私の旅行体験記,

私は南米に6年間勤務しました。その際撮影した写真が700枚ほどあります。これから逐次ご紹介します。

サンパウロ(南米ブラジル国の都)

2007-06-29 16:36:46 | Weblog
 朝日新聞2007年6月29日号に特派員メモとしてブラジルのサンパウロの様子が”根を張って交流”と題して報告されました。私の旅行体験記によく似た内容も多く、懐かしいので、原文のまま転載します。

 「ポンカーン、カキー」日曜の朝は、にぎやかな売り子の声で目が覚める。アパートの前の道路が通行止めになり、露天市が出るのだ。  褐色の肌の男たちが声を張り上げる中、搾りたてのサトウキビのジュースを飲みながら、新鮮な野菜や果物が並ぶ屋台をのぞくと、それだけで元気をもらえる気がする。日系の老人の店も多い。声は控えめだが、積まれた野菜はほかの店よりは青々して見える。
 ブラジルの野菜栽培は、赤い大地を踏みしめ、懸命に耕した日本人移民によって培われた。国立野菜研究センターのヘンス氏は「栽培不可能とされた地域でも日本人の工夫と努力で野菜が育つようになった」と話す。野菜を食べる習慣も日本人が定着させたという。シイタケやカキなど野菜や果物の何は日本語が多い。
 一方、今では日本でもアサイーやアセロラなど、ブラジルの熱帯果樹が味わえる。今後は、サトウキビからできるバイオ燃料などで両国の連携が期待される。
 日本から最初の移民が来て99年。百数十万人と世界最大の日系社会に育った。
90年代から日系人が父祖の国で働き、30万人が日本で暮らす。互いが地球の反対側に根を張りつつ、交流する時代が始まっている。(ISHI)

AGRIEX巨大農場見学、エンカルナシオン近く

2007-06-29 13:12:11 | Weblog
 AGRIEXというエンカルナシオン近くの巨大農場を見学しました。農地面積5万5千ヘクタールの農地に1万5千ヘクタールの大豆を播種。農薬は下の写真に撮られている軽飛行機で散布されます。職員300人家族1,000人の企業農業でした。日系移住地の規模の小さいこと、痛感しました。