最近読んだ本の紹介(16)県立図書館で久ぶりに本を借りました。ご紹介します。
263、新田 次郎 八甲田山死の仿徨 新田次郎先生はかって富士山頂上で気象観測所に勤務され、気象観測されたおりました。「八甲田山死の仿徨」を読了し、先生の筆力に感激しました。私は富士山麓830mの農林水産省気象感応試験室「農作物の」に勤務していた頃、富士山頂気象観測所へ登り、山頂の気象観測データを収集したことがありました。「八甲田山雪中行軍では210名中生き残った兵士はたった11人であったという、とても厳しい遭難事件であったと記載されております。
雪中行軍中、将校。兵士たちが如何にして暴風雪の中を行進したか、詳しく記載してあります。よくぞこれだけ沢山の文献を詳しく調査されたもの!!!!!と、感嘆しております。!!!!!。
新田先生には「富士山頂」とう作品を書かれていると、八甲田山死の彷徨、の末尾の広告が出ておりました。次の県立図書館へ行った時に借りて読もうと思っております。
新田先生有難うございました。!!!!!
264、五木寛之 親鸞 (上巻)余りにも仏教用語が書かれ、私の力ではツイットするのは困難でした。そこで目次をすべて転載します。
1、人を殺す牛、、、6頁 2、鴨の河原で、、、19頁 3、放埓人の血、、、34頁 4、闇に生きる人々、、、49頁
5、六波羅王子の館、69頁 6、十悪五逆の魂、、84頁 7、幼年期との別れ、、102頁 8、新しい旅立ち、、、12 2頁 9、暁闇の法会、、、135頁 10、黒面法師の影、、、164頁 11、誘う傀儡女、、、176頁 12、二上山 の夕日、、、199頁 13、疑念雲のごとく、、14、命あらんかぎり、、、225頁 15、六角堂への道 16、夢の中 の女、、、271頁。以上16項目が延々と記述されていました。とてもトテモ難しかったです。(下巻)も読むつもりですが
こんな難しい本は初めてでした。!!!!!
265、新田次郎 富士山頂 気象庁測器課長葛章一が主人公で、富士山頂の気象観測所へ大型、最新の気象レーダを導入するために大蔵省の主計官への予算説明をはじめ建設に如何にして多方面の人々(業者、馬方等々)と折衝してレーダ導入に成功した。物語が描かれている。
旧富士山測候所の塔上に風向風速計が取り付けられ、その近くに温度計と湿度計がを収容する百葉箱(ひゃくようそう)があった。昭和10年に、東京の河原からこの地へ移転して来て以来、一時間に一度は測候所員がその塔上に昇って気象観測をやった。いかなる危険をおかしても、それは富士山測候所員の義務であった。
だが、この気象観測にも革命が起きようとしていた。風向、風速、気温、湿度、すべて自動気象計によって、自動的に観測され、自動的に東京気象庁に電送され、自動的に記録されることになった。
所員は暴風雨の中を危険を冒して、外へ出ることはなかった。そのかわり、所員は、いままでなかったような、もっとも精密な最新式の機器の保守の任に当たらねばならなかった。「これからがほんとうの意味での富士山測候所になるのだ。いままで定期観測に追われていてできなかった、富士山頂のおける雨の研究、日射、オゾン、放射能の研究がやっとできるようになった」
そして藤巻所長は付け加えるように、「この富士山測候所に起きた大革命が。やがて一般地方気象官署に行きわたるのはいつだろうか」
それは三十年間、富士山測候所に献身した藤巻所長の感懐であった。」
作者新田次郎氏あとがき
昭和四十一年三月三十一日付けをを以て私は気象庁測器課長辞任し、作家一本の道に入った・「富士山気象レーダー」は公務員としての私の最後の仕事であり、やり甲斐のある仕事だった。この小説に登場する人物の殆どは実在の人物であり、経過も当時の記録をたどっているので、これは一種の記録小説であり、私自身をモデルとした動きから見れば、私
小説と言われても仕方がない。その後富士山測候所は近代的設備を持った新庁舎に改築された。「富士山気象レーダー」もそろそろ更新の時期にきているようだ。
このブログの筆者の私の感慨!!!!私は富士山麓832メートルの作物の気象感応試験地に勤務している折に、富士山観測所を訪れ、気象観測データを写し取ってきたことがありました。この小説を読んで感慨ひとしおです。!!!!!
