私の旅行体験記,

私は南米に6年間勤務しました。その際撮影した写真が700枚ほどあります。これから逐次ご紹介します。

100歳私の証 あるがまま行く 日野原重明 日本にも暴動があった。

2011-12-31 14:10:57 | Weblog
100歳私の証 あるがまま行く 日野原重明 日本にも暴動があった。日野原先生は」相変わらずお元気で達筆を奮っておられます。2011年12月24日土曜日の朝日新聞紙上で拝読し、ブログに書き留めて残したいと思い、そのまま転載します。

日本にも暴動があった。
 昨年末から今年のかけて興ったチュニジアのジャスミン革命に始まり、エジブト、リビアなど、今年は中東で次々に暴動が発生しました。エジプトで30年間君臨していたムバラク前大統領を権力の座から引きずり降ろしたのは、軍事クーデターでも外国軍でもなく、18日間続いた国民の蜂起でした。
 米国在住の中国人がインターネットを介して、中国本土にいる仲間を集める動きもあるといわれれいます。こうした各国の民衆の動きは今後も複雑な展開を見せそうです。
 日本で政治革命を目指した行動としてよく知られているのは、1936(昭和11)年に起きた青年将校による2・26事件です。しかしそれ以前にも、市井の人々が立ち上がった大きな事件がありました。このことを覚えているのは、高齢者の中でも今はかんり少なくなってしまったことでしょう。
 11(明治44)年生まれの私は、7歳のころ、富山県で発生した「米騒動」が、当時住んでいた神戸にも波及してきて、ただ恐ろしかったのを、昨日のことのようによく覚えています。
 第1次大戦が終わるころ、折からの米価高騰に、聖人や地主らによる買い占めや売り惜しみが拍車をかけ、米が子どもたちの口に入らなくなりました。18年、富山の女性たちが、米問屋や資産家に対して米を安売りするよう訴えたことが米騒動の発端です。全国で生活に苦しむ人々が立ち上がりました。
 神戸の山の手にあった私の家の前にも、暴徒の波が押し寄せてきました。竹やりを持った人々が、焦点の窓ガラスや個人宅の外灯を割って壊したりして、隊をなして通り過ぎて行くのを、震えながら見つめていました。
 約50日に渡る米騒動は、支配体制に対する民衆の抵抗でした。現状を打破すべく立ち上がった女性たちに、実力行使に出る男性が加わり、運動は過激さを増していきました。
 東日本大震災の復興には女性たちの力が必須だと、以前この欄でも書きましたが、有事の際、冷静さと強さを発揮するのは女性だと、私は思っています。今年も私にとって、女性の力を改めて思い起こさせる出来事が続いた年だったともいえましょう。
                            (聖路加国際病院理事長)