私の旅行体験記,

私は南米に6年間勤務しました。その際撮影した写真が700枚ほどあります。これから逐次ご紹介します。

石川達三著「蒼氓」(そうぼう)を再び読んで、97歳日野原重明先生に触発されて、

2009-02-26 17:03:45 | Weblog
この記事は昨年10月23日に書きましたが、途中で放棄し、現在(2009年2月26日)まで下書きの状態でした。意を新たにし、書き添えましたが、中途半端な文章になってしまいました。リセットし投稿します。

 私は南米で6年間勤務して来ました。南米渡航前に石川達三著「蒼氓」(そうぼう)を文庫本で読みました。その時の感想はひたすら、「残酷だ!!」「この人びととの価値観の相違はなぜだろう?!!!」という強い印象が残っていました。

 日野原重明先生の記事を読ませて頂き、80歳を越した私が現在、再読して、どんなことを感ずるか?と思いつつ、県立図書館で大活字本シリーズとして大きな活字で印刷された上巻248ページ、下巻288ページの本を借りだし、再び読んで見ました。
 
 中には第一部「蒼氓」、第二部「南海航路」、第三部「声なき民」が収載されておりました。

 蒼氓では主として神戸市にあった「国立海外移民収容所」内でおきた事々が書かれておりました。1930年3月8日。神戸港は雨である、、、、、、、、。 と言う書き出しから始まります。

 移民募集ポスターの宣伝文にあるように、「海外雄飛の先駆者」「無限の沃土の開拓者」のように自分達を幻想することが出来るようになりました。しかし現実は兵役が有り、当時は日本人男子は20歳で検査を受け、兵役に服さなけりませんでした。(国民皆兵)の時代でした。その中で一人の若者が兵役拒否の目的で、ブラジル移民を希望したとして、周りの全ての人びとは「俺は忠義でない」と思っている。と深刻に悩む場面もでております。
 
 忠義でないとは天皇陛下のお金で旅行することの有り難さを忘れたことになる。とこの若者は深刻に悩むのです。
 
 1928年(昭和3年)生まれの私は80歳を越しましたが、子供の頃、少年時代は「忠君愛国」「滅私奉公」「天皇陛下のためならば!!」と言う概念を徹底的にたたき込まれたと思います。ですから、この若者の心情が良く理解できます。現代の若者には絶対に通じない心情だと思います。時代の変遷を痛感します。

 戦後出版された「従軍学徒の手記・聞けわだつみの声」を読んで戦争中にも一所懸命に勉強しようと苦しんでいた、私とほぼ同世代の若者がいたのか!!!!!とてもショックでした。

 昭和3年に生まれ、小学校2年生の時の昭和12年7月に日中戦争(支那事変)が始まり旧制中学1年生一学期の12月8日に太平洋戦争が始まりました。学生時代は殆ど勉強はさせてもらえず、遠くは北海道まで「学徒援農隊」と称する学徒動員を受けました。
 在学中は農場、工場などあらゆる所の勤労奉仕をさせられました。殆ど授業はなかったと言っても良いでしょう。東京品川の第一海軍衣糧省で働いていた頃は連日艦載機の機銃掃射、小型爆弾の投下に恐れ防空壕へ逃げ込んでいました。その17歳の夏の、8月15日に終戦でした。広島、長崎へ原子爆弾が投下されたのもこの時期でした。

 戦後「聴けわだつみの声」など読んで何と無知に過ごして来たことか!!!と痛感しました。まさに蒼氓の中の若者と同じ価値観を持っていたのです。!!!!!

 勉強し直さなければ!!!!!と思い新制高等学校の定時制、夜間大学のどに通い一生懸命に勉強しました。その後農林水産省に勤め当時の農林水産省野菜試験場
に勤務し最後の6年間は南米パラグアイ(ブラジルの隣国です)チリに勤務しました。パラグアイは戦後移住した日系の移住地でしたが、移住地の日本人達は最早「忠君愛国」の言葉は知りません。蒼茫と時の過ぎたことを感じます。