263、新田 次郎 八甲田山死の仿徨 新田次郎先生はかって富士山頂上で気象観測所に勤務され、気象観測されたおりました。「八甲田山死の仿徨」を読了し、先生の筆力に感激しました。私は富士山麓830mの農林水産省気象感応試験室「農作物の」に勤務していた頃、富士山頂気象観測所へ登り、山頂の気象観測データを収集したことがありました。「八甲田山雪中行軍では210名中生き残った兵士はたった11人であったという、とても厳しい遭難事件であったと記載されております。
雪中行軍中、将校。兵士たちが如何にして暴風雪の中を行進したか、詳しく記載してあります。よくぞこれだけ沢山の文献を詳しく調査されたもの!!!!!と、感嘆しております。!!!!!。
新田先生には「富士山頂」とう作品を書かれていると、八甲田山死の彷徨、の末尾の広告が出ておりました。次の県立図書館へ行った時に借りて読もうと思っております。
新田先生有難うございました。!!!!!
264、五木寛之 親鸞 (上巻)余りにも仏教用語が書かれ、私の力ではツイットするのは困難でした。そこで目次をすべて転載します。
1、人を殺す牛、、、6頁 2、鴨の河原で、、、19頁 3、放埓人の血、、、34頁 4、闇に生きる人々、、、49頁
5、六波羅王子の館、69頁 6、十悪五逆の魂、、84頁 7、幼年期との別れ、、102頁 8、新しい旅立ち、、、12 2頁 9、暁闇の法会、、、135頁 10、黒面法師の影、、、164頁 11、誘う傀儡女、、、176頁 12、二上山 の夕日、、、199頁 13、疑念雲のごとく、、14、命あらんかぎり、、、225頁 15、六角堂への道 16、夢の中 の女、、、271頁。以上16項目が延々と記述されていました。とてもトテモ難しかったです。(下巻)も読むつもりですが
こんな難しい本は初めてでした。!!!!!
265、新田次郎 富士山頂 気象庁測器課長葛章一が主人公で、富士山頂の気象観測所へ大型、最新の気象レーダを導入するために大蔵省の主計官への予算説明をはじめ建設に如何にして多方面の人々(業者、馬方等々)と折衝してレーダ導入に成功した。物語が描かれている。
旧富士山測候所の塔上に風向風速計が取り付けられ、その近くに温度計と湿度計がを収容する百葉箱(ひゃくようそう)があった。昭和10年に、東京の河原からこの地へ移転して来て以来、一時間に一度は測候所員がその塔上に昇って気象観測をやった。いかなる危険をおかしても、それは富士山測候所員の義務であった。
だが、この気象観測にも革命が起きようとしていた。風向、風速、気温、湿度、すべて自動気象計によって、自動的に観測され、自動的に東京気象庁に電送され、自動的に記録されることになった。
所員は暴風雨の中を危険を冒して、外へ出ることはなかった。そのかわり、所員は、いままでなかったような、もっとも精密な最新式の機器の保守の任に当たらねばならなかった。「これからがほんとうの意味での富士山測候所になるのだ。いままで定期観測に追われていてできなかった、富士山頂のおける雨の研究、日射、オゾン、放射能の研究がやっとできるようになった」
そして藤巻所長は付け加えるように、「この富士山測候所に起きた大革命が。やがて一般地方気象官署に行きわたるのはいつだろうか」
それは三十年間、富士山測候所に献身した藤巻所長の感懐であった。」
作者新田次郎氏あとがき
昭和四十一年三月三十一日付けをを以て私は気象庁測器課長辞任し、作家一本の道に入った・「富士山気象レーダー」は公務員としての私の最後の仕事であり、やり甲斐のある仕事だった。この小説に登場する人物の殆どは実在の人物であり、経過も当時の記録をたどっているので、これは一種の記録小説であり、私自身をモデルとした動きから見れば、私
小説と言われても仕方がない。その後富士山測候所は近代的設備を持った新庁舎に改築された。「富士山気象レーダー」もそろそろ更新の時期にきているようだ。
このブログの筆者の私の感慨!!!!私は富士山麓832メートルの作物の気象感応試験地に勤務している折に、富士山観測所を訪れ、気象観測データを写し取ってきたことがありました。この小説を読んで感慨ひとしおです。!!!!!