で言えば越前女の強かさを描いていました。

204、渡辺純一 幻覚 看護師の僕は、美人で大病院の女性院長に心から憑くした人生を送った。

205、井上荒野(アラヤ)女性作家 、父井上光晴を(父・娘)を作家から作家として描いていました。

206、住井 すゑ 牛久沼のほとり 81歳になった「橋のない川」の著者、住井すゑさんが牛久沼のほとりで戦後を過ごした時代を描いておりました。


2011年2月25日記入

井伏鱒二(新潮日本文学全集 17巻 井伏鱒二集)第17巻をすべて読了しました。下記に題名を記述します。以下の番号の207~224著者名は省略します。

207、 駅前旅館

208、 黒い雨

209、 山椒魚

210、 鯉

211、屋根の上のサワン

212、ミツギモノ

213、「槌ツァ」と「九郎冶ツァン」は喧嘩して私は用語について煩悶すること

214、磐田君のクロ

215、隠岐別府村の守吉

216、遥拝隊長

217、かきつばた

218、ワサビ盗人

219、「奥の細道」杖の跡

220、猫

221、琴の記

222、おふくろ

223、無心状

224、コタツ花


 2011年3月12日記入

225、司馬 遼太郎 馬上少年過ぐ 大活字版 「上」「下」多くの著作が編集されていましたが、特に印象的だったのは、奥州の梟雄(きょうゆう「ふくろう)、伊達正宗の「馬上少年過ぐ」が印象的でしたので、この稿について、ツイッターします。
独眼の老人伊達正宗はおのれの生涯を回顧し、詠います。

 馬上少年過ぐ、世平らかにして白髪多し、残躯(ざんく)天の赦(ゆるす)ところ、楽しまざるを、これ如何(いかん)せん、四十年前少壮の時、功名、聊復自私(いささかまたみずからひそかに)に期す、老来識(し)らず干戈の事、只把(ただとる)春風桃李(とうり)の巵(さかずき)。と詠み章末に、七十歳の時、京に上り、公家を酒宴に招いた席で、一首を詠んだ。{/
 
咲きしより今日散る花の名残まで、千々(ちじ)に心のくだけぬるかな。

以下に 司馬 遼太郎氏の「馬上少年過ぐ」と一緒に読んだ書名に目次だけ記します。

 著者名 司馬遼太郎

226、英雄児

227、慶長長崎事件

228、喧嘩草雲

229、重庵の転々

230、城の怪

231、貂の皮


2011年3月19日記入

232、有吉佐和子 紀ノ川 紀ノ川は静かに流れていました。
 花、という女性の生涯を描いておりました。76歳の祖母に手を曳かれて高野山の女人高野といわれる慈尊院を参拝している情景から、始まり、第二じ世界大戦(太平洋戦争)を過ごして、孫華子に看取られて亡くなるまでの生涯を描いた長編作品である。
 太平洋戦争を経験したその時の世代であるので、作品の描かれた社会的背景が良くわかり、共感を感じました。特に昭和16年12月8日の「帝国陸海軍は今八日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」という大本營発表が有った。と記しています。以下宣戦の詔勅を記録してありました。私は旧制中学一年生の時でした。思いだされる文章を、思いがけなく、この有吉佐和子氏の作品上で発見しましたので、参考文献として以下に記載します。

 天佑(テンユウ)を保有シ万世一系ノ皇祚(コウソ)ヲ踏(フ)メル大日本帝国天皇ハ昭(アキラカニ)忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス。
朕 茲(ココ)ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス、朕ガ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ朕ガ百僚有司ハ精励職務ヲ奉行シ朕ガ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ尽シ億兆一心国家ノ総力ヲ挙ゲテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ違算ナカラシムコトヲ期セヨ                                             
 と言うことでした。この詔勅が多くの国民に恭しく受け入れられてた時代とは何だったのでしょうか!!!